9月22日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第261弾! 2010.9.22(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第261弾! 2010.9.22(水)  たかやん

兄貴の誕生日
今日は直ぐ上の兄貴の誕生日。小さい頃は、どれだけいじめられたか分からないくらいイジメられたが・・・今では、本当にいい兄ちゃんである。どんなイジメをされたかって?

ママごと
有名な話なので、どこかで書いたと思うけれど・・・ある日、男の子だけでママごと遊びをやると兄貴が言い始め・・・兄貴はお母さんで、僕は子どもの役。朋矢「お母さん、晩御飯はなあに?」達矢「スパゲッティーだよ。朋矢、買物に行って、スパゲッティーを買ってきておくれ」朋矢「え、どこに売っているの?」達矢「庭の畑の石の下に沢山いるだろう?」「・・・・・」「いいから早くスパゲッティーを取って来い!」「・・・・・」ママごとの家に帰ると、達矢はアルミの器にお湯を沸かしており・・・ミミズを茹でて。「さあお食べ」朋矢「え?本当に?」達矢「お母さんの言うことが聞けないのか!痛い目をみるよ!」朋矢は泣く泣く、ミミズのスパゲッティーを食べたのでした。この話には後日談があって・・・・次の日にも達矢はママごとをやると言い出し・・・今度は「今夜はマカロニよ」と一言。僕はプラタナスの木によじ登り、アメリカシロヒトリの幼虫(毛虫)を大量に取ってきたのであった。アメリカシロヒトリの幼虫は流石にミミズのようには美味しくなくて・・・特に緑色の汁が酷い味で・・・僕は少ししか食べられず、達矢に怒られたのであった。

牛の目玉
今だから言えることだが・・・六中時代の理科準備室に牛の目玉が置いてあった。勿論、解剖して目の構造を知るための教材だったのだが・・・解剖好きの僕は、理準で解剖してみた。すると、牛の目玉の水晶体がポロンと出てきたのだ。その水晶体(レンズ)の透き通って綺麗なこと。(美味しそうなこと・・・)ミミズや毛虫よりは遥かに美味しそうだった訳で・・・僕は思わず、生の牛の目玉を食べてみたのだ。その味と言ったら・・・それまで食べた(食べさせられた)どんな生き物よりもまずかったのである。勿論、その後の理科の授業では「これがまた旨いんだ!」と、言って生徒数人に目玉を試食させてみた。あのまずさを独り占めしてはいかん。そう思ったのである。今、やったら新聞に載っていたかもなあ・・・。その時の中学生とは何か連帯意識みたいなものがあって・・・「俺達は牛の目玉を食べた仲・・・」そんな絆が生まれたのであった。

討論
おっと、馬鹿話を書いている場合ではなかった。今日はいつものように小学校へ行って、純一も来てくれて、冬ちゃんママも来てくれて・・・9時から議運があって、9時半からは本会議があった。今回の補正予算に対しては、全ての会派が賛成討論するという初めての経験をした。最初に政和会の嶋野さんが討論をして、次が公明党の白井さん、そして共産党の小鹿さんが討論すると、刷新の会の平松さんも討論。最後に語る会の僕が討論して、目出度く全会派制覇!と、なったのであった。

電話
今日は電話の多い日だった。電話があるということはいいことで・・・どうでもいい人には誰も電話しないだろうから・・・

算数
小学生の塾は図形からスタート。1年生に多角形の内角の和などが理解できるか心配だったが・・・・掛け算と割り算ができればなんということはなく・・・あっさりクリアーしてしまった。柔らか頭に乾杯である。

理科
中学生の塾は五教科全てが基本である。どの教科も説明は短く、簡潔に・・・をモットーとしているのだが、理科となると駄目。話が脱線し、どんどん深みにはまってしまうのだ。21年間の癖はなかなか抜けないものである。

日記
この日記は何のために書いているのか・・・・正直にいうと、子どもたちの為に書いているのです。僕の3人の子ども達と、僕を「先生」「たかやん」と呼んでくれた子どもたちの為に書いています。応援団長の一早には悪いけれど、この日記で票をもらおうなどと考えたことは一度もありません。(ごめんね)だからどうしても日常のことになる。議会があれば議会のことを書くけれど、それも僕の日常の一こまでしかないのです。この日記を読む人はもともと、僕のことを「たかやん」と呼んでくれていた子ども達か、その親。そして、駅で実際に僕と会って、僕の議会報告を読んでくれている人たちでしょう。勿論、それ以外でも読んでいる人たちはいるでしょうが、その人たちは絶対に僕に票を入れる人たちではありません。第一こんないい加減なことを書いて票になど、なる訳がない。選挙はそんなに甘いものではありません。駅に立って、数千人に無視をされた人にはわかるでしょう。今朝は何をした、今朝の朝ごはんはこんなだ。土曜日にはどこへ行った。こんなものを見た。そんなことで票が入るようならみんながブログをやっています。だから、僕を応援していない方達、安心してください。この日記で僕の票が減ることはあっても、増えることはありません・・・・。毎朝のように駅に立っている人たちに失礼ですよ。

