5月4日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第123弾!  2011.5.4(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第123弾!  2011.5.4(水)   たかやん

ポスターのお願い
僕のポスターを掲示してくださる方がいらしたら、連絡ください。8月までの掲示となります。

嬉しいメール
昨日、嬉しいメールが届いた。余りにも嬉しかったので・・・

メールを頂きありがとうございますm(__)m覚えていて下さって嬉しいです。
たかやん先生も益々のご活躍、嬉しく、陰ながら応援させて頂いています♪
我が家といえば、理水がこの4月から無事に社会人になることが出来、今は毎日研修の日々です。就職したのは建設コンサルタントの会社で一応大学の専攻をいかし、構造部門(土木の設計?)に配属になりそうだとのことです。

理水の就職活動に関しては私は殆ど知らないまま結果だけを聞いていたのですが、ごく最近1年前の就活の話を色々聞く機会がありました。相変わらず理水らしいエピソード満載でしたが、やはりかなり大変だったみたいで、エントリーシートの作成に始まり、筆記試験、グループワーク、一次面接、最終面接とクリアしながら、3社から内定をもらうことができ、自分でその中から1社に決めました。話を聞きながら、実は驚かされることもたくさんあったのですが、私はその一つ一つが全部、あの中学三年生の時に数ヶ月ですが通わせていただいたたかやん塾で培われたものが土台になっているような気がしてならなかったのです。上手く言葉で言えないのですが、学校や家庭で教えられない大切なことをあの数ヶ月の間に教えて頂いていたのではないかと思います。勿論他にも今所属している社会人女子野球チームでの苦労の日々や大学時代のアルバイト等々、理水を育ててくれた環境はたくさんありましたが、何かに立ち向かうときの基本的な姿勢みたいなもの(勉強だけでなく人との
関わりにおいても)を教えて下さったのはたかやん先生なのではないかと思います。

頂いたメールのお返事でお礼を伝えるのは大変失礼かと思いますが、親として、本当に感謝の思いで一杯です。

勿論、まだまだ半人前にも満たない未熟者で、また会社に入って1から鍛え直される事と思いますが、でもきっとまたそこでも色々な事を吸収しながら立ち向かっていけるのではと思います。

でも、この先、壁にぶち当たったり、行き詰まる事も必ずあると思います。また機会がありましたら、是非たかやん先生から社会で生きていく為に大切な事を教えてやって下さい。
どうぞよろしくお願いしますm(__)m

* 理水は三中から僕の塾に通ってくれた女の子。野球と剣道をやる女の子で素晴らしい運動神経と脳みそを持っていた。蕨高校に進学し、僕の母校北大を受験してくれた子だ。残念ながら後輩にはなれなかったけれど、やはり僕の出身校を受験してくれたというのは、嬉しかった訳で・・・法政大を卒業した理水は今はもう新座にいないのだけれど、気になっていたのでメールをしたという訳。するとお母さんからメールが来て・・・その内容が嬉しかったのだ。学校でもよく道徳の授業で「人生」を語っていたが・・塾でも「人生」と「愛」を語っていた訳で・・・・よく学んで、そしてよく遊んだっけ・・・。こういう縁は本当に大事にしなくてはと思う。人生っていい縁があるかどうかで決まると思うのだ。僕は本当にいい縁が多くて・・・その縁のお陰で、今生きている・・・そう思っている。
僕は学校を辞めて、学校での縁はなくなったけれど、たかやん塾での縁はとっても強い縁なので、毎年、新しい・・・いい縁ができている。そういう子ども達と一緒に学べる僕は本当に幸せである。

今日の写真1
ギターを弾いているのが創です。何でも先端を行く奴で・・彼の兄貴が石神井高校でテニスをやっていてインターハイに行きました。その影響で僕は石神井へ行くことになります。要するに、彼に出会ってなかったら、僕はテニスをしていないし、石神井にも行ってないのです。僕が行こうとしていた高校は都立新宿。21群という奴です。でも、石神井の話を創のお兄ちゃんに聞いて・・・俄然34群を意識するのです。そして、右端の子が慶応女子へ行った玲子ちゃん。彼女に告白されたのですが・・・断ってしまったのです・・・ああ、もったいないことをした・・そう思っています。

今日の写真2
左から祥子ばあちゃん、猛おじちゃん、新太郎父さんです。祥子ばあちゃんは富山の女学校で2番だったという才女だったようです。猛おじちゃんはこの間80歳になったのですから、この写真は今から50年程前の写真ということになるでしょう。もしかしたら60年前かも・・・みんな若いですねえ・・・。

今日の写真3
父さんはよく、こういう格好で書き物をしていました。詩集や随筆を残している人ですが、労働法関係の本はゴーストライターとして、随分書いたようで・・・その原稿料で僕らは大きくなったのです。僕も毎日文章を書いていますが、父さんの20代の文章の足元にも及びません。センスが違いすぎるのですねえ・・・。困ったものです。

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