12月14日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第344弾! 2010.12.14(火)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第344弾! 2010.12.14(火)  たかやん

熱が下がった!
朝起きたときは、まだあった熱が、八石へ行く頃になると37度まで下がっていた。体はずいぶん楽だ。その代わり、空が「だるい」、といい、熱を測ると平熱。そして、今度は母さんが「7度7分ある・・・」。僕の半世紀以上の人生の中で、母さんが熱を出したのは2,3回しかない。かなり心配になったが、それでも学校に向かったのだった。

半袖
その少年は、今日も半袖だった。どんなに寒くても半袖・短パンなのだ。僕も小学校の頃、冬でもランニングみたいな格好をしていたことはあったが・・・凄いなあって思う。彼をだけで空父の熱はもっと下がってしまったのだった。

ハッピー
東門にいると、僕の大好きなN先生が声を掛けてくれた。それだけで、今日はツイている!と思ったし、まあ熱は上がったかも知れないけれど、間違いなく元気になった空父であった。

元気
N先生の笑顔も見たし、熱が37度しかなかったので、自転車で市役所へ。「行ってらっしゃーい!」スーパー豊田のおばちゃん(失礼)がいつもの笑顔で手を振ってくれた。僕はますます元気にペダルをこいだのだった。

カサジ
気安くカサジなどと呼んでいるが、今日の一般質問も圧巻だった。教職員の多忙解消に向けての、市教委の取り組みの不十分さを思い切り突いたのだ。僕らも資料を読んだが、市教委は教職員の多忙をそんなに重く見ていないことが見えてきて、驚いた。僕や、カサジの時代はよかった。学校には今の先生より長くいたかもしれないが、殆どの場合、生徒が一緒にいたのだ。僕らには事務的な仕事は殆どなかった。パソコンなどに向おうにもパソコンが無かった時代だったのだ。報告書も始末書も学級通信も手書きの時代だったのである。本当に今の先生達が可哀そうでならない。

陽子
3年4組の陽子がなかなかいい質問をし、そしていい答弁を引き出していた。担任も負けるわけにはいかない・・・が、負けるんだろうなあ。僕の質問に、いい答弁など返ってきたためしがないものねえ・・・。ま、いっか。教え子の成長の方が担任としては嬉しい訳だし・・・。五中の1期生の学年には今の市議会議員の26分の3がいるのだ。担任が二人に生徒が一人。しかも3年4組では担任と生徒が一人ずつ。これって、結構凄いことだよねえ・・。

河合隆慶
塾から帰ってきて、メールを開けると河合先生のお嬢さんからメールが来ていた。先生が78歳で先月亡くなったというメールだった。10月の15日が先生の誕生日で、その時に久しぶりに顔を見に行こう・・・そう決めていたのに・・・その日に予定が入ってしまって・・・結局行けなかったのだ。僕は9月4日に先生の夢を見た。きっと先生が「たか、顔を見せろ!」って教えてくれたんだと思う。それなのに・・・僕は先生のお宅に電話しただけで、奥様と話をしただけで・・・ああ、本当に悔いが残る。
僕はメールを読みながら、ずっとパソコンの前で泣き続けた。いい年をして、とは思うが、自分の心の中では、先生はいつまでも先生だし、先生の前では僕は15歳なのである。

今日の写真
すみません。あまりにも悲しすぎるので、今日の写真はお休みさせてください。もう、本当にショックで・・・先生の声をもう一度聞きたかったです。もう一度、先生に褒めてもらいたかったです。

誓い
悪いことばかりしていた僕らを、先生は助けてくれました。僕らはその時、誓ったんです。二度と悪いことはしないって。それから、本当に出来なくなりました。全部、先生のお陰なんです。僕は先生から貰った愛を、自分の子ども達に伝えていきたいと思いました。河合隆慶から貰った愛の100分の1でも子ども達に返せたとしたら、僕は幸せです。それ程、先生の愛は深かったし、大きかったのです。先生・・・きっとこれからも僕のことを見ていてくれますよね。僕は先生のような立派な先生にはなれなかったけれど、先生の教えは子ども達に伝えてきた積りです。先生、お嬢さんが・・・桂子ちゃんが僕にメールをくれたんですよ。インターネットで調べてくれたんです。今度、野方の家にお邪魔しますね。先生!また夢の中に出てきてください。そして、ずっと僕のことを見守ってください。そっちへ行ったら、色々語りましょう。政治や歴史や地理は勿論、教育と愛を語りましょう。