7月19日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第199弾!  2011.7.19(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第199弾!  2011.7.19(火)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ7
自分の事を「先生はね」と一人称で呼んではいけない。中には「校長先生はこう思います!」とか恥ずかし気もなくいう校長がいるが、あれはかなり恥ずかしい。「先生は…」と自分で言う人はそう呼んで欲しいのだ。「先生!」と呼んで欲しいからそういうのだ。僕は職員室でも「タカヤン!」と呼ばれていた。すると怒る人がいるのだ。職員室でそういう呼び方をするな!と怒る訳である。大きなお世話である。教師はあだ名で呼ばれて一人前なのだ。「職員室では、生徒は後ろのドアから入る事。」と決めた学校があった。前には校長教頭、教務主任がいるというのが理由である。
生徒と共通の言葉を持ち続けた校長は「いつでも校長室に遊びにきてね!」と子供達に伝える。この差は大きい。自分が偉いと思うような管理職は学校には必要無いのだ。学校に必要なのは子供達の言葉を話せる先生である。
今の学校には「取り締まり系」の先生が多すぎる。校則を取り締まることなど素人でも出来るということが分かっていないのだ。「共通理解」「共通行動」それが大事だという学校があった。みんなで同じことをする事が大切なのだ、という訳である。一見もっともだが、実はそのことほど危険な事はない。自分が生徒であるとしよう。朝から友達の事で悩んでいる。そういう時に会う先生みんなから「お前、名札がついてないな!」と言われたらどう思うのだ。嫌いな先生ならまだいい。好きな先生からも「お前、名札がついてないな!」と言われたら、子どもは学校に来たくなくなるだろう。でも、自分の好きな先生が「おはよう!どうした?元気がないぞ!何かあったか?」と笑顔で聞いてくれたら、子供達はどんなに嬉しいだろう。プロは子供達の目を見て言葉を選ばなくてはいけないのだ。
今、小学校でも中学校でも「朝の挨拶運動」なるものをしている学校がある。校長やPTAのお母さん達が朝、校門に立って「おはようございます!」というあの運動である。選挙運動じゃああるまいし、いかにも不自然なことなのに、それが子ども達を変えると信じている人達がいる。自分が生徒の気持ちになれない人達である。要するにプロではない訳だ。挙げ句の果てに服装のチェックをする人までいるからどうしようもない。「朝の挨拶運動」は自己満足以外のなにものでもないのだ。「校則」では人間は教育できない。中学校の校則などは世の中にでれば全く通用しないものなのだから…・。子供達に教えなくてはいけないのは「きまり」ではなくて「マナー」である。これは日本中どこへ行っても通用する。(世界は広いから通用するとは限らないが…・。)「校則」に目くじら立てる先生が、「いじめ」を見逃すのだ。子供達の「目」を見ていないからそういうことになるのだ。プロはいつでも子供達の目をみていなくてはいけない。「共通行動」というなら、そういうことに「共通行動」を取って欲しい。
プロの教師は自分のことを「先生」と呼んではいけない。「私」や「僕」や「俺」という日本語があるではないか。「俺」が悪い言葉などと言ってはいけない。地方へ行ば「おら」は男女共通の立派な一人称である。子供たちから「あだ名」で呼ばれるようになろう。そしてそのあだ名を好きになろう。好きになるようなあだ名を付けてもらおう。

なでしこ
正式な記者会見で佐々木監督のことを選手は「のりさん」と呼んでいた。監督と選手との距離がその呼び方でわかる。勉強でもスポーツでも結果を出すことが大事だとしたら・・・彼らから学ぶことは多いだろう。教師の仕事は「この子はだめな子だ」と決めつけて、伸びる芽を潰すことではない。「この子が伸びることはなんなのか」「どうしたら伸びるのか」「どうしたらやる気になるのか」を寄り添いながら見つけ、そして本当に伸ばすことだと思う。そういう指導者を僕らは求めているのだ。


土砂降り
今朝の雨は凄かった。子ども達と一緒に合羽を着てでかけたのだが・・・襟から入った雨がお腹まで濡らすほど凄い雨だった。東門の子ども達もみんな苦笑いするほどの雨で・・・「馬鹿野郎!梅雨に台風文部省」という川柳を思い出した空父であった。それでも、空の担任の先生から「お父様へ。台風の中の見守りありがとうございました。一学期もあと一日になります。一学期間、大変お世話になりました」という手紙を読んだら、土砂降りのことなどすっかり忘れ、快晴のような気持になった空父であった。明日の朝も、土砂降りだろうがなんだろうが子ども達と一緒に学校に行こう。そして、しっかりと見守りをしよう。(でも、台風直撃の場合・・子ども達を普通に登校させるのかなあ)


海に行きたい!
空が「海に行きたい!」という。「なんで?」と聞くと、「クラゲに会いたい」という。「刺されるぞ!」と空父。それを聞いた空、「間違えた・・・クラゲじゃないや、クラゲに似たやつ・・・ほら・・」「イルカか?」「そうイルカ」小学校2年生の空にはクラゲとイルカは似ているらしい。そう言えばついこの間まで「蚊に刺された」を「蟹に刺された!」と言っていたっけ・・・。

癌じゃない?
入院しなくなったことを中学3年生の雅人に言った。「でも、まだ痛いんだよねえ・・」と僕。すると雅人はこう言った。「癌じゃない?」「そんなこと言う なよ!」まあ、確かにそうかも知れないけどさ・・・そんなにあっさりと癌にしないでよ。57歳は父さんがすい臓癌で逝った年。まだまだ死ぬわけにはいかないのだよ。

今日の写真
夏休み前最後の塾の様子です。一言も喋らず集中しています。「夏休みが始まる前に宿題なんか終わらせてしまえ!」と言ったら、「やってもいいの?」と子ども達。「何でいけないの?」「勉強は毎日しなきゃいけないって先生が・・・」「それは正しいけれど、その勉強が夏休みの宿題である理由はないよ。」と僕。「そっかあ・・」「そうだよ。夏休みには夏休みにしかできない勉強をやるのも悪くないんだぜ。」夏休みが終わる頃に、怒られながら宿題をやるよりも、夏休みが始まる前に終わらせてしまった方が100倍マシ・・・そう思う空父なのです。僕は五中、六中、二中時代に「夏休みの宿題」を出した記憶はありません。出したとしたら、「自然の中で遊べ」という課題だったと思います。勿論、それを採点したこともありません。

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