1月15日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第15弾! 2011.1.15(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第15弾! 2011.1.15(土)  たかやん

体操
朝起きて、歯を磨いて、新聞を読んで・・・体操。そしてお風呂に入って読書。少し前まで「学生の時にもっと勉強しておけばよかった!」って思っていたけれど、「今、やればいい。今、学びたいことを学べばいい」って思うようになった。あの頃は、あの頃でやらねばならぬことがあったのだ。それがどんなにくだらないことでも、当時の自分には大事なことだったはず。そう思うようになってきた。大事なのは今だ。今、学ぼうとしない大人が、こどもたちに向って「勉強したほうがいいぞ」なんて言葉はいえない訳で・・・・。同じことが運動にも言える。子どもの頃、運動をしたほうがいいのは当たり前だが・・・今こそ、体を動かす必要があるのじゃあないか。生涯、現役で生きていく為には、それなりの努力をしなくちゃいけないと思うのだ。大人なのだから、自分の時間は自由に使える訳だし、病気にならないように普段から努力する。それが今、大事なんじゃあないか・・・「毎日の法則」は今の僕のためにあるのだ!そんなことを朝から考える空父であった。

毎日の法則
僕の人生の中で、一番長続きした「毎日の法則」は24歳の時から始めた、「一生懸命」という学級通信日記かも知れない。前半は毎日という訳にはいかなかったけど、後半は毎日書き続けた。(20年間)それがもとで塾日記も書き続け、そしてこの幻のたかやん日記も6年11ヶ月書き続けいるという訳だ。ここまで来ると、止める方が難しいから・・・もう死ぬまで何かを書き続けると思う訳で・・・「毎日の法則」は本当に凄いなあと思うのである。

これからの毎日の法則
この日記や毎月の議会報告はもう習慣になったから、これからも続くとして・・・今から毎日続けたいことは何だろう。気胸で中断してしまったテニスの素振り、なかなか弾く曲が増えないピアノ、英語の小説は何でも読めるようにはなったが、それからは一向にレベルが上がらない英語、体が硬くなってきたのになかなかできない体操とストレッチ、体脂肪率が17%になってしまったのに、やっていない筋トレ、そして全く強くならない囲碁・将棋・・・少しずつでもいいから、毎日やろうと思うものは随分ある。これからの人生を豊かにしていくには色々できたほうがいいに決まっている。趣味が増えれば、新しい友達も増えるのである。(子ども達にもちょっぴり尊敬されたいしね)勿論、議会の仕事は毎日やらなきゃだし、塾の授業の内容を必死に考えなくては子どもたちの進化はない。隙間時間を上手く使ってやるしかないのである。

DNA
父さんは沢山の本や詩集を出版した。母さんも本を数冊出している。どうやらそのDNAが疼いてきた。そろそろ新しい何かを書き始めなければいけないような気がしてきている。

3300回
昨日は二重跳びが7回しか飛べなかった空が、今日は連続で14回も跳んでビックリ!そして、僕らがテニスを1時間ちょっとしている間に3300回も(一回旋)跳んだのだから驚いた。ついこの間までは、全然跳べなかったのだ。腕が開いて、腕が上がって・・・酷いものだった。それが今日は3300回、綺麗なフォームで跳んでいた。スイミングの力は恐ろしい。選手コースには縄跳びのトレーニングがあるし、やたらと持久力がついてきたのである。僕らがテニスをしている間はゲームをしていることが多かった空だが、ここにきて何かが変わってきている。7歳の空。脳みそも体も今が伸び盛りということだろう。思わず「天才は10歳までにつくられる」(横峯吉文)を読みかえしてしまった。

今日の写真1
今から38年前、大学1年生、18歳の西谷昭です。今とフォームは変わっていないかも知れません。兎に角、強かった記憶があります。(インターハイベスト8ですからねえ)まさか、一緒にダブルスを組むようになるとは夢にも思ってませんでした。当時は唯の敵味方でしかなかったのです。今の学生たちのように、戦いが終わって、一緒に泊って、飲み歩く・・・などは考えられませんでした。その分、今取り返している感じです。

今日の写真2
今から38年前、大学1年生、18歳の空父です。ここは仙台の東北大学のコートで、隣のパートナーは2年生の田村多喜志。東北大の石川・石川に完全にやられた試合です。多喜志は先輩ですが、いつも「多喜志」と呼び捨てにしていました。嫌な後輩ですよねえ。4月のOB7大戦では、久しぶりにダブルスを組めるかも知れません。

今日の写真3
今から41年前、中学校三年生の時に空父が憧れていた裕美さんです。中3の時に、僕の左隣にはみはるちゃん(御茶ノ水からハーバードの先生になった才女)、右隣には裕美さん(都立駒場高校時代に通訳1級を取る)が座っていて、いつも勉強を教えて貰っていました。僕の偏差値が42から75になったのは、この二人と日暮正厚(開成から東大)のお陰なのです。特にみはるちゃんと裕美さんには頭が上がらず、弟のように可愛がられていた記憶があります。同級生なのに本当のお姉さんのようでした。裕美さんは日暮(ひぐ)のことが好きだったので、僕は応援していました。好きな人に幸せになって欲しい。15歳の僕でもそう思っていたんです。この写真を見ると、今でも少し切なくなります。

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