友達
少し前に川越の親友がこんなメールをくれました。
たかやん様

日記に
『あそこで一人で喋っていると、時々自分の感性だけがおかしいのか・・・と思うことがある』という記述がありましたが、大丈夫です。

たかやんは議員である以前に、一市民であり、一父親であり一先生であったわけですし、もしたかやんがおかしいのであれば、次回の選挙で市民が判断をくだします。議員感覚ではなく、市民感覚と生活者感覚と教師感覚、
(それから、元子供感覚)を忘れなければ、大丈夫です。

でもね。たかやん日記を読んで思うのだけど、新座だから議会中にポロッと本音が見えちゃうわけで、これがわが市だったらどうなるんだろうと想像するに・・・・・・・・

教育長は「議員さん(議員に“さん”を付けるのが、わが市方式か)のおっしゃることを十分に踏まえ、前向きに検討してまいりたいと存じます。御意見、ご指摘、ありがとうございます。」なんて答弁書を一本調子で読み上げるね。

「検討」だから、やってもやらなくてもいいわけで・・・。例えばあとで「何でやってないんだ!」と突っ込んでも、「検討した結果、このような方法をとりました。」とか
「検討しているところでございます」なんてね。確かに「やる」とは言わなかったわね。
「検討」って便利です。「やる」「やらない」を検討するわけで、「検討」すればそれでいいわけです。「検討」だっていつまで続くかわからないわけで、ずっとずっと検討中だったり・・・。

そう思うと、新座の教育長は、正直というか、しかしこれもまた一問一答方式の中で、ポロッと出てくるわけですから、わが市より進んだ議会といえます。

『どうせ蜂になるのなら、「オオスズメバチ」になりたいと思う。』ということでしたが、それがいいです。大きな団体の中の1匹であったら、そのほかの多数に、襟首をつかまれて、「待った」をかけられることがありますものね。

自分の考えとはズレが出ても、多数の中の1匹は、押さえつけられることもあるわけです。しかし、市民は「会派」に投票したんじゃないぞ!!「○○候補」に票を託したんだぞ!
そうは言っても、多くの市民は、自分が投票した議員が、どこの会派に入っているかも知らないでしょうけどね〜。

塚本 千恵子 (*^−^)ノ

ポイント
ちょっと長いのですが、ポイントはここです。“たかやんは議員である以前に、一市民であり、一父親であり、一先生であったわけですし、もしたかやんがおかしいのであれば、次回の選挙で市民が判断をくだします。”
そう、僕は議員である前に、一市民であり、一父親であり、一教師の目を持っているのです。だから、僕の日記は先生方には読んで欲しい。(父親の感覚を、地域の人間の感覚を知って欲しいから)市役所の職員にも読んで欲しい。(一市民の感覚を知ってほしいから)
教育委員会の先生方にも読んで欲しい。(21年間、子ども達と一緒に生きてきた教師の感覚を知って欲しいから)でも、おかしいことを言ったり、書いたりすれば市民がそう判断するのです。僕は議員という肩書きなどはどうでもいいのです。僕を応援してくれている人たちは僕のことを議員などとは思っていません。だから何歳になっても「たかやん」なのです。それが証拠に誰からも「たかむら議員」と呼ばれたことはありません。あくまでも「たかやん」なのです。だからこそ、この「たかやんの応援団」が存在できているのです。
今の僕の大きな目的は、「新座の学校をよくしていくこと」「教育新座」を復活させること。その為になら、どんな人とでも誰とでも協力します。

今日の写真
我が家の庭に咲いた朝顔です。空の朝顔の種が落ちて・・・芽が出て、新しい命が誕生しました。夏が終わる前に、秋が来る前に咲いてしまえ!っと咲いたのでしょう。こういう季節はずれの花が僕は好きかも知れません。普通ばかりじゃあ面白くない。そう思っているのかも知れません。               たかやん

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