1月19日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第19弾! 2011.1.19(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第19弾! 2011.1.19(水)  たかやん

統一地方選
僕の周りが騒がしくなってきた。選挙は4月、もう勝負はついているのかも知れないが、これからスタートという暢気な人もいるようだ。最初の選挙で何一つやらないで落選した僕が言える立場ではないが・・・・僕らの選挙もあと1年。いつも通りのことをやるだけだし、それが一番大事だと僕は思っている。

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ふふふ。やっと血糖値が正常に戻った。正月の怠惰な生活が、僕の血液に与えた影響は大きかった。血糖値が上がったのである。食事と運動だけで、この血糖値を下げる。それが僕のやり方である。そして、正常に戻ったご褒美に、休みの日は少しだけ飲ませて頂くのである。そして、今日もトレーニングを2時間ほどやってみた。くたくたになったが、体は軽い。ミトコンドリアが増えたのかも知れない・・・・ふふふ。

旨いもの
86歳の母さんの先は、そんなには長く無いだろう。あと50年くらいは生きて欲しいが、それだと僕の方が先に逝ってしまいそうである。母さんの楽しみは「韓国ドラマ」に「雪とのお喋り」「亮との散歩」「空の成長」そして「三度の食事」・・・。僕が出来ることは、なるべく美味しいものを食べさせてあげることかも知れない。旨いものを食べて、元気に長生きしてもらって・・・沢山の笑顔を胸に旅立って欲しい。そう思うのである。

親は先に
子どもたちや親によくこういう話をした。「今までの人生で、一番辛かったことは父親が死んだことです。本当に苦しかった・・・でも、それでいいのです。親は子どもよりも先に死んでいいのです。君たちにもやがてそういう日が来る。でも、それでいいのです。親は子どもより先に死ななくてはいけないのです。君たちは親より先に死んではいけません。絶対にいけません。子どもは親の死に耐えられるようにできているけれど、親は子どもの死に耐えられるようにはできていないのです。だから、お母さんたち、先に死んでください!」ここで、教室は大爆笑するのだが・・・僕も何とか長生きはするが、子どもたちに送られたいと思うのだ。子どもたちを送るのだけはごめんである。

遺言
子どもたちへ。父さんはいつ死ぬか分からないから、これだけは言っておく。葬式はやってもいいが、金はかけるな。一番安い奴でいい。墓はいらない。戒名もいらない。何もしなくても天国(極楽)へ行ける自信があるから、坊さんのお経もいらぬ。葬式の時間があったら、俺の棺の前で、みんなで俺の思い出を語ってくれ。俺が知らない(忘れている)話も聞けるだろうから、俺の前で頼むぞ。場所はどこでもいい。面倒なら安い葬儀屋さんに頼めばいいが、安くても記憶に残る葬式?にしておくれ。見栄は張らないでいいぞ。俺の骨はみんなで適当に分けてくれ。欲しいという教え子もいるかも知れないから、いたら気前よく分けてあげてくれ。余った骨や灰はお前たちが「ここだ!」と、思うところに撒いてくれたらいい。小さな瓶に入れてそばに置いてくれてもいいが、日本であればどこに撒いてくれてもいい。俺は死んでも、お前たちの中に生きている。DNAとしても、思い出としても生きている。だから悲しむことはない。一生懸命生きればそれでいい。お父さんはいつでもおじいちゃんと会話ができるぞ。苦しい時はお前たちのお祖父ちゃんの声がお父さんを助けてくれていたんだ。だから、お前たちも安心して生きていけ。父さんはこれからも頑張って生きるが、何かがあって死ぬことがあったら・・・延命装置などはいらぬ。気持ちよく自然に死なせてくれ。勿論、必要な臓器があったら、どんどんあげてくれ。おっさんの臓器じゃあ役には立たないかも知れないが・・・・。お父さんは、お祖父ちゃんと囲碁でもやりながら、(麻雀かも、いや将棋かな)お前たちのことを見ているよ。そして、いつの日かまた向こうで会おうじゃないか。そして語ろう。お父さんは死んでも、お父さんの魂は不滅だ。お前たちも死ぬその日まで楽しく生きろ。おじいちゃんが詩集に書いたように、お前たちは何があっても生き抜いていける、雑草の種なのだから・・・。

雪へ
もう直ぐ誕生日だね。お前が生まれてからもう31年が過ぎようとしているのかと思うと、時の流れを感じます。雪が生まれて、みんなで本当に喜びました。お父さん(父やん)は雪が可愛くて、可愛くてしょうがありませんでした。それなのに、随分かわいそうな思いをさせてしまったね。もっと、もっと一緒にいたかったのに・・・離れ離れになったこと、許してください。お祖父ちゃんが「雪に寂しい思いをさせるなよ!」と言い残して逝ったのに・・・守れませんでした。本当にごめんね。雪と言う名前、父さんは大好きです。

亮へ
心臓の手術が成功して本当によかった。昔のような亮の笑顔を見ることができて、父さんは幸せです。亮とテニスをするのが夢だったけど、それも実現できました。もう一度一緒にサッカーをやるのも夢だったけど、それもできました。手術の時は将棋もできたよね。亮とやりたいことはまだまだあります。4月から社会人ですが、いい仲間といい先輩、そしていいパートナーと出会うことを、毎日祈っています。家族が二つに分かれたとき、一緒にいてくれてありがとう。一番苦しい時に、亮が傍にいてくれて父さんは幸せでした。

空へ
この日記を読むのは、空が大きくなってからになるでしょう。その時、父さんが生きているかいないかは分かりません。でも、これだけは伝えたいのです。父さんの子どもに生まれてきてくれてありがとう。空は父さんと生きた時間が一番少ないと怒るかも知れませんが、その分ずっと一緒にいまいた。雪は勿論、亮よりも一緒に色々なことをやったと思います。父さんは空の笑顔が一番好きです。そして、空の真剣な顔も大好きです。北島康介のようにオリンピックで活躍するのが夢でしたね。スポーツでトップになるのも、頭でトップになるのも空ならできるかも知れません。父さんも母さんも空の力を信じています。大丈夫、一生懸命やっていれば道は開けます。母さんをよろしくね。空父より。

今日の写真
僕のニコマートです。今のカメラはcannonのデジカメですが、それ以前は殆どこのカメラで撮影していました。何十年も活躍して、今は僕の部屋の片隅でお休みしています。

今日の写真2
1年4組時代のなよ。雪と同じ学年ですから、今はもう31歳になるはずです。学校というところは本当にいいところで、こういう笑顔が毎日見れる訳です。笑顔を見ていると、自然に笑顔になりますから、先生って幸せな仕事なんです。

今日の写真3
六中最後の体育祭での写真です。3年1組の子たちとの3人4脚でしょう。こういう種目はいつも勝っていましたね。チームワークが必要な種目には強かったのです。この子達ももう29歳になっているはずです。今朝、八石小の前で手を振ってくれた哲也はこのクラスです。みんなに会いたいです。

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