8月22日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第234弾! 2010.8.22(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第234弾! 2010.8.22(日)  たかやん


小沢一郎
久しぶりに小沢一郎と碁を打った。何年ぶりだろう・・・彼と碁を打つのは。昔は俺が黒だったのだが、今では僕が白。僕の囲碁も強くなったものだ。難しくなってきたところで、僕が長考・・・そこで目が覚めた。俺が小沢一郎を知っている訳がないか・・・。

3時
昨夜は早く寝たので、夜中の3時に目が覚めてしまった。明日から駅立ちだから、3時でもいいか・・・と、思ったのだが・・・いつものように5時まで寝ることにした。

5時
活動開始。今日は色々とあるので、朝の時間が大事になってくる。メールをチェックして、仕事が始まった。

9時35分
八石小体育館9時35分に到着。体育館前で須田市長とばったり・・・挨拶をする。体育館の外では、少年野球が練習をしていた。市の職員が「ボールが入るかもしれないから扉を閉めます!」と、いうから、「やめましょうよ!熱中症になりますよ。」と、提案する。ボールが入ってきても何ということはないが、締め切った体育館で人間が倒れたら致命的である。扉は開けたまま説明会が始まった。

10時01分
説明会がスタートした。「会場の都合で11時半には終了します!」というアナウンスがあった。この時点での参加者は102名。その後110名に。市議会からは4人(嶋野・石島・島田・高邑)。県議会からは1人(吉田よしのり)、市からは9人。市長の挨拶と説明が終わった段階での残り時間は1時間と12分。市の職員の紹介が終わって1時間10分。市の担当職員からの説明終わったのは10時35分、残り時間は55分になった。それから約10名の市民が質問し、体育館は熱気に包まれたのだった。

打ち合わせ
説明会が終わり、午後からは一般質問の打ち合わせ。道場の方からの要望もあり、それも付け加えることになった。午後は大忙しだった。
学校を辞めたいと思っている先生達へのメッセージ その2
2.生活をしていけますか?
定年前に辞めたい。そう思うのは、今の学校での生活がどうしても苦しいのでしょうね。授業がうまくいかなくても、生徒指導がうまくいかなくても、辞めたくなることはあるでしょう。大学を卒業して教師になった人が多いでしょうから、僕のように海外へ行きたくなったり、他の仕事にチャレンジしたい。そう思う人がいたって全然おかしくありません。ただ貴方が学校で得た知識や技術は学校でしか通用しないかも知れない。そう思っていた方がいいでしょう。大学を卒業して直ぐに「先生」と呼ばれてきた僕達は、頭を下げることに慣れていません。まず営業には向いていませんよね。そして自慢できるくらい他の仕事のことは分かりません。ところが学校を一歩外に出た世界は「頭を下げる」ことばかり。偉そうに腕組みなどはしていられないのです。

格好よりも大事なことは生活です。やめる前に、辞めた後の生活設計ができているか、もう一度確かめる必要があります。勢いで外に飛び出しても、外の世界は意外と厳しい。年金受給資格は25年。辞めた後も国民年金を納めないと、年金は受給できません。共済をやめると、国保に入ります。それも毎月払わないといけません。辞めると次の年の所得税は大変です。退職金をごっそり持っていかれます。学校の先生が自分から辞める。失業手当はでません。知ってましたか?今、貯金はありますか?お子さんの学費は?ローンは大丈夫ですか?

生活のために教師を続けていたって、全然恥ずかしくはありません。それどころか立派なことだと思います。学校という世界で燃えられなくなったら、それはそれで割り切って「先生」をやればいいのです。大事なことは「背中で教える」ことです。燃えられなくても、生活のために頑張る姿は子供たちには「格好のいい背中」に見えるでしょう。そして何かの瞬間に、また燃えてくるかも知れません。突然授業に燃えることだってあるでしょう。貴方の努力や魅力を理解できる同僚や上司と巡り合えるかも知れないのです。そして何より素晴らしい子供たちと巡り合えるかも知れない・・・

僕は学校を辞めて、たくさんの人と知り合うことができました。学校の外には魅力のある人たちがたくさんいました。僕は今、その出会いに感謝しています。その代わり、後輩を育てることも、可愛い子供たちと出会うこともなくなりました。学級通信を書くことも、通知表を書くことも、内申書を書くこともなくなりました。どっちもどっちなのです。同じように見える「教師」という仕事にも毎年出会いがあります。それが“縁”です。学校の中でも、学校の外でも“縁”はあるのです。我慢ができない学校でも、来年はいい“縁”がある。そう思うことが大切です。僕はそのことが信じられませんでした。21年間子供たちとの縁は最高でしたが、管理職との縁はそれまでと比べて最低。そのショックに耐えられませんでした。しかし、それも今思えば最高の縁。そのお陰で学校を辞めるエネルギーが出てきたのですから。そして議会で発言するパワーもその時の“怒り”が、今も源になっています。世の中に理不尽なことがある。弱い人たちのために理不尽なことは許さない。「弱い人たちのために理不尽なことと戦う」そう決めて、発言し、そして発信を続けているのです。ですから、今ではその方たちに感謝しています。僕に新しい人生を提供してくれたからです。新しい人生は時間的に「ゆとり」のある人生でした。家族との時間が十分に取れる人生という意味です。生活ができて、新しい人生のほうがゆとりがある。そういう自信があるのなら辞めることを止めません。世の中は大恐慌・・・なかなか現実は厳しいですが。
*随分前に書いた文章なのですが、(なるほどなあ)と思うところもあれば、(何を偉そうに)と思うところもあります。昨日も書きましたが、僕は先生という仕事を辞めて欲しくないと思っています。僕が居た頃の先生達にも、今の先生達にも大きな魅力を感じているからです。その魅力ある先生達がたくさん辞めていくのを僕は見てきました。子ども達を愛してやまなかった先生達が、学校を去っていったのです。定年ならばしょうがない・・・でも、定年を何年も前に去っていく先生達がたくさんいました。100%の力を発揮できてば、まだまだやれる先生達でした。そういう先生達が多かったのは管理職の力のなさだと、僕は思っています。先生が思い切り子どもたちのことを考えて生きていく仕事なら、管理職は思い切り、先生たちのことを考えて生きていく仕事です。ところが、自分のことばかりを考えている管理職が多いと、先生達は苦しくなっていくのです。先生達が上ばかり見ていると、子どもたちが苦しくなっていくように・・・・。校長が自分のこと、つまり上ばかり見ていると先生達が苦しくなっていくのです。
校長だって、やがては辞めていくのです。その時に、どれだけの教え子の名前を覚えているでしょう。その時にどれだけの先生たちの名前を覚えているでしょう。そして、その時にどれくらいの教え子や先生達になまえを覚えてもらっているでしょう。校長先生たちは、そういうことを考えて生きて欲しいと思います。先生でいられるのも、校長でいられるのも人生の一時期です。できることなら、みんなの心に残る先生であって欲しいし、校長であって欲しい。僕はそう思うのです。

今日の写真1
説明会の様子です。立って説明しているのは須田市長です。今日の質問に対しては殆ど須田市長が答えていました。
今日の写真2

吉田よしのり県議会議員です。駅立ちの僕の先生です。明日は僕がひばりヶ丘に立ちます。参議院選挙や入院で2度も延期になりました。久しぶりの駅立ちです。

今日の写真3
後ろ姿で分かる人は新座市議会通です。嶋野さんと島田さんがわかりますか?

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