8月28日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第235弾! 2010.8.28(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第235弾! 2010.8.28(土)  たかやん

合同クラス会
今日は、五中4期生の合同クラス会。3年1組と3年4組のクラス会。正確に言うと、2年1組と2年4組の合同クラス会でもある。そう、僕の21年間の教員生活で唯一持ち上がったクラスでもあった訳で・・・。

担任
「どうやって持ち上がったの?」とよく聞かれるが・・・真相はこうだ。僕は1年3組の時から、「持ち上がりましょう!」と言ってきた。そりゃあそうだ。愛してやまない子ども達と別れたくはなかったのだ。だから・・・・21年間、卒業の時以外は常に「持ち上がりましょう!」と、言ってきた。30年前のあの時もそうだった。ところが、T先生とMが難色を示した。そこで、あの手この手を使って、懐柔したのだ。彼女達は最終的には僕の案に乗ってきた。しかしだ・・・問題はあった。2年4組の担任が異動になったのだ。「それでもいいよ!」と、言ってくれたのだが川島勝治と笠原進の二人。二人とも「それでもいいから担任をやりたい!」と、言ってくれたのだ。普通では考えられないことだった。他の人が作ったクラスを引き継いで担任をして卒業させるのだから・・・・そして、彼らは廊下に出て、ジャンケンをした。勝った方が担任をやるという約束で・・・・その世紀のジャンケンに勝ったのが川島勝治だったのである。

2年B組
当時はあの金八先生が始まった時だった。我が2年1組のプレートはマジックで2年B組と書き換えられた。そして、殆どのイベントに優勝したのである。一方、2年4組は何をやっても勝てないクラスだった。ところがだ・・・全く同じメンバーで持ち上がった3年4組は違った。イグンダ(渡辺豊先生)から川島勝治に変わった途端・・・僕ら1組のライバルになったのである。それは一人の生徒(大狭 清泰)の「先生1組に水泳大会絶対に勝ちますよ!」という、一言で始まった。

清泰
彼は1年生のとき、僕のクラスだった。テニス部ではババツ(馬場 英幸 3年1組)と組み、新座市のチャンピョン。負けず嫌いだったのかも知れない。僕ら1組は4組なんぞ眼中になかった。ライバルはあくまでも3組だったのだ。ところが、その水泳大会に負け・・・体育祭に負け・・・そして合唱コンクールまで負けてしまったのだ。優勝したのは全て4組。父さんが死んで、3〜4週間、僕がいなかったとはいえ、1組は4組に負け続けたのである。頭にきた僕は、僕は廊下に詩を張り出した。タイトルは“憎き川島勝治”である。

全員
その4組の子達と30年ぶりに会った。不思議だったのは全員の名前がフルネームで言えたこと。担任の川島勝治が分からない子も僕には分かった。それだけ、当時の子ども達とは深い関係だったのかも知れない。つづく

今日の写真1
乾杯、直前の4組のテーブルです。左から、川島勝治、真紀江ちゃん、久美ちゃん、暁子ちゃん、美佐子ちゃん、そして僕です。このときの時間は18時30分頃。20時30分までの時間が、あんなにもはやく過ぎていくとは・・・この時は思っていませんでした。

今日の写真2
同じく4組のテーブルです。左から文夫、いづみちゃん、薫ちゃん、そして坊主頭のイグンダです。イグンダ先生は新潟から駆けつけてくれました。「いくつになったの?」と聞くと「61だよー!」と返ってきました。随分先輩だったことに、今日気づきました。当時の僕は25歳。生意気な後輩だったんだろうなあ・・・。

今日の写真3
そして我が1組の女の子達です。左から有希子、僕、尚美、そしてポッポです。本当に久しぶり・・・嫁いだ娘達というよりは、妹達に会えた。そんな感じがしました。僕とは11歳しか違わないんです。我が家のひとみよりも年齢が近いんですねえ・・・。

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