7月7日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第189弾! 2010.7.7(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第189弾! 2010.7.7(水)  たかやん

朝の挨拶運動
校門で子どもたちに挨拶をする。簡単なようで難しい。それは不自然だからだ。子どもたちの立場で考えると直ぐ分かる。先生や親が並んで校門のところに立っている・・・それだけでかなり不自然である。だけど、その不自然さを感じさせない先生もいる訳で・・僕は今朝、そういう先生と会えて幸せを感じた。きっと、子どもたちも同じだったと思う。不自然なことを自然に感じさせる・・・それこそが教育の極意のような気がする。

空父!
いきなり抱きついてきたのはななみ。「どうした?」「空父!!」(そうだよ、俺は空の父だよ。ななみの父じゃあないよー!でも、うれしいよー!)今日、一年生はトウモロコシ狩りがあるので、テンションが高いのである。「空父―!水筒の中身がこぼれちゃってるー!」「どれどれ・・・・」「空父!こっちにもきて!」先生が来るまでの間、教室の外ではあるが・・・空父は忙しい。池田小学校の事件を忘れてはいけないのだ。だから、空父は子どもたちの見守りにこだわる。不審者から子ども達を守るには、やはり人の力が必要なのだ。子ども達を24時間見守ることはできない。でも、出来る限りの見守りはしたいし、する必要がある。僕はそう思うのだ。出来る限りの見守り。それが地域の目なのだと思う。

母校
どうして母校と言うのだろう。「父校」という人はいない。母国とはいうが「父国」という人もいない。空父はちょっと寂しい。母語という言葉もあるが、父語という言葉はない。空父がどんなに頑張っても、空母には勝てそうもないのである。

五中
Hさんに誘われて、ひさしぶりに母校五中に行った。2年生の公開授業に行ったのだ。五十嵐校長は気持ちよく受け入れてくれた。そう、全学年の授業を見せてくれたのだ。地域に開かれた学校というのは五中のことを言うのだな・・・そう思った。

挨拶
全てのクラスの授業を見た。感心したのは授業の雰囲気だけではない。子どもたちの挨拶が気持ちいいのだ。(他の学校と何が違うのかな・・・)暫くして、その答えが見つかった。そう、先生たちの挨拶がいいのである。子どもたちは先生の後姿を見て育っているのだ。色々な学校に行くが、挨拶の下手糞(失礼)な先生達もたくさんいるのである。今朝の八石小学校でも爽やかな笑顔つきの挨拶をもらったが、形式だけの挨拶と笑顔つきの挨拶では教師のレベルはかなり違うと言っていい。子どもたちの気持ちになってみれば直ぐにわかる。子どもたちは「本物」を見抜く天才なのである。挨拶ほど人によって差がでるものはない。人間性がモロに出てしまう・・それが挨拶である。残念ながら、年齢や経験と全く関係はない。60歳になっても70歳になっても、気持ちのいい挨拶が出来ない人は山ほどいる。その歳になると、人相にハッキリとでるから直ぐにわかる。人の人相を変えるのが挨拶である。

みっけ・・・
僕が大好きな岸辺先生のクラスにもお邪魔した。そのクラスの中に、教え子の一番下の弟を発見した。あの頃は小学校にも上がっていなくて・・・「覚えてる?」「はい」僕は涙がでそうなくらい嬉しかった。「たかむら先生!」廊下を歩いていると、2年生にそう呼ばれた。我が母校は僕を優しく迎え入れてくれた。僕は廊下を歩きながら、五中の校歌を頭の中で歌っていた。(神さん、五中はやっぱりいいわ・・・)

七夕
いつも雨のような気がする。暫く天の川を見ていないなあ・・・。来月、妙高へ行ったら見れそうだなあ・・

今日の写真1
五中の職員室前に貼ってあった写真です。子どもたちが素手でトイレ掃除をしています。トイレ掃除は素手でやるに限ります。先生が率先してやるから、こういう子ども達が育つのです。本物の教育がそこにはあります。

今日の写真2
本当は子どもたちの笑顔を撮りたかったのですが・・・・整理整頓されているものは美しいものです。シャッターを押したくなりました。

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