2月10日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第42弾! 2010.2.10(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第42弾! 2010.2.10(水)  たかやん

誕生日イブ
55歳の自分とは今日でさよならである。不思議なもので、55年間は一瞬で振り返れる気がする。でも、これからの1年は考えても、考えても予想できない。過去の55年より、未来の1年の方が長いし、重いような気がするのだ。その1年も過ぎてしまえば過去の56年と同じように一瞬の一部になってしまうのだろう。明日は僕の誕生日。そして日本の誕生日である。

楡庭会(北大庭球部OB会)への原稿
素振り
去年の10月のある日から、今日まで実はずっと素振りを続けている。中学校で「毎日素振りしろよ」と子供たちに言っていた自分が、その時の教え子に言われて素振りをしている。その教え子は、あのサンプラスと戦った男で・・・全日本のチャンピオンを4人も倒している子なのだ。僕はインターハイもインカレも行けなかったけれど、彼はインターハイは勿論、国体もインカレも全日本も出ている訳で・・・テニスの力量は並ではない。だから、僕は今、彼を信じて練習をしている。そう、僕は今テニスに燃えているのだ。「ウインブルドンで優勝する」と卒業アルバムに書いた15歳の頃よりも、もしかしたら今の方がテニスに燃えているかも知れない。
僕は大学時代、テニスよりも教職をとって引退した。1年生の時から出ていた東北戦も4年の時は出ていない。インカレ予選にも出ていない。テニスを諦めたのだ。いや、教師になる為になら、テニスは捨てられる・・・僕はそう思っていた。ところが、中学校の軟式テニス部の顧問になって5年過ぎた頃、やる気のない顧問の僕に子ども達がある作戦をたてた。「先生、明日から僕らは硬式テニスをやります!だからコートに来てください!」と、言ったのだ。テニスコートにこないで、サッカーばっかりやっていた僕を彼らは必死に引きとめようとしていた。その日から、僕は再び夢を追いかけ始めた。「日本一になるぞ!」僕はそう言って、厳しい練習を始めた。1年365日の練習を中学生達に求めたのである。子ども達はついてきてくれた。そして、それがきっかけになって県大会は50回、関東大会で5回。全国大会で2回優勝できたのである。
だけど、それは子ども達の結果であって、僕の結果ではなかったのだ。僕は大学時代のあの1年を今、取り戻そうとしている。高校3年のインターハイ予選も交通事故で出られなかったが、今の僕には毎年チャンスがある。今年の4月には東北大の西谷昭(僕らの時代のNO1)と組んで東京オープンにも出場する。そして、二人で全日本を目指すのだ。北大の後輩たちよ。青春は二度とないというのは嘘だ。明日で56歳になるが、僕は青春真っ只中だ。僕の1年後輩の北村や蒲生が全日本に出たように、僕も全日本に出て、そして勝ってみせる。テニスは楽しい。テニスのお陰で友達が山ほどできた。(結婚もね!)そして、テニスのお陰で先輩たちとも会えたし、後輩たちとも教え子たちとも再会できるのだ。今年の夏の東北戦は自分の大会とぶつかって、札幌には行けないかも知れない。声をからしての応援ができないかも知れない。でも、北大庭球部の後輩たちよ!東北大を恐れることなどない。自分たちの全てをぶつけて戦えばいいのだ。東北大は勝てると思ってくるだろう。そこが甘いところだ。春の合宿で東京まで来たら、東伏見(西武新宿線。新宿から30分くらい)の早稲田大学の練習を見るといい。レギュラーが揃うなら、練習試合を申し込め。日本一の早稲田から比べたら、東北大など屁の河童だ。テニスはイメージだ。早稲田のイメージで東北大にぶつかっていけ!そして、その戦いの中で自分のテニスを見つけることだ。自分だけのテニスを見つけることだ。僕のように悔いが残らないように大学のテニス人生を締めて欲しい。だが、君たちのテニス人生は始まったばかりなのだよ。卒業してからのテニス人生の方もなかなか面白ぞ。青春は長い。あと、50年はあると思っていい。北大や東北大の先輩たちを見ているとそう思える。いくつになっても青春はそこにある。全力でぶつかることができる、思い切り夢を見ることができる。それが青春だ。     52年卒   高邑 朋矢

今日の写真1
左から、なごみ、茜、ひとみ、こはく、こころ。六中テニス部の最強時代の二人とその末っ子達です。

今日の写真2
左から、とわ、いぶき、空、たくみの長男、次男たちです。担任したこころの子どもと僕のこどもが同じ歳。そして、同じ幼稚園というところが笑えます。勿論、4月からは同じ小学校です。

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