6月25日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第175弾!  2011.6.25(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第175弾!  2011.6.25(土)   たかやん

小笠原からのメール
僕には敬愛する教育長がいる。小笠原の母島小中学校の元校長で、現小笠原教育長の長さんである。(長さんはあだ名)長さんの『ボニナイト通信』は面白い。今回もちょっといい話なので掲載したくなったという訳で・・・・。

『ボニナイト通信』:No263
《一人の百歩より》
2008年夏休みに、私はカンボジアへ友人と旅をしました。
旅の目的のひとつは、アンコールワットです。
アンコール遺跡は、1992年に世界遺産に登録されました。
現在は、内戦もおさまり世界各国から参拝客と観光客が訪れ、
仏教僧侶も祈りを捧げています。
また、内戦で破壊された遺跡の修復も、各国の協力で進められています。
私が訪れた時も、
中央の伽藍に緑のシートが被せてあり、修理が行われていました。
カンボジアの旅行では、ポルポト政権による傷跡や荒廃を心配しました。
ところが、シェムリアップの街を車で走っていると、ホテル建設ラッシュでした。
ツアーの行程にはない市場見学を自分で行いました。
そこでも、ポルポト政権下の傷跡を見ることはありませんでした。
市場は市民でごった返していました。
ところが、アンコールワットの広い敷地を移動しているときに
地雷で手足を失った人たちが楽団を結成して、
道行く観光客に寄付を呼びかけていました。
私は、小学生の頃、渋谷駅階段で白い服を着た傷痍軍人さんが
アコーディオンを奏でていたのを思い出しました。
私は黙って見過ごすことが出来ませんでした。
ガイドさんの制止も聞かずに。。。
ポケットの中にあった紙幣とコインを楽団の前に置いてきました。

小笠原では、
いつものように船が入港したので、私の机上にドサッと様々な情報が届きました。
その中に、「Educo」(エデュコ)なる教育情報誌がありました。
ある教科書会社が発行元です。
パラパラとめくっていくと、「きょういく見聞録」という活字が
目に飛び込んできました。
タイトルは、
「地雷廃絶のために、自分のできること」
ーカンボジア等での活動をとおして考えるー
立命館大学大学院のSさんの記事です。

カナダ、ノルウェー政府の働きかけにより、
1997年に地雷全面禁止条約(オタワ条約)が制定されました。
ところが、アメリカ、中国、ロシアといった大国がこの条約の批准を拒否しています。
これが、いまだに地雷全面廃絶への大きな障害になっています。

立命館大学大学院のSさんの記事から
カンボジアの「教育・貧困・地雷」について考えさせられました。
カンボジアでは、あの悪名高きポル・ポト政権下において、
教師・医師・官僚等の知識人が大量に殺害されました。
このことは、内戦が終わったあとのカンボジアの復興や発展に遅れをうみました。
学校は子どもを教える教室や教材が足りないだけでなく、
教育の担い手の教師がいないために、一日に2部、3部と分割して
児童・生徒を入れ替えて授業を行っているそうです。
教育が進まない別の理由も存在しています。
貧困です。。。貧困の裏に地雷があります。
村落地帯の主な産業は農業です。
一見、豊かな田園風景が広がる村落地帯ですが。。。
カンボジアの主産業である農業に暗い影を落としているのが地雷です。
耕すための農地に、牛を放牧するための土地に、
おびただしい地雷が埋設されているのです。
使用できない土地は農地となれず、農家は現金収入の道を絶たれています。
追い詰められた貧しい農民は、出稼ぎに行きます。
残された家族は、子どもたちを労働力として使います。
地雷埋設が子どもの教育を奪い、貧困問題を深刻化させています。
立命館大学大学院のSさんは、地雷廃絶のために「自分にできること」で
活動を行っているそうです。
街頭募金やピアニカ・リコーダーの寄付や講演活動などです。
日常の中で、自分に出来ることを精一杯取り組むようにしているそうです。
小学校5年生からコツコツと。。。
そんな活動の中で、 Sさんのすばらしい言葉をひとつ紹介します。
世界中の人々が「地雷廃絶」を声に出すことで、
地雷除去年数(地雷廃絶を完了するまでの年数)は、飛躍的に短くなります。
地雷廃絶には
「一人の百歩より百人の一歩」
が大切なことだと。。。
若い人が当たり前のように、こんな素晴らしい活動をしている。。。
もうすぐ、完全退職する私のこれからの生き方の「道しるべ」となりそうです。

◇◆◇◆◇◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
チョーさん
mail tnaga@ab.auone-net.jp
<小笠原ボニナイト写真館>
URL http://www.ac.auone-net.jp/~tnaga
◇ ◆◇◆◇◆◆◆◇◆◇◆◇◆◆◇◇◆

シンデレラ
昨夜の会談が余りにも楽しく、我が家に帰ったのは1時半すぎ。それから、韓流ドラマを見てしまい、寝たのは3時半。目が覚めたのは5時半で、少し眠い。それでも空の朝練に付き合う積もりだったのだが。やらねばならないことが沢山あり、断念した空父であった。

ガット張り機
明日は茨城選手権なのでガットを張った。最初のガット張り機はヨネックスの手動、バネ式のガット張り機。五中の子達が余りにもガットを切るので、中古(12万円くらいだったか・・)を探して買ったのだ。そのガット張り機もガタがきて、六中では油圧式のものを買った。確か48万はしたと思う。そして、それも壊れて、今我が家にあるのは三台目。台湾製だがなかなかの優れものである。試合前にガットが切れると、面倒臭いし、高いから、あると安心である。そして、ガットを張るときは、韓流ドラマを必ず見る空父である。


明日の試合に備えて、昭と12時半過ぎから練習。この間の安孝との練習で痛めた右足が痛む。それでも昭との練習は楽しい訳で。いいパートナーに,出会えたなあと思う空父である。

ビール
練習のあと、わが家で風呂に入って、ビールを一杯。これがまた美味いんだ。僕らは一杯だけにして、上野に向かったのだだった。

勝間
スーパー特急ひたちに乗り、くだらない話をしながら勝間に向かった。1時間15分後、勝間の駅に着くと、昭の奥さんのすみちゃんが車で迎えに来てくれていた。夕飯は豚カツ定食。普段夕飯では炭水化物は口にしないのだが、今日は特別に食べた空父である。

すみちゃん
「高邑さんに朝ご飯作りに帰ってきたのよ!」と、嬉しいことを言うすみちゃん。みんなでそれからまた飲み始める。明日の試合が心配だが、飲んで、飲んで、気がつくと涼子ちゃんのベッドの中だった。

今日の写真1
僕が愛する華ちゃんのお兄ちゃんの横ちんです。僕のホームページの表紙を飾る男ですから、中学時代からこんな仲だった訳で・・・担任を一度もしたことがないのに・・・昔から妙に馬があったんですよねえ・・・。

今日の写真2
六中テニス部を作ってくれた宮腰東海先生です。この人の一言で、僕が異動した1年目から六中に硬式テニス部ができたのです。僕の能力を高く買ってくれた先生で、滅茶苦茶怒られましたけれど、もの凄く可愛がってくれた先生でした。

今日の写真3
我が家の「遊」です。噛み癖のある犬で・・・数人が病院送りになりました。安孝もその一人。噛まれた次の日に就職試験があり、顔がパンパンに腫れて・・・試験が受けれなくなってしまったのです。そう遊が彼の人生を変えてしまったのです。僕が変えて、遊が変えて・・・今の彼の人生があるのです。

20110625-1.jpg 20110625-2.jpg 20110625-3.jpg