3月5日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第65弾! 2010.3.5(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第65弾! 2010.3.5(金)  たかやん

3月23日
長男の亮の手術の日が決まった。今日、初めて心臓外科の秦先生と会った。想像していたよりも若い、素敵な先生だった。診察の仕方も、説明のし方もどこかで見たことがある・・・そう感じていたのだが・・・亮が小学校の頃からお世話になっていた原田先生の教え子であることが分かった。亡くなった原田先生に亮は命を救われた。そして、今度は原田先生の教え子にまた命を救ってもらうことになるのだ。心臓を止める手術だからリスクはある。だけど、僕たちは秦先生を、そして天国にいる原田先生を信じている。

清瀬小児病院
亮が5年生の時に、「心雑音」があるので精密検査を・・・と、学校の健康診断で言われた。堀の内病院で「運動はできません」と言われ、清瀬の小児病院で「絶対に運動は駄目です」と言われ・・・僕は、小児病院の駐車場で声を上げて泣いた。亮には涙を見せなかったが、一人で泣いた。「ゲームはどれだけやってもかまいません。でも、運動は一切だめです」そう宣告されたのだ。「自分が膀胱癌かも知れません。可能性は50%です」と宣告された時は頭が真っ白になり、子どもたちの未来はどうなるのだ・・・と心配になったが、その時よりも苦しかったのだ。それ程僕は亮に運動をさせたかった。

日大病院
その時だ、板橋の日大病院に「原田先生という日本で3本の指に入る先生がいる」とF先生に教えてもらったのは・・・・。僕は藁にもすがる思いで日大へ行った。そして、原田先生に会ったのだ。原田先生は僕たち親子にこう言った。「この子から運動を取ったら、本当に死んでしまいます。」「学校の体育の運動程度の運動ならいいでしょう」その時の亮の笑顔ったらなかった。体を動かすことが許可されたのだ。僕たちは地獄から天国へと行ったような気分だった。

六中テニス部
そして亮は六中テニス部に入ってきた。それまでは「猛練習」で有名だった六中テニス部だったが、顧問とキャプテンが相談して“3分以上の練習はやらない”という方針に変わった。3分練習したら、必ず3分休む・・・という練習に変えたのだ。毎日練習の最後に走っていた「3キロ走」は勿論なくなった。子どもたちは僕を信じてついてきてくれた。そして、その練習でも全国大会で優勝したのだ。亮も1年生ながらレギュラーになり、日本一のメンバーになった。しかし、亮の心臓の機能は確実に低下していったのだ。

異動
亮が3年生になるとき、僕は六中で10年という時を過ごしていた。僕は校長に頼んだ。「息子は僕がいなくなったら、絶対に無理をします。きっと心臓に負担がかかる練習をすると思います。息子の命がかかっています。どうか、あと1年いられるように教育委員会に頼んでもらえませんか。」その時の教育長が中村敞一郎だったら・・・多分、僕はもう一年六中にいられたのだろう・・・しかし、U教育長は断固それを許さなかった。そして、僕もその冷たさを許さなかったのである。


今、僕たちには暖かい先生達がいる。小児科の先生たちの暖かさも飛び切りなら、心臓外科の先生たちも、涙がでるくらい暖かい。僕と亮はついている。凄く長い道のりだったけれど・・・亮が運動できるようになる可能性が今、開かれようとしている。「お父さん、知ってますか?あのアーノルド・シュワルツネッガーも同じ手術をしているんですよ」秦先生はそう言って、僕らを励ましてくれた。心臓を止めるのだからリスクはある。でも、僕らは暖かい先生達を信じて、未来を夢見ているのである。

今日の写真
後列、左から二人目が亮です。この頃は少しならテニスやサッカーが出来ました。今は全くできません。もう一度亮とサッカーがしてみたい。もう一度亮とテニスをやりたい・・・その夢が、今月の手術にかかっています。3月23日、みなさんの「元気玉」を少しだけ下さい。お願いします。たかやん

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