3月18日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第78弾! 2010.3.18(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第78弾! 2010.3.18(木)  たかやん

安孝
美幸が中学1年の時、安孝は小学校1年生だった。五中の天体観測は真冬に行われた。屋上に天体望遠鏡が3台・・月は勿論、木星の四大衛星を望遠鏡はとらえていた。しかし、小さな子ども達は背が届かない・・・それで、僕が抱っこして、見せると・・みんな興奮して「凄い!」と喜んでいた。その中の一人が安孝だったのだ。

家庭訪問
安孝との出会いは実はその半年以上前だった。美幸の家庭訪問に行った時、美幸の弟とその友達二人とあっていたのである。その時の友達も実は教え子の弟達だったのだが、その時点ではまだ教え子達にも会っていないので、分かるわけもなかった。

テニス
安孝が小学校の時にやっていたのは野球と算盤。「2級だったよ」というのだから、なかなかのものだ。野球で鍛えた肩はその後170キロを超えるサーブを打つのに役立った。

春休み
今から丁度26年前の春休み。僕は彼らにラケットを渡した。小学校を卒業したばかりの安孝たちは目を輝かせて、五中のテニスコートに登場した。中学校に入学する前に、彼らは五中のテニス部の練習に参加していたのだ。

×
天体観測から5年ちょっと。小学校からの申し送り事項がきた。安孝にも家庭訪問で会った子達にもしっかりと×が付けられていた。K小学校の先生達は「この子達を絶対に離すように」と言っていた。どうやらかなりのヤンチャをしたらしい。僕は勿論、その言葉を無視した。離すように言われた×を付けられた子達を全員僕のクラスにしたのだ。

1年1組
当時の僕は30歳。五中の隣に引っ越し、学校が庭のような生活をしていた。朝練が終わると家に帰って朝ごはん。それから走って10秒で学校に・・・。そんな馬鹿な・・と、今は思うが、当時は何の疑問も感じてはいなかった。雪や亮と一緒にご飯を食べる方法はそれしかなかったのである。そんな中で僕と安孝はよく衝突した。入学早々1年1組の教室で戦ったのだから笑える。「机を全部後ろに下げろ!」と教室にリングをつくり、1年生の安孝とタイマン・・・。僕は安孝を片手で持ち上げ放り投げた。安孝はそれでも泣きながら僕にかかってきた。僕は容赦なく、安孝をぶっ飛ばした。
家出
2年生になると安孝のヤンチャはさらにエスカレートした。僕のクラスではなくなった安孝は部活では熱心だったが、それ以外の生活では糸の切れた凧状態になったのだ。そして冬のある日、彼は家出をした。美幸とお母さんが泣きながら僕の家に来た。それでも安孝は朝練にはちゃんと来たのだから笑える。僕はお母さんとお姉ちゃんの前で安孝をぶっ飛ばした。そして、その日から安孝は僕の家に住むようになったのである。24時の間監視体制がある訳で、安孝は身動きが取れなくなった。テニスにのめりこむしかなかったのである。

夜明け前
まだ暗いうちに安孝は我が家を出て、一人コートへ向かった。ローラーをかけ、ネットを張ると「用意ができました」と僕を起こしに来る。そうやって僕らは3年間で150試合以上戦ったのだ。6−0.6−0.6−0・・という試合が100試合近く続き、6−1.6−2.6−3そして7−5と安孝はどんどん強くなった。そして熱のある日、僕は5−7で安孝に負けたのである。「熱があるからやめよう」と言うと、「熱があるからやりたい・・・」と安孝。僕を倒すことが安孝の目標だったのだ。そして僕に勝った後は熱がなくても僕を倒すようになったのだ。僕は安孝に20敗以上している・・・。

全国大会
安孝が2年生の時、五中は全国大会で2位になった。3年生になると団体戦は勿論、シングルス・ダブルスの個人戦でも全国大会でシードが付くようになった。当時のシード選手は殆どがプロになった子達で、レベルの高い学年だったのだ。

前日
運命の日が来た。全国大会の前日、テニスコートで安孝は友春と喧嘩になり、右手をボクサー骨折したのである。全国大会優勝の目前で、安孝は右手を骨折したのだ。安孝は痛み止めを打って、試合に出た。痛みと悔しさで泣きながら戦う安孝を見て、僕も泣けてきた。団体戦はベストエイトまでで負け、シングルスとダブルスは棄権というのが安孝の3年の時の記録だ。

浦和学院
高校生になっても安孝は遊びに来た。既に僕は六中へ行っていたのだが、暇ができると六中に来て、練習をしていったのだ。高校の3年間、も何十回も戦ったが、僕は一度も勝てなかった。彼は高校2年生の時に県のチャンピオンになり、一般男子でも単複優勝するような選手になっていたのだ。僕を6−0で叩きのめす安孝を見て、六中の1年生テニス部員は燃えた。一久、大力、喜晴、浩一・・・僕と100試合以上戦う子達が何人も出現した。そして、2度全国大会で優勝したのだ。六中テニス部の基礎を作ったのは安孝だったのである。

完敗
そんな安孝の2年先輩のひとみと同級生だった満寿子。そして、六中テニス部だったこころと午前中テニスをやった。0−6、2−6、6−4・・ノータッチエースを何本も決められ、僕は安孝に完敗した。200日以上素振りを続けても、安孝は僕の前に高い壁として立ちはだかる。200日では足りないのだ。2000日素振りをすれば安孝に追いつくかも知れない・・・そんなことを夢見ながら、僕は暫く人生を楽しみそうだ。亮が心臓の手術に成功したら・・もう一度三人で同じコートに入ってみたい。そんなことを夢見ているのである。

今日の写真
前列左から、僕、こころ、ひとみ。後列左から満寿子、安孝です。一月に1回か2回、このメンバーに茜や大力、太陽を加えて練習をしています。本当に幸せな時間が流れていきます。まずい!もう3時20分過ぎだ!!あと2時間しか寝られない・・・おやすみなさーい!たかやん

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