7月3日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第185弾! 2010.7.3(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第185弾! 2010.7.3(土)  たかやん

見習い
駐車場で遊んでいると、どこかで見た笑顔が近づいてきた。「おけい?」「そうだよ」古内桂子。五中の一期生のおけいだった。「よくわかったねえ」「わかるよー」おけいは、ウェルパークに買物に来て、僕らを見つけたという訳。
「空君、どこの小学校なの?」「八石だよ」「行ったよ八石」「そうなんだ」「最初は学校ができてなくて、片山に通ったんだよ。」「そうなんだ」「片山のプレハブの次は八石、それから野寺」「小学校だけで3校か・・・」「そうだよ。それで中学校は3中から5中でしょ?」「学校5校も行ったの?」「珍しいよね。あたし達みたいの・・・」「そうだなあ・・・」
「みんな元気なのかな?甲神さんとか・・」「おう嵒は元気だぞ。」「1組が甲神先生で・・」「2組がカサジだろ。カサジは議会でバリバリやってるよ。」「そうか、先生と一緒なんだ」「そうだよ。布施陽子も一緒だよ」「昨日も駅に立ってたよ」「選挙だからね」僕らはそれから神さんや原先や大熊さん、千田さん、柴崎さん・・・そして帯刀先生の話をして・・・
「お前いくつになったんだっけ?」「・・・・」「俺達8歳しか違わないんだよね」「そうだっけ?」「おれが23歳で、お前達が15歳だもん」「そっかあ・・・」「大学卒業して直ぐ3年の担任なんてありえないよね」「ああ、まるで見習いだったもん」「見習いが3年の担任かあ・・・」「そうだよ。酷い話だよ、今考えると本当に酷い授業してたもん・・・」「覚えてないんだなあ、それが・・・」「俺ができたことは一緒に勉強することだけだったなあ・・」「そっかあ・・」「あの1年で、俺のスタイルが決まった気がするわ・・」「なるほどねえ」
僕らは駐車場に座り込み、33年前の五中に戻っていたのだった。

六中
新しくできたパン屋さんに行くと、懐かしい顔が手を振ってくれた。六中の赤ジャージと青ジャージで結婚したD君達だ。「あれ、いつの間にかお母さんになってる」「年長なんです」とKちゃん。「先生のお子さんは?」「片山幼稚園から八石小だよ。」「八石ってことは、勿論六中ですよね?」と六中が母校の二人。「半分は五中へ行くからね、まだ分からないよ」というと、少しビックリしていた。そりゃそうだ。彼らから見たら、僕は「六中そのもの」だったはずだから。六中に10年いて、息子も六中生で・・・・クラスやテニス部の子ども達と燃えに燃えていた僕しか見ていないのだ。僕が六中の前に五中に10年いたことや娘が五中に行ったことは知らないのだろう。「でも六中って大変なんでしょう?」「うーん、少しずつ良くなってきているよ。」「学校ってさ、先生によってどうにでもなるのよ。「ハードじゃなくて、ソフトってことですか」「そうだね。校舎が育てるわけじゃないからね。」「僕らの頃の先生はいないんすか」「ああ、片山陽子は覚えてる?」「音楽の!輝く!でしょ?」「彼女は頑張っているよ」「田村先生は?教頭なんでしょ?」「タムソンは教育委員会に戻ったよ」「そうなんだ・・・」僕は久しぶりに、“六中のたかやん”になったのだった。

今日の写真
献血をして貰ったものがこれです。ティッシュにボールペンに卵。これ以外にもジュースを2本も飲ませてくれました。献血って、本当に喜ばれるんですよねえ。1年に3回、自分の健康チェックもかねて、献血しようと思います。

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