1月9日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第9弾! 2009.1.9(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第9弾! 2009.1.9(土)  たかやん

仁康
18時30分、仁康は56歳の生涯を閉じた。「きみやす」と呼び捨てにしているが、れっきとした北大テニス部の先輩である。高校時代までは同級だったのだが、仁康は秀才、俺は凡才。その差は大きかった。

北海道選手権
初めての北海道選手権のシングルス。1回戦の相手は仁康だった。スコアーは6−1か6−2だったと思う。僕は北海道学生のベスト16になり、1年生の春にレギュラーになった。僕は仁康からレギュラーの座を奪ったのだ。

菱和荘
仁康は北33条の菱和荘という下宿に住んでいた。僕は南16条で父さんの飲み仲間の家に居候。仁康が「うちの下宿、空いたぞ!」と教えてくれて、僕は菱和荘に引っ越した。それから僕は毎晩のように仁康の部屋で過ごした。麻雀をやるときは勿論、用がなくても仁康の部屋に行って、色々と語っていた。


僕らの下宿には風呂がなかったので、二人で一緒に近くの銭湯に行った。その銭湯には「ゆき」という可愛い女の子(5歳くらいかなあ)がお父さんと一緒によく男湯に入ってきて・・・・女湯からお母さんが「ゆき!でるよ!」と声がかかると、「あいよ!」って返事をする女の子で・・・そのやり取りが余りにも可愛いので「俺、女の子が生まれたら“ゆき”っていう名前にするわ」と仁康に言った記憶がある。それで僕の長女の名前は雪になったんだ。

獣医
仁康は獣医になった。確か八雲の雪印の獣医師になったと思う。その頃僕は函館にいて、近かったので何度か遊びに来てくれた。その時、仁康が僕に相談してきたんだ。「たかむら、好きな子ができた。だけど、その子は長女でお父さんは実業家なんだ。俺は長男だし、お袋は俺が九州に帰ってくるのを待っとる。結婚するには婿にはいらにゃならん。しかも、獣医をやめなきゃならん。どうしたらいい?」「獣医になるのは仁康の昔からの夢じゃないか。でも、彼女のことが本当に好きなら・・・・俺なら彼女を取るよ。」と偉そうに俺は言った。

6人
仁康は北見で6人の子どものお父さんになった。仁康によく似た目のくりくりした子ども達と仁康の愛した奥さんに、僕らは何度も会った。そして、本当にお世話になったんだ。
ちょっと前までは「お前も年なんだから、無理しちゃ駄目だぞ」ってメールをくれていたのに・・・・本当に残念でならない。

今日の写真
http://www.takayan-world.com/cheeringparty/hokudai.htmここに仁康が写っています。菱和荘の前で左から高田、高邑、仁康です。考えてみると、今から36年も前の写真なのですが、気持ちの上ではつい昨日のようです。僕らにもどの道が正解なのか、全く分からない時代がありました。どっちの女性を選んだらいいのか・・・それが一人であっても決めたらいいのか、いけないのか・・・・そんなこと、当時の僕らには分かるわけがありませんでした。ただ只管、勘で決めていたのだと思います。「愛は盲目」といいますが・・・そうなることも又、必要なのかも知れません。結婚には勢いが必要です。それが30年以上年前の僕らでした。