6月27日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第177弾!  2011.6.27(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第177弾!  2011.6.27(月)   たかやん

眠い
いろいろやっていて、布団に入ったのが朝の4時。起きたのが6時ということで、ちょっと眠い。おまけに昨日の試合で、全身が筋肉痛な訳で・・・・「温泉に行きたいなあ・・・」と独り言をいう空父であった。

霧雨
天気予報では雨が降らないはずなのに・・・朝から霧雨に濡れて学校へ行った。もうおっさんだからいいや・・・と、思うのだが・・子ども達への影響は心配でならない。年20ミリシーベルトなどという基準は馬鹿げているし、そんないい加減な基準で子ども達の安全を保障できる訳がないのだ。見えないものは怖くないという感覚は、放射能には通用しない。子ども達の安全を本気で考えたら・・・先手、先手で放射線量をどんどん計測していくべきである。

信用
そもそも、政府の発表も東電の発表も全く信用はできないし、文科省の基準は子どもには全く当てはまらない数字なのだ。メルトダウンを隠していた政府民主党。後だしじゃんけんのように「メルトダウン」という言葉が出てくる気持の悪さ・・・今度は「メルトスルー」が噂されているが、これも後だしでのこのこと出てくるのだろう。消費税は上げないと言っておきながら、震災復興の為にと摺りかえる政治家達。まずは大きな企業が内部留保金を吐き出さなきゃ・・・どこが一流企業なのかね。大体、大金持ちへの増税からはじめるのなら分かるが、いきなり最下層からも搾り取れる消費税はないだろう。消費税が5%上がったら・・・生きていけない中小零細企業は沢山あるのだ。あの、信用できない政治家達は庶民の味方じゃあないのだ。新座市議会だって、ポーンと100万円寄付したのだ。国会議員も国民から断り無く貰った「政党助成金」を全額東北地方に寄付するくらいのことをしたらどうなんだ。そう言いたい。

子ども手当て
財源のない「子ども手当て」など、ばら撒き以外のなにものでもない訳で・・・・子どものいる家庭にいくらばら撒いたって、お父さんが失業したり、派遣になったりじゃあ、子ども手当てが消費に結びつくのは難しいだろう。そもそも、所得制限がないのがおかしい。今のままでは金持ちは更に裕福になり、貧乏人はさらに貧乏になっていく・・・アメリカ型社会の特徴は治安が悪いことがあげられる。何が起きてもアメリカのような国にはしたくない・・・そう思うのである。

二大政党制
教育をちゃんと受けていない若者達が戦争に行く国アメリカ。貧困率が高く、殺人事件が多いアメリカ・・・戦争をやっていないと経済が行き詰る国、アメリカ。そんな国の政治を真似ようとする方がどうかしている。二大政党制などもっての他なのだ。政権が変わりやすければいいことが起こる・・・そんなことは無いのである。

議会報告
6月30日号の「一生懸命」の作成に入った。今回の議会は色々あったから、どの内容をカットするか・・・で悩むのである。

言葉の力
空が元気なく帰ってきた。「どうしたの?」と聞くと、「学校で嫌なことを言われたの」「なんて言われたの」「“死ね”と“学校やめろ”だよ」「そりゃあ酷いなあ・・・・」と空父。それを言われた空も可哀そうなのだが、2年生のうちから、そういう汚い言葉を使っているその子が可哀そうでならない。きっと、毎日毎日そういう汚い言葉を自分の口から吐き出して、そして自分の耳で聴いているのだ。そして、脳がその言葉を蓄積させていく・・・2年生なのだから、周りの人間から言われたことを言っているだけなのだろうが・・・。言葉には力があるのだ。汚いマイナス言葉を小さい頃から使っていて、幸せな大人に成長していく訳がないのである。それが可哀そうでならない。周りの大人が・・・誰かが、そのことに気づいてあげないといけない。・・・子どもは“いい言葉”と“いい栄養”によって、幸せな大人に育っていく。子ども達には綺麗な言葉を伝えていきたいものである。

今日の写真1
1年生からキャプテンだった一久です。ボール出しのやり方を僕から学んだ彼は、よく下級生の面倒を見ていました。彼とは3年間で150試合やりましたが、僕の150勝0敗だったと思います。彼には昔から、教える目がありました。今はプロコーチになっています。

今日の写真2
2年生時代のベリです。審判をやるのは1,2年生の仕事でした。コートにボールが落ちていると危険なので、ボールボーイは全員の仕事。中学生はコートの中では絶対に座れない・・・それが五中、六中のテニス部でした。知らないうちに足腰が鍛えられていたのかも知れませんね。

今日の写真3
1年生の二人です。いいコンビでしたねえ・・・。きつい練習に耐えた子達だけが、3年生まで残りました。と、言っても朝一番早く来るのは3年生。帰りに一番遅くまで残るのも3年生という部活でした。入部した日からボールを打つことも六中テニス部の特徴でした。どれだけたくさんのボールを打つことが出来るか・・初めてラケットを握った子達にはそれが大事だったのです。僕はその方法を日夜研究し、自分の脳みその中で150種類以上の練習方法を考えました。どうしても「日本一」になりたかったのでしょうね。この子達は関東で優勝しますが、全国は3位で終わります。後輩達がこの子達の悔しさを晴らすのは2年後のことです。

20110627-1.jpg 20110627-2.jpg 20110627-3.jpg