4月11日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第100弾! 2011.4.11(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第100弾! 2011.4.11(月)   たかやん

口内炎
昨夜のさくらの当選を確認して、パソコンに向かい・・・寝たのは3時過ぎ。それからいつものように空の登校班を確認してから、ダッシュで東門へ。どんなに辛くても、習慣になってしまえば大丈夫。そう気持は大丈夫なのだが、体は正直で・・・また口内炎ができてしまった。人間て不思議ね。

子離れ
「毎日学校へ行くなんて・・」「子離れできてないんじゃないの?」と言われることがある。今日もある人に言われたのだが・・・・それは大きな勘違い。原発の事故を“想定外”というどこかのお馬鹿さんと同じである。学校の不審者対策は万全ではない。どこからでも入ってこられるようになっている以上、黄色い腕章を付けている大人が学校の周りをできるだけ、ふらふらしていることは重要なのだ。昔、中学校の女子トイレに不審者が入ったことがあったが・・中学校なら、男子生徒が大勢いるから大丈夫というのも、想定外と同じである。勿論、僕らが一日中張り付いていることなどできないし、そんな暇もない。大体いい大人が「子離れ」できなくて学校へ行くなどありえないではないか。今の時代にそんな暇な社会人がいてたまるか。俺はただ、やれることだけはしておきたい。悔いが残らないようにしたい。ただそう思うのである。東門に大人がいなくても、今までは事故が起きなかった。それは、この間の新座小だって同じだ。今までなくても、これからは分からないのである。だから、毎朝立っているのだ。それを「子離れ」と結び付けるとは・・・余りにも想像力が貧困である。想像力のある大人なら、毎朝、自分の時間が1時間以上取られる事を考えてみれば直ぐ分かるだろう。この歳になって、意味のないことをするほど、俺は暇じゃあない。人生とは時間そのものだ。残り時間が少なくなってきた今、俺の残された全ての時間に意味があるように生きていきたいのだ。

物を大切に
言葉でいうのは簡単だ。でも、そのことを子ども達に伝えるのは難しい。学校の先生も一度被災地へ行くといい。自分の目で、被災地の学校がどんな風になってしまったのかを見てくるといい。子ども達は色んな県から届けられた服を着て、ランドセルをしょって、ノートを使っている。教科書のない子達もいる。制服のない子もいる。学校そのものが避難所になっていて、授業ができないところもあるのだ。被災地の子ども達は「ものを大切にする」ということを今、身をもって学んでいる。ノート1冊、鉛筆1本がどれだけ大事なものだったか・・・被災地の子ども達は、今それを感じて生きているのだ。その子達とは関係がない。そういうのなら、それでいい。でも、学校が「こういう○○はいけません」「こういう柄の○○はいけません」と言えば、親は新しいものを買わなくてはいけないのである。中学校だって同じだ。こういう靴は駄目だ!と先生が言えば、真面目な親は新しい靴を買うことになる。「物を大切に」するとはどういうことか、今こそ先生達は真剣に考えて欲しい。世の中の普通の人間の生活が、前より苦しいということを公務員の先生達は知らな過ぎる。先生にとっては無印良品であっても、親にとってはそうではないこともあるのである。

きまり
昔、掃除の時間に制服で真面目に掃除をしていた子ども達が怒られ、ジャージで遊んでいた子ども達が怒られない・・・そういう不思議なことがある中学校で起きた。その学校では掃除よりも「きまり」を守ることが大事だったのだ。掃除をすることよりも、掃除の時間にジャージでいることが大事。そういう価値観を持った教師がいたのである。学校の外から見れば、大爆笑ものだが・・・学校の中にいると、結構見えないし、笑えないことでもある。同じようなことに、時間を守る・・・というきまりがある。一般社会で時間を守るというのは、「時間前に来る」ことを意味するが、学校によっては「早くきすぎてはいけない」というきまりもある。学校に8時前に行って、怒られた子達がいたが、彼らは一般社会では誉められることはあっても怒られることはなかっただろう。夜明け前に来たのならともかく、門が開いているのならOKではないか。昔の六中を思い出す。「テニス部は朝早く来すぎだ!」と職員会議で問題になった。朝練の時間は7時15分からだという決まりがあったのである。他の部活は7時15分に集合して練習をしていた。しかし、顧問はついていなかった。テニス部は6時から練習をしていた。でも、顧問は一緒に練習をしていた。どっちが正しいとみなさんは思うだろう。朝練でも事故は起きるのだ。実際、僕は何度も他の部活の子ども達を病院に連れて行った。子ども達よりも前に登校していたから、対応できたのである。学校のきまりは学校という社会でしか通用しない。それも学校によって違うのだから笑える訳で・・・。交通ルールとは本質的に違うものなのである。

笑顔と挨拶
そんなことより、先生達には笑顔でいることと、挨拶をすることの大切さを背中で教えて欲しいと思う。いい学校には先生の笑顔が溢れ、荒れている学校にはしかめっ面の教師が溢れている。いい学校では気持のいい先生の挨拶が溢れ、程度の低い学校にはそれが少ない。口で言っても子どもはできない。子どもは親や教師の背中を見て育つから・・・・。笑顔の少ない先生に習った子達は不幸である。挨拶をしなさい!と、言うくせに、自分からは笑顔で挨拶できない先生にならう子どもは不幸である。笑顔で挨拶できなかったら、できるようになるまで練習しましょうよ。

今日の写真1
僕の先生。河合隆慶先生です。河合先生はいつも笑顔でした。その笑顔の先生が怒ると、恐いのです。いつもは笑顔の先生が怒る顔は、鬼のように見える訳で・・・・。これもプロ教師の芸のうちだと思います。いつも怒った顔では、それが普通に見えるから・・・本気で怒っても、子ども達には通じないのです。自然に笑顔が出る先生は、それだけでいい先生ですよ。子ども達に笑顔がうつりますからね・・・。僕らも先生の笑顔がうつったくちでした。若い経験のない先生にも「自然の笑顔」という武器があります。どうか、それを大切にしてください。子ども達が、卒業した後でも言うことを聞くのは・・・「好きな先生」の言葉です。「恐い先生」の言葉はその場でしか通用しません。河合先生は僕らが大好きな先生でした。だから、僕は今でも先生の教えを守っているのです。

今日の写真2
1年2組の花壇です。好子先生と子ども達が植えた球根からこんなに綺麗なチューリップが咲きました。先生は蕾しか見ていないので、この写真を掲載しました。これを見つけた時の、好子先生の笑顔が目に浮かびます。

今日の写真3
八石小からの帰り道。黒目川の遊歩道の桜です。夕方の雨で散ってしまったかも知れませんね。毎年、人の心を綺麗にしてくれる桜・・・穏やかな気持にさせてくれる桜。ありがたいですねえ。

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