12月17日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第347弾! 2010.12.17(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第347弾! 2010.12.17(金)  たかやん

気合
今朝になっても熱は下がらず・・朝食抜きで東門へ。体が熱いんだか、寒いんだか分からない不思議な感じだっのだが、小学生達が笑わせてくれたのでかなり元気になれた空父であった。

五中生
毎朝会五中の1年生の女の子。僕の顔を見た瞬間、「(おはようございます。)寒いですねえ。」と笑顔で話しかけてくれた。それがまた凄く自然で、「(おはよう!)うん、本当に寒くなったよねえ」と僕も笑顔でこたえたのだが・・・・これこそが「毎日の法則」なのだと思う。いっつも笑顔で挨拶てくれる五中の2年生の女の子もいるし、僕が「いってらっしゃい!」というと、笑顔で手を振ってくれる1年生の男の子もいる。僕は教員人生の半分を五中で過ごした。それも、若い頃の10年である。五中のイメージはいいものしかないのだ。楽しい思い出しかないのだ。できたてのホヤホヤの五中の頃と、今の五中と・・子ども達の本質は何も変わってはいないように思うのだ。今朝は五中生のお陰でちょっぴり幸せになれた空父であった。

読み聞かせ
東門の見守りの後は読み聞かせ。「空父!おはよう!」「読み聞かせ?」「やったあー!」1年2組はみんなお話が大好きである。25分にはもうみんな席について、お話が始まるのを待っている。その目の輝きをずっと持ち続けて欲しいと願う、空父であった。

忘年会
11時からはテニス仲間との忘年会。教え子の家でのノンアルコール忘年会になった。そこで、テニスやバレーボールの話に笑い転げる。僕は炬燵で横になり・・少し眠る。久しぶりにそんな時間を持てたのだった。

2時
ドキドキしながら我が家のポストを開けた。沢山の郵便物の中から1通の封書を見つけた。その封書は「埼玉県人事委員会事務局」からのものだった。そう採用試験の2次試験の結果が入っていたのだ。封筒の中身は薄い。薄い封筒には苦い思い出がある。それは新座市の採用試験の「不合格通知」。そう亮は新座市の採用試験には落ちているのだ。余り勉強していなかったのだから、無理もなかったのだが・・・それでも落ちるということはやはりショックだった訳で・・・・。今回の封筒も薄かったので、その時の記憶が蘇ってきたのだ。しかし・・その紙には「合格通知書」が入っていた。亮は合格したのだ!来年から社会人になれるのだ。試験の直前だけだったけど、久しぶりに本気で勉強した亮を見ていてくれた人がいたのだと思う。亮のことを本気で心配してくださっていた方達。本当に応援ありがとうございました。

埼玉県警
4月からの亮の勤め先は埼玉県警に決まった。息子が県警にお世話になるとすると、父としては今まで以上に安全運転をしなくてはと思う。例えば、横断歩道を渡ろうとしている人がいたら、必ず止まる・・・そういう運転を心がけるということだ。警視庁には沢山の友達がいるが、埼玉県警には数名しかいない。これから亮が連れてくるであろう県警の友達と会うのが今から楽しみである。

それでも塾
暮れの学習塾には休みというものがない。中学校3年生にとっては、今が一番大事な時なのだ。だから、少しくらいの熱があったって、悪い病気にでも感染していないかぎり、僕にも休みはないのである。休会だからと、羽を休める間もなく・・・・中3のスプリンター達と3時間、燃えに燃えたのであった。

一般質問のつづき
さて、今回の12月議会の一般質問では新座市の先生方がかなり多忙であることが再認識された。その多忙度は限度を超えるものであるのだが、どうやらこの1年間、市教委が有効な手を打ってこなかったことも、笠原さんの要求資料から明らかになった。今の先生が可哀そうでならないのは、子ども達と一緒にすごす時間が余りにも少ないことだ。兎に角、事務処理が多いらしい。研究授業の指導案の作成などは僕らの時代もあったが、自己評価カードなどはなかったし・・・大体、事務処理で部活ができないなどということはまずなかった。僕などは休み時間は勿論、昼休みも放課後も子ども達と遊んでいたのだ・・・勿論、授業は気合を入れていたし、空き時間も他の授業に乱入したり、一緒に参加したりしていたから・・・多忙度は今の先生達のよりもきつかったかも知れない。それでも僕は幸せだったから、気持ちの上で限界がくることはなかった。僕の気持ちが限界を超えたのは、子ども達とのそういう時間を奪われた、最後の学校(新座二中・・今のではありませんよ。当時のです。)だけである。自分のクラスの子ども達と朝、自分のクラスで一緒に勉強しただけで、管理職に呼びつけられるのだから・・・信じられない学校だった。最初の職員会議で管理職に質問をしただけで・・・まあ、大変な報復が待っていた訳だ。その時の負のエネルギーが今の僕をつき動かしてくれているのかも知れないのだが・・・。

