9月18日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第257弾! 2010.9.18(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第257弾! 2010.9.18(土)  たかやん

体育祭
8時15分、久しぶりに六中の校庭に入った。10年間、毎日走った校庭は何の違和感もなく、僕を受け入れてくれた。校庭の向こうの雑木林も晴れ渡った空も・・・六中の体育祭を暖かく見つめてくれていた。

校歌
ブラスバンドに合わせて、六中の校歌を大きな声で歌った。六中の校歌も、大きな声で歌う僕を喜んで受け入れてくれたと思う。六中の校歌は日本一美しい校歌だ、と僕は思っているから。

来賓挨拶
市教委の小松先生が来賓の挨拶をしてくれた。市議会からは細田さん、北村さん、嶋野さん、僕と4人来ていた。校長先生が「どなたか挨拶をお願いします。」と、言われたので(最年長の細田さんかなあ)と、思っていたら・・・「私が」と嶋野さんが立候補してくれて・・・無事、市議会の挨拶も終わった。

来賓紹介
(え?そんなのいつからやるようになったの・・・)と、思った。子どもたちは既に飽きていた。そりゃあそうだ。見慣れないおじさん、おばさんが本部前にズラーっと並んで、「はい!」と返事をしてから一言いうのだから。勿論、僕は返事をしないで帽子を取って一礼しただけ・・・それだけで、子どもたちには受けていたけれど・・・子どもたちのために、少しでも早く終わらせたいと思ったのだ。体育祭に来賓紹介はいらないと思う。昔はそんなものはなかったのだから・・・体育祭の主役は生徒。来賓じゃあない。僕らは飾り物のようなもの。それが証拠に、殆どの来賓が途中でいなくなるのだから・・・・

五中
午後からは五中に行った。この学校の温かさは格別だ。どこへ行っても、知っている顔が多いのだ。教え子達がお父さん、お母さんになっているのだから当たり前か・・・・・・。ガラガラの来賓席に荷物を置いて、僕は「応援合戦」の採点を始めた。

応援団
五中には僕らが作った応援団が残っている。それが「赤団」だ。昭和52年、体育祭の担当になった僕らは「赤団」と「白団」という二つのチームを作ったのだ。それは体育祭で有名な僕の母校、「石神井高校」の赤団、白団、青団をイメージして、盛り上がる体育祭を願ってのことだった。それから10年、五中の体育祭は確かに地域の名物体育祭になっていった。「応援団」「騎馬戦」「棒倒し」そして全校生徒が絶叫する「校歌」。僕らが目指したものは、明らかに「硬派」のものだったかも知れない・・・・。勿論、今の五中と当時の五中では色んなものが違う。新任の教師が校長になり、生徒だった子たちが親になっているのだから・・・・・。それでも、今日の五中には昔の自分を思い出させる何かがあった。生徒と一緒に必死に走る担任の姿があった。弾ける笑顔と歓喜の涙があった。そして、悔し涙も・・・・。中学生達が見せる涙は、いつの時代も美しい。そして、何か大切なものを僕らに思い出させてくれるのである。

今日の写真1
五中名物の「よさこいソーラン」です。僕らの時代は「赤団の安来節」と「白団のエッサッサ」だったのですから、時の流れを感じます。子ども達が躍動していたことは、今も昔も変わりません。

今日の写真3
閉会式で校歌を歌いました。子どもたちが肩を組んで歌うので、僕も同期の先生と肩を組んで歌いました。声って不思議ですね。隣から聞こえてくる声は、当時のままなんです。声も歌い方も全く同じ。神さん!今日の校歌、雲の上で聞いていましたか?僕達の声、五中の子ども達の声、神さんに届きましたか・・・。写真が掲載できないのが残念です。でも、神さんには見えていましたよね。敞一郎先生も佐倉田さんも、幸子先生も、みんな見ていてくれましたよね!たかやん

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