7月14日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第194弾!  2011.7.14(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第194弾!  2011.7.14(木)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ2
第二歩「学級通信」
名前を覚えるのと同時にするのは「学級通信」の準備だ。僕は『一生懸命』という学級通信を11年間、毎日発行した。毎日というのが味噌である。前半の10年間は毎日という訳にはいかなかった。年間100号も発行できればいいほうだったのだ。それが一度毎日書き続けたら止められなくなった。大事なのはこの止められないという感覚を子供達と一緒に体験することだ。11年間には色々なピンチがあった。
一番のピンチは毎日書き始めて1年目のクリスマスイブだった。25日は2学期の終業式。通知表を出さなくてはいけないという時に、41度の熱を出したのだ。僕は通知表を全く書いてなかった。(通知表を1週間かけてコツコツ書くという能力は僕には欠けていたのだ。)苦しかった。悪寒が走り、うわごとで「母さん、助けて!」といったくらいだ。
通知表を書く事は諦めていた。41度の熱なんだから、みんな許してくれるだろう。そんなふうに思っていた。ところがその苦しい状態で、学級通信を書いていないということに気づいたのだ。毎日書き続けてきたのに、これで終わりなのかと思ったら、なにくそという気持ちが湧いてきた。そう思っただけで熱が40度に下がった。それが夜中の12時頃。それから震える手で「一生懸命」を書き始めた。何度も中断しながら、3時頃やっと書き終わった。不思議なのは熱がまた下がったことだ。39度になっていた。普通39度は苦しいものだが、41度から下がった39度は楽なものだった。僕は通知表も書く気になり5時過ぎに通知表も完成した。熱は38度になっていた。今度は朝練にいきたくなってきた。6時、大力という子から電話があった。「熱が39度あるので朝練休みます。」という電話だった。僕はそこでこう言った。『俺は41度あったけど、今からいくぞ。』テニスコートへ行くと大力も来ていた。
「継続は力なり」と子供達にいくら言っても、その言葉には力がない。しかし、毎日学級通信を書き続ければ、その言葉には力があるのだ。学級通信を毎日書くには子どもを見ないと駄目だ。毎日書いていると、どうしても筆が進まない日がある。そういう日は忙しくて子供達を見ていない、(会ってはいるが・・)日の事が多い。逆に子どもとたくさん話をして、子どもの目をよく見ている日は、書く事がたくさんありすぎて書ききれない状態になる。「学級通信」はそういう意味でのバロメーターになるのだ。
勿論毎日書くにはこつがある。それは自分の言葉で書くということだ。よそいきの言葉でも何枚かは書けるだろうが、子供達の心には響かないし、長続きはしないものだ。毎日書いていればひどい文章のことだってある。でも心に響く通信を書く率も上がるのだ。帰りの学活で子ども達は食い入るように「一生懸命」を読む。それまで大騒ぎだった子供達がシーンと静まり返ってプリントを読むのだ。自分の名前があると大変だ。「ほら今日は載ってるよ。」と嬉しそうに自慢する。でもそれが無くても友達の発言に笑いころげ、時に涙をするようになる。学級通信はクラスの全員を主役にする力を持っているのだ。
*自分が書いた文章で感動するのはおかしな話なのだが、ちょっぴり感動?した。当時の自分にパワーを感じたということなのかも知れない。今日の僕は塾日記を3枚書いた。子ども達に伝えたいことが沢山あったから・・・。「一生懸命」は今でも続いているのである。

困った!
いよいよ左胸の痛みが強くなってきた。朝、子ども達と一緒に学校へは行ったのだが・・・東門の見守りだけして、家に帰ってきた。どうにもこうにも痛いのである。呼吸器専門の病院に電話したのだが、予約ができるのは明日の9時ということで・・・今日一日、安静にしていることになった。「明日の朝、呼吸器内科で診察して、手術となったら呼吸器外科で手術になります・・・」とあっさりと言われた。覚悟を決めたほうがよさそうである。家のことは亮もいるし、みんな来てくれるから心配はしていない。議員としての仕事ができないのが辛い訳で・・・。

川遊び
去年も大分迷惑をかけたのだが、今年は全く参加できなくなるかも知れない。気胸の再発はよくあることで、去年救急車で運ばれた時も「再発の可能性は50%です!」と言われていたのだ。あの時ははじめての痛みで、訳がわからなかったが・・・その痛みを経験した今は、この痛みが筋肉痛ではないことがわかるのだ。背中から胸に・・・そして振動を感じると痛むこと。それも左胸だけが痛むこと・・・間違いないと思う。川掃除の仲間達には迷惑をかけるが、子ども達の為に、何とか頑張って欲しい。よろしくお願いします。

毎日選手権
去年は試合中に救急車で運ばれた。今年は戦う前に入院・・・と、毎日選手権にはついてない。これで今年の全日本も可能性がなくなった。何よりパートナーの田辺さんに申し訳ない。今思うと、1ヶ月前の茨城選手権あたりから・・・どうも左胸の状態がおかしかった気がする。空気が少しずつ漏れていたのかも知れないなあ・・・。ダブルス・・間に合わないかなあ・・・。

一早の誕生日
今日は一早の誕生日。可愛いかった中学生も今年で45歳くらいにはなるのじゃないかな。僕が彼らとテニスをしていた時は27歳くらいか・・・随分いい加減な先生だった気がする。そんな僕を応援団長として、応援し続けてくれている一早に感謝、感謝である。

友達
テニス仲間のドクターから電話があった。「今夜当直だから、何かあったら電話して!」という嬉しい電話だった。テニスっていい。この年になっても友達がどんどんできるから・・。

今日の写真1
高2の卒業生が来てくれました。小学生達は大騒ぎ。「又来てね!」「毎日来てね!」2年生の女の子達にも妙にもてていました。考えてみたら9歳くらいしか違わないのです。女の子達は本能でわかっているのかも知れませんねえ。

今日の写真2
塾の卒業生には「計算」の洗礼が待っています。高校生対小学生の対決の結果は・・・・想像にお任せします。そう、毎日の法則なのです・・・。

今日の写真2
こうしてみると、親子にも見えますねえ。僕も中高大とかなりモテましたけれど、りゅうもモテるようです。運動神経の塊のような男ですから、モテるのもわかります。中学時代の僕は体育が5でしたが、りゅうは何故か4。運動神経の塊に4。体育の先生達の目が節穴だったのでしょう。僕が体育の教師だったら、間違いなく「俺の後を継げ!」と言っていましたから・・・。

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