5月19日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第138弾!  2011.5.19(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第138弾!  2011.5.19(木)   たかやん

寝坊
昨夜は帰って来たのが0時半頃で・・・それから日記を更新して・・・寝たのが2時過ぎ。流石に4時には起きられなくて・・目が覚めたのが6時過ぎだった。寝坊じゃ、寝坊。

良い天気
今朝は本当に爽やかないいお天気だった。東門の前を行く人達とも気持のいい挨拶が続き・・・子ども達とも元気のいい挨拶ができて・・・気持よく校庭の見守りに入れたのだった。

読み聞かせ
今日は読み聞かせの木曜日。しっかり?いや、すっかり忘れていた。1年生の時まではクラス別に読んでいたのだが、2年生になって2クラス合同に。学校にどういう意図があるのかは分からないが、絵本を静かに聞く環境から離れていく気がしてならない。大きな声を出せば、子ども達は静かにはなるのだが・・・僕は小学生にその手だけは使いたくない。中学生でも1年生の時にキーキー怒って、規律を求めた学年は、後半に荒れることが多いからである。絵本の持つ力を十分に発揮する方法を考えていくことが大事であって、教師でもない僕らが子ども達に規律を要求するのは筋違いのような気がする。

子ども達から1
6年生はクラス単位で席について聞いているのだそうだ。「2クラス合同と1クラスで聞くのとではどっちがいい?」という質問に対しては、どの学年も圧倒的に「1クラスがいい」という反応が多かった。そりゃあそうだ。2クラスだと何年生だってうるさくなってしまう・・・小学生だもの当たり前である。相手が先生ならともかく、僕らは子ども達から見たらただの「おじさん」と「おばさん」なのである。静かにするのが不自然なくらいなのだ。絵本読みのプロならいざ知らず、僕のような絵本の“読み聞かせ力”のないおっさんには・・・やはりある程度の環境が欲しいところである。小学生を怒鳴って静かに聞かせるのは簡単だが(簡単じゃない人もたくさんいるだろうが・・・)、それは本物ではない。中学生と21年間一緒に歩んできた経験が僕にそういわせるのである。

子ども達から2
6年生も5年生も「自分達で本を読みたい」「自分が読みたい本を読みたい」という意見が多かった。力がついてきた子達が、自力で本を読みたいと思うのは当たり前のことで・・・。それぞれの子どもに合った本をどんどん読ませてあげることのほうが大事な気がする。高学年の子達の多くが読み聞かせを楽しみにしていないという話に、少しショックを感じたが、反対にもう直ぐ中学生なのだから当たり前か・・・と、子ども達の成長を喜ぶ気持もある。空が6年生になるまで、読み聞かせをしたいと思っているが、子ども達の気持を見落とさないようにしていきたいと思っている。僕の自己満足に終わらないように・・・・。

1500円
八石小の駐車場環境が悪い。学校の敷地だからと、劣悪な環境でも一律に1500円納めさせている新座市。先生達は県の職員だから、お隣の市ではただの駐車場が新座市では年間18000円という、超みっともないことをしているのだ。市の職員が市役所に駐車して駐車料金を払うのは当たり前かも知れないが、県の職員である先生達から年間18000円も徴収するというのはいかがなものか。そういう事情を知っている先生達は、「新座市には行きたくない」と思って当たり前である。風評被害という言葉が流行しているが、新座市は自分で自分の首を絞めている訳だ。先生達に少しでも気持ちよく働いてもらう・・・それを考えるのが市教委の仕事だろう。業者の車が入ってくると、すれ違うこともできない。そんな駐車場でも金を取ろうとする新座市・・・先生達の生の声が聞こえてこないようだ。

今日の写真1
光一とのツーショットです。所沢高校から現役で鹿児島大へ行った秀才の光一。学年では常にベスト10には入っていました。我がクラスには光一の上に3人〜4人いましたけれど・・・恐ろしくできのいい子達が揃っていた我が3年1組です。

今日の写真2
昭弘と今回の幹事の美香です。昭弘はサッカー部のキャプテンで足も速く、学年で1番か2番というくらい女の子にモテた男です。まあ、担任には勝てなかったかも知れませんが・・・その昭弘が大貧民事件について語ってくれました。
「南が転校してきて、みんなで仲良くしようってことになって、野田の家に集合したのよ。サッカー部と剣道部とテニス部が・・・そんで先生にも声かけたんだよ。」『え?覚えているけど、あれって俺の家じゃなかったっけ?』「違うよ。賢一の家。お父さんとお母さんがいなくてさ、みんなで泊ろうってことになって・・・」『なんで俺も呼ぶ訳?』「先生だから!」『普通、呼ばないだろう・・・』「たかやんは普通じゃないだろ」『・・・』「で、南の前の学校が荒れていてさ・・・南がびっくりしてたんだよ。先生と一緒に大貧民やってさ、先生が負けたら、合法的にビンタできるのか!って・・・」『俺の顔、次の日もパンパンに腫れあがっていたもんなあ・・・』「俺はちょっと手加減したけど、みんな本気で殴ってたもん・・・」『俺が負ける前に、かなり殴ったからなあ・・・で、俺も泊ったの?』「勿論、朝賢一の家から学校へ行ったんだよ」『まじで?そんなんありか?』「ありだよ。そういうところが、がよかったんじゃん。」『いやあ、俺の家じゃなかったっけ?』「違う違う、俺が集合かけたんだから・・・ちゃんと覚えているよ」
その事件の後、僕は所沢から賢一の家に引越しをしてくるのです。そう大貧民をやった家を僕が買って、五中の直ぐ脇に住むことになったのです。それで、自分の家と賢一の家を間違えたのです。30年間、そう思い込んでいたのですから笑えますね。

今日の写真3
遅れてきたババツと峰且です。昭弘とババツと峰且。この3人の特徴は3人とも社長であるということ。このご時勢に経営者として立派にやっているのですから大したものです。因みにこの3人の誰一人として学年で10番以内という成績だった子はいません。東大へ行き大手広告代理店に就職した大、京大へ行って、大阪大学の先生になった秀行、外語大へ行った弘子も社長にはなっていません。学校の成績と後の社会人としての人生とは別物だということですね。これもある程度卒業生を出してからではないと気がつかないことでしょう。

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