物にも心がある
先生達は物ではないのだ。仮にあなたが管理職になったとしても、それは人間的に優れていたからでも、教育に情熱的であったからでも、偏差値が高かったからでもない。管理職試験が簡単だったか、競争相手がいなかったか、強いコネがあったか・・・そんなに大した理由ではないかも知れないのだ。管理職が優秀であるかどうかは、管理職になってから決まるのである。先生達をやる気にさせ、元気にさせる。それが管理職の第一の使命だ。(大学に受かり、勉強せずに遊ぶ大学生と管理職試験に受かり、それだけで優越感を感じてしまうあなた達はよく似ている。)そんな当たり前のことが分からない管理職が多い地域は必然的に子ども達の学力は落ちていく。そう、管理職に偏差値はいらない。馬鹿(失礼)だっていいのだ。先生達をやる気にさせ、子ども達がやる気になれば、後はそれ程大したことではない。子ども達の安全も、地域との連帯も・・・先生達がやる気になれば自然に出来上がってくるのだ。そう管理職が人間的に優れていれば、先生達はやる気になるのである。それを勘違いしている管理職が多すぎる。どうしても威張りたければ家の中で威張ればいい。それを職場でしてはいけないのだ。先生達は人間だ。しかも、たいていの場合、管理職よりも優秀な人が多いのだ。そういう人たちを相手にするのだから、管理職は懸命に勉強して人間性を磨かなくてはいけない。管理職になってからが本当の勉強なのである。校長になって、授業もやらず、学校の事務もせず、難しい仕事は教頭や教務に任せ、夜は自分にゴマをする人間か、自分がゴマをする人間と飲み歩く・・・そんな校長では学校のレベルが急降下するのは当たり前。先生達から学ぼうとせず、下の人間や物にしか見えない管理職では学校力はどんどん低下していく。“学校長よ!自分を磨け!自分を磨いて、先生達をやる気にさせよ!”と、僕はいいたい。五中や六中で僕を育てた優秀な管理職を見て、当時の仲間で管理職になった先輩同僚を見て、僕はそう思うのである。先生の生きがいは、子ども達と一緒にいることである。その時間を作りだせないようでは、管理職としての能力は無いに等しい。一般の会社のように社長が会社を経営して、社員に給料を払っている訳ではないのだ。学校という会社はどんなに傾いても、給料が出るから、社員(先生)達は社長(校長)についていっているだけなのだ。決してあなたに魅力を感じているのではない。頭のいい人なら、ここに書いてあることが理解できると思う。学校をよくするには校長の力が必要なのだ。先生達を元気にする、それが校長先生!あなたの仕事です。校長である時間は短い。どうせやるなら、いつまでも先生や子ども達の記憶に残る校長になってください。教育委員会のご機嫌ばかり伺わず、自分の教育観で自信を持って仕事をして下さい。そうすれば、先生たちもやる気になり、学校は今よりずっと明るくなるでしょう。先生達が息抜きできるように、自分の経験で処理できることは自分でやるか、やりかたを教えてあげてください。その分、先生達が子ども達と接することができるんですから・・・・。そして、休みの先生がいたら、真っ先に手をあげて、その教室の子ども達の前に立って、どうか素敵な授業をしてください。校長先生、あなたは校長である前に、先生なのです。その力を使わずに、引退するのでは教員免許が泣きます。どうか、毎日人間を磨いてください。こんな若造(でもないか・・)に好き勝手なことを言われないように、勉強してください。応援しています!

今日の写真1
卒業おめでとう 3Gの諸兄姉よ で始まる、河合隆慶先生の15歳の僕らへのメッセージです。僕らは卒業式の前夜に書かれたであろう、このメッセージを読み涙を流しました。河合先生はこの時、37歳。今の僕より20歳も年下ということになります。この文からも、当時の東京学芸大のレベルの高さが分かります。勿論、僕も卒業式の前夜には教室を綺麗に片付けて、子ども達との思い出に涙を流しながら・・・最後の学級通信を黒板に書いていました。そう、全てこの先生の真似なのです。僕を「たかやん」と呼んでもらっているのは当時の西戸山の「ひょうちん」教頭先生の真似ですし、基本的なことは全て僕と出会った素敵な先生達の真似ばかりです。本物の先生は、死んでも子ども達の心の中で生き続けられます。河合先生の魂は僕の教え子にも受け継がれていることを願っています。

今日の写真2
初代六中テニス部のメンバーです。彼らはテニスの試合で林間にも修学旅行にも参加できなかったのです。そこで、旅行に行けなかったメンバーで北海道旅行をしました。9泊11日くらいの豪華な旅行で・・・かかった費用は修学旅行より安かったくらいの記憶があります。函館でお世話になった大家さんの家、札幌では北大テニス部の後輩の家、北見では先輩の家、帰りの札幌では居候していたおばさんの家、そして富山の我が家。中学生対北大の後輩との対抗戦もやりました。流石に勝てませんでしたが、惜しいところで負けた記憶が・・・そんなこともできた時代だったんですねえ。

今日の写真3
朝の気温が下がると、八石小の東門前のカーアブミラーがこんな風に曇ります。車から見えなくなるので、こういう時は道路の真ん中に出て、車も誘導します。運転手さんが嬉しそうに手を上げてくれます。黄色い旗を持っていると目立つので、車も徐行してくれるようになってきました。明日は東北大の先輩達との練習です。一晩で熱を下げてみせます。
おやすみなさい。 たかやん

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