7月14日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第196 弾! 2010.7.14(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第196 弾! 2010.7.14(水)  たかやん

一早
今日は応援団長の一早の誕生日である。一早との縁は強い。何しろ、僕の運命を変えた男なのだから・・・・。普通なら、先生が生徒の運命を変えるものなのだが、一早達は僕の運命を変えてしまった。当時の五中テニス部は、市大会では優勝するが、県大会では1回戦負けだった。僕は試合前の1週間しか練習に行かず、土日の練習はやらない。いつもクラスが優先で「休みに部活なんかできるか!」そう言っていた。そんなやる気のない「軟式テニス部」の顧問だった僕はあろうことか、サッカーにのめりこんでいった。テニス部よりサッカー部との練習に力が入っていた僕を見て、子どもたちは相談したのだ。「このままだと、サッカー部の顧問になってしまう。」「たかやんは硬式をやりたいはずだ。」彼らの心配は当たっていた。サッカー部の顧問になってくれないか・・・と、誘われていたのだ。半分やる気になっていた僕に、一早たちはこう言った。「明日から、硬式をやります!」「え?本気かよ!」次の日から、軟式テニス部は硬式テニス部になった。(名前は男子テニス部のまま)練習は硬式、そして大会は軟式の大会という日々が続いた。それで軟式テニスの市大会には優勝するのだから笑えたが・・・・。それを聞いた中体連の専門部が「軟式をなめるな!」「もう試合にはでてくれるな!」と怒り、五中テニス部はめでたく硬式に専念することになる。それで僕の生活は一変した。いい加減なテニス部の顧問は、突然「鬼顧問」になっていったのだ。「県南大会優勝」の目標は一気に「全国制覇」へと変わっていった。厳しい練習が始まった。石神井高校時代のトレーニングを中学生達に求め、僕は僕でテニスの勉強に熱中し始めた。一早たちは県大会で優勝し、関東大会まで行ったが、その1回戦で完敗。関東の壁の高さを知ることになる。一早たちが卒業した春、一早の妹の有紀が入学してきた。男子テニス部に有紀を始めとする1年生の女子マネージャーを入れ、男子と同じ練習をさせた。その女の子達が1年後に全国大会に出場したのだ。僕はさらに練習の虫になった。桜田クラブに通い、名古屋に遠征し、関東ジュニアの合宿に参加もした。松岡修造に会ったのはその頃である。朝練をし、午後練をし・・・くたびれ果て、居眠り運転することもあった・・・僕はよく一早の家に泊めてもらった。一早と一緒に風呂に入り、夕飯をご馳走になり、一早と一緒に寝た。一早の家には僕の茶碗と箸が置いてあった。一早の家は五中の直ぐ近く。僕の家が所沢から五中脇に越してくるまで、僕は一早の家にお世話になりっぱなしだった。一早達はこうして、僕の人生を変え、そして僕の人生が変わってしまったことで、多くの教え子達の人生も変わってしまうのである。我が家のひとみは有紀の1年後輩。一早たちが硬式テニス部を作らなかったら・・・学年が違った僕らは出会うこともなかったのである。硬式テニスをやっていなかったら、僕の人生はどれだけ変わっていただろう。多分、学校は辞めていないだろうし・・・勿論、空も生まれていない。今日は一早の誕生日。僕の人生を変えてくれた一早と、一早を生んでくれた一早の両親に感謝する日かも知れない。

今日の写真1
八石小学校前のヤクルトにトラックの駐車方法について、お願いをしました。トップの方が直ぐに理解してくれたのでよかったです。トラックを横付けにしてもらった結果がこれです。子どもたちがトラックに守られる形で通れます。

今日の写真2
大きなトラックが脇を通っています。でも、こうしている限り安心ですよね。

今日の写真3
縦駐車だとこうなります。集団登校の子どもたちは、自分の頭で判断することができません。先頭の子に付いていってしまう子が殆どです。先頭が黙って下を向いていれば、挨拶をしても無言の集団が通り過ぎていくのはそのためです。先頭と言っても6年生なのです。1年生よりも判断力のない6年生だっているでしょう。集団登校の危険性はそういうところにもあります。

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