4月7日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第96弾! 2011.4.7(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第96弾! 2011.4.7(木)   たかやん

真夜中
目が覚めると、隣に空の寝顔があり、安心した。この寝顔を見るために戻ってきたのだ。そう思った。ハードな一日だったが、お風呂に入り、一杯ひっかけたら、かなりぐっすり眠れたのだった。

石巻
明日からの石巻行きは、結局3泊4日ということに決まった。金・土・日・月の4日間、向こうへ行って、炊き出しをする予定である。長靴100足をはじめ、支援物資も運ぶ。途中、仙台でも支援物資を受け取り、運ぶ。鍋もコンロもエイトの2tトラックに乗せ、みんなで寝袋を持って、野営覚悟での出発である。


昨日思ったことは、全国から東北に行くボランティアの若者達(僕らも含めて?)には熱があるということだ。その熱を使わない手はどう考えてもない。会社を休んでの一時的なボランティアは別として、学生だったり、中長期的に活動できるボランティアは市の“臨時職員”として雇うのが正解だろう。市役所の職員も徹夜続きで、疲れているのだ。ここは熱があって、しかも柔軟な頭を持ち、応用力のある若者達に頼ってもいいのではないだろうか。彼らの中には、帰りの運賃も持っていない・・・そんな無謀な奴までいるのである。何が彼らをそうさせるのか・・・行かなくっちゃ!兎に角、行かなくっちゃ!行って、自分の目で見て、自分の脳みそで、何ができるか考えなくっちゃ!そういう熱い思いが、彼らを突き動かすのだと思う。彼らの能力は高い。各、避難所ごとに何が問題で、何が必要か・・・物資も人もどれくらい必要で、あるいは余っているのか・・・彼らに権限と責任を与えることが、これからの支援にはどうしても必要だと思う。熱のある若者は、昔ながらの地域にどんどん入っていく勇気も持っているのだ。東北の地で聞く、熱い関西弁や関東弁、そして熱のある東北弁には誰でも心が動くだろう。こういう時だからこそ、熱のある若者に、有能な若者達に権限と責任を!!そう訴えたいのである。

寄付
貧乏な癖に、色んなところで随分義捐金なるものを寄付してきた。しかし、今はちょっと「しまった!」そう思っている。それは顔の見えない寄付だったからである。ユニセフや赤十字だったら、間違いない・・・そうは思ってみても、そこから県や市に送られて・・・その先は?そう思うシーンを随分見てきた。食べ物のように腐るものではないが、使い方を間違えればアウトであることは変わらない。この人のこの支援に僕は参加する!そういう寄付の仕方が気持がいい。そう思い始めたのである。

火付け
2時からのすみれチーム(小学校2年生〜6年生)で4月号の暗誦に燃える子ども達。英語を覚えることが楽しくてしょうがない・・・そういう時、子ども達は信じられない伸び方をする。既に来週の火曜日までのダイアログは暗誦している子が3人(新2年生2人と5年生1人)もいる。放っておくと、勝手に練習を始めるから面白い。“やる気に火をつける”これこそが、教師の仕事なのである。ポイントはいつどのタイミングで火をつけるか・・・子ども達は火が付きやすいようにできている。火が付きやすいのに、火がつかないのは火のつけ方が悪いだけなのだ。火をつけたら、勝手に燃える・・・後は、その火が消えないように、薪のくべ方を教えるだけ・・・僕もそうやって、先生達に燃やされてきたのだ。くれぐれもその火を消さないで欲しい。そう思う今日この頃である。

女が綺麗じゃなきゃならないことは
4時からのたんぽぽ(小学校2年生)チームでの会話。「女は綺麗じゃなきゃいけない・・・」と突然つぶやく空父。「何が綺麗じゃなきゃいけないの?」「何だと思う?」「うーん・・綺麗な字を書く」「いいね」「綺麗な姿勢」「いいね、いいね!」「まだあるの?」「まだまだあるぞ・・・」「綺麗な言葉遣い」「うん」「綺麗な・・・箸の持ち方」「いいね」「うーん、まだある?」「まだまだ・・・」「綺麗な・・・」計算の合間に、女は綺麗じゃなきゃいけないという話をした空父・・・みんな、綺麗な女になろうね!!え?男・・・男は格好いい男さ。「格好いい姿勢」「格好いい挨拶」「格好いい言葉遣い」「格好いい箸の持ち方」「格好いい眼差し」・・・何の話をしているんだ、俺は・・・。

今日の写真1
左が石神の高村さんです。手に持っているのは煮魚と煮豆のパックです。野菜の次はこういう物が欲しいですー!っと、具体的です。コンビニは再開しましたが、物資不足は変わりません。

今日の写真2
国道6号線脇に船が流れ着いていました。こういう船が何十隻と流されて来ているのです。相馬市では200隻の船が津波を乗り越えようと果敢に挑戦し、約100隻が見事に大津波の向こう側に行くことに成功したそうです。そして、半分は失敗し・・・・横転して、流されて・・・・水産学部の僕としては、その瞬間が想像できるので、本当に悲しい光景でした。

今日の写真3
幸弘と相馬市のおひさまプロジェクトの大石さんとの写真です。予定を4時間以上もオーバーして相馬市での熱のこもった会議となり、最後に大石さんにこの場所に連れて来てもらいました。ここは昔、母さんが集団疎開でお世話になった「伊勢屋旅館」があった場所なのです。しかも、大石さんはその旅館の方たちをよく知っている方で・・・凄い縁だと思いました。今86歳の母さんが、66年前に小学生達と暮らした場所に僕は立っているのです。大石さん、本当にありがとうございました。

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