6月5日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第155弾!  2011.6.5(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第155弾!  2011.6.5(日)   たかやん

理事会
今日はマンションの理事会。住宅管理会社にお任はできないので、みんなで知恵を出し合って色々考えた。あっという間にお昼になり・・・楽しい時間だった。

田中幸弘からのメール
皆さま引き続きお世話になっております。

NPO法人ここ街クラブは、今回の大震災が勃発するにおよび、急きょ「地域の力」と称した、被災地・被災者支援の活動部門を立ち上げ、有志を募り、この間積極的に支援活動を繰り返してきました。その結果、

@石巻・女川地区に6回のべ25日
A相馬・南相馬地区に4回のべ6日
B岩沼地区に3回のべ7日
C群馬県片品村に3回のべ8日

以上の救援活動を行ないました。一回の参加者は平均4人。
内容は物資・食糧の搬送12回、炊き出し300食12回、泥掻き5回です。
のべ158名の方々がご参加くださいました。

以上の取り組みを行う中で、推移する現地の状況を掴みつつ、今後の支援の形を模索してきました。 今回の被災の特徴を、広域・長期・多様性と捉え、それに対応した復興を模索しなければならないと考えてきました。その上で、被災地および被災者の自立に向けた支援に取り組むことを、私たちが行なう支援の第2ステージと位置付けています。

第2ステージの事業計画(案)

1、相馬地区での活動拠点の整備。

 これは、相馬地区にある古民家を修復することにより、飯館村からの避難者と相馬市民の活動拠点ともなり、外部ボランティアの宿泊所ともなるようにします。総じて相馬地区での復興に向けた活動拠点となります。

2、片品村における被災者支援活動の展開。

 南相馬からの被災者300人を受け入れ、新村民として長期的に迎え入れようとしている片品村で、被災者の自立と村人との共存を図る模索が始まっています。具体的取り組み内容の洗い出しと事業化にむけた現地フォーラムを開催することで、その足がかりをつかみます。

3、石巻市から女川にかけた牡鹿半島では、数ある浜ごとに避難所となっているが、その多くは漁村でありそこに住む人は漁師です。他への移住ではなく、その浜での漁業の復活を真剣に考えており、その為の家屋修復や道具揃えなどの物的人的支援が待たれていますので、その実現に取り組みます。

4、南相馬地区の放射能汚染により農業ができなくなった農家が、新天地を求めており、緊急の課題としてそのコーディネートを行なっていきます。

5、避難所における被災者の暮らしも長期化し、ストレスや精神的疲労も鬱積しています。そこで、癒しを目的とした、移動カフェを展開します。そこでは、映画上映や軽音楽の演奏、被災者への傾聴、マッサージなどをカフェのサービスとともに展開します。

6、南相馬地区におけるボランティアリーダーを支える支援として、生活費の一部を他団体と協力して提供していきます。

以上の案につきまして、ご意見お寄せください。

2011.6.4 地域の力 田中

*みんなで出来ることをやっていけたらと思っています。無理をしないで、自分が出来ることをしていきましょう。   たかやん

ひばりヶ丘
明日の朝は5時55分からひばりヶ丘で駅立ちです。誰に会えるのか・・・楽しみです。

今日の写真1
怪しげな男が二人・・・って感じですよねえ。左が純一。右が完。東門の見守り仲間です。純一の奥さんは五中人、純一は福島人。完は五中人です。僕も五中人ですから、不思議な繋がりを感じます。それにしても怪しい・・・。

今日の写真2
怪しげなおじさん達の反対側には妖しげな女性が二人。同じあやしいでも怪しいと妖しいでは大分違います。え?あやしくない・・・・?いや、あやしい?いずれにしても、子ども達を見守る目は優しいです。

今日の写真3
今度僕と毎日選手権に出る利光です(左は容子さん)。僕と同じ29年生まれで、高校までは僕が先輩でしたが、大学からは同級生・・・彼は早実出身なので、僕が早実に勧誘されて入っていたら・・・本当の先輩・後輩になっていたかも知れません。まあ、早稲田に行っていたら・・間違いなく学校の先生にはなっていなかったでしょうねえ。全く違う人生があったのでしょう。今より面白い人生があったのかなあ・・・・。いやいや多分ないでしょうね。

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