9月23日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第262弾! 2010.9.23(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第262弾! 2010.9.23(木)  たかやん


新聞を取りにいってホールの玄関の鍵を開けようとすると・・・「あれ?鍵が刺さっている」そう、同じマンションの誰かが、鍵を抜き忘れていたのだ。(さて、どうするか・・・)少しだけ悩んで、僕は張り紙をした。“106号室で部屋の鍵を預かっています。連絡ください。たかむら”と電話番号も書いておいた。しばらーくして、インターホンが鳴って・・・・「家の鍵だと思います。ありがとうございます。」と落とし主が現れた。僕は直ぐに渡したいのを我慢して・・・「すみません。疑うわけじゃあないのですが、確認させてください。」とその方の家まで行き、その玄関鍵かどうかを確認して・・・鍵を返したのだった。めでたし、めでたし。

秋分の日
そう言えば妙に寒い一日だった。やっと秋がどんなものか思い出した感じである。外は雨・・かなり酷い雨ということで・・・半日、議会報告の編集をしていた。

お通夜
18時からはあっちゃんのお父さんのお通夜。そういう時代になってきたのか・・・と、寂しくなってきた。手を合わせていたら、母さんのことを考え始めて・・・涙が出てきてしまった。(そう遠くない将来、きっとこういう別れをしなくてはいけないのだ。)そう思ったのである。母さんの世代の人がどんどん亡くなっている。母さんにはまだまだ、元気で居て欲しいなあ・・。

所北
あっちゃんの高校時代の友達も来ていた。「北高だったんだ?」「はい」「テニス部?」「そうです。」「あ、俺達はあっちゃんの中学時代の同級生」「そうなんだあ」「江島先生だったよね。」「え、何で知ってるの?」「俺もテニスやってたから」「え?硬式やってたの?」「うん、北高の練習見に行ったことあったもん。」「じゃあ北高にくればよかったのに・・」「それは・・・行けない事情があったんだよ。」「行けない事情かあ」「うん」隣で僕らの会話を聞いていた道哉は大笑い。彼女達は僕をあっちゃんの友達だと完全に思い込んでいたのだ。「五中だったら、中島君ともう一人、誰だっけ・・・あ、平野君いたよね。」「いたねえ、中島と平野。」「ねえ、なんで北高に来なかったの?」「いやあ、色々事情があって・・・・」(大学は何度でも行けるけど、高校は一度しか行けないんだよねえ。)「そっか・・・立教に行ったんでしょう?」「立教ねえ・・」それもちょっと無理な話だった。僕はあっちゃんの高校時代の友達と一瞬で友達になり、手を振って、バイバイをしたのだった。

優里
あっちゃんの上の子はサッカー選手。しかもかなり有名な女子高生なのである。小さい頃は「たかやん塾」に通い、よく堂坂公園で一緒にサッカーをやっていた優里。その頃から「男の子だよねえ」と言われていたのだが・・・髪の長い、女子高生になって僕の前に現れ、笑顔で挨拶をしてくれたのだった。

久しぶり
直子、安部久美子、宏美にも久しぶりに会えた。クラス会では会えなかったのに・・・嬉しいような寂しいような・・・あっちゃんの弟のひろ君にも会うのは卒業以来だろう。雅明のお母さんにも久しぶりだったし・・・さいごは賢一の車に直ちゃんと一緒に乗せてもらい、我が家まで送ってもらったのであった。「今度甲神先生の所に遊びに行こうぜ」「そうだね」急に茨城の笠間にいる嵒に会いたくなったのだった。

今日の写真1
カラオケで熱唱する直弘です。川掃除の主要メンバーで、空手家であり、マラソンランナーでもあります。中学生の時は小さくて、学級委員だったんじゃあなかったかなあ。当時の僕のクラスは「今回は面倒だから、一番チビの奴、学級委員な。しっかり並ばせろよ!」と、あっちゃんやババツが学級委員になっていたのです。本当にいい加減な担任だったのだなあと思います。

今日の写真2
そのいい加減なクラスで育った子達です。左からポッポ、アキ、理子、ババツ、尚美。みんな久しぶりに会って本当に嬉しそうでした。この写真を撮っている担任が一番嬉しかったのかも知れませんが・・・・あの時15歳だった子達がもう45歳なんですからねえ。当時の僕は26歳・・・彼らより遥かに年下だったのです。26歳の僕は、彼らに何を教えていたんでしょうねえ。

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