7月20日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第200弾!  2011.7.20(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第200弾!  2011.7.20(水)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ8   部活
部活動は面白い。子供達と体も心も近づくチャンスが溢れている。僕は最初の5年間は軟式テニスをやった。中村校長に「硬式テニスをやらせてください。」と直訴したが「軟式をやっている子達の気持ちはどうする?」と切り返さされて何も言えなかった。軟式も中学の時にやっていたから、教えるのが下手ではなかったが、本当をいうと軟式には魅力を感じていなかったのだ。そういう訳でサッカー部の副顧問もやった。サッカーが大好きだったからだ。毎日昼休みにクラスの子供達と校庭でサッカーをやっていた。放課後テニスコートに行く前にちょっとサッカー部の練習に参加し、そのまま帰ってしまう日が続いたりした。子供達は焦ったらしい。このままでは顧問をサッカー部に取られてしまう…・彼らはある作戦を立てた。それは軟式テニス部を硬式テニス部にかえてしまおうという作戦だった。そうすれば顧問はきっと毎日来てくれるだろう、という訳だ。そしてその作戦は当たった。僕はその日から二度とサッカーのスパイクを履かなかったのだ。その当時の子供達にはそういう考える力があった。というか、そういう無謀なことを許すだけのゆとりが学校にもあったのである。
僕はテニスにはまった。大学時代に遣り残した何かを子供達にぶつけた。インカレに行けなかった鬱憤を子供達で晴らそうとしたのかも知れない。僕が顧問をしたのは「男子テニス部」だった。別に軟式とか硬式とかはなかった。そこが彼らのねらいだったようだ。そして僕はその「男子テニス部」に女の子のマネージャーを8人ばっかり入部させた。自分のクラスから運動神経のいい子を選んで「テニスやらないか?」と誘ったのである。彼女たちは「硬式テニス」という響きに誘われてテニスコートに登場した。(そのコートは1面である時は80人に膨れ上がったのである。)男子の中の1年生の女の子達は恐いもの知らずだった。男子の関東大会の応援に池袋の立教中学に行った時も、西武線の中で半袖、ブルマーで騒いでいた。それで随分笑われたが、彼女たちが1年後に全国大会に出場するようになることなど、僕以外は誰も思っていなかっただろう。僕の「テニス部」はこうしてスタートしたのだった。
テニス部の練習はきつかった。石神井高校時代のトレーニングを中学生にやらせたのだからめちゃくちゃだった。勿論僕も全て一緒にやった。不思議なもので、顧問が一緒にやると子供達は物凄いスピードでついてくるようになるのだ。彼女たちは走って走って走り回った。陸上部よりも走ったから、陸上部よりも速かった。そしてあっという間に全国大会に出てしまった。彼女たちは全国で勝てなかったが、彼女たちの頑張りが後輩達に自信を与えた。男子が全国大会で2位になったのだ。硬式テニス部になった時に「日本一になろう!」と言った言葉が夢で無くなる日が来るような気がした。その学校ではその夢は実現しなかったが、次の学校(六中)で子供達はその夢をかなえてくれた。そう「日本一」になったのだ。それも二度も…勿論僕はテニスにますますのめり込んだ。そしてたくさんのタイトルを取るのだが、失ったものも大きかった。「家庭崩壊」である。僕は部活をやりすぎて、家族を失った。部活動は楽しい、だがほどほどにしなくてはいけない。

終業式
雨が降らなくてよかった。合羽を着ていって失敗だったくらい、雨は殆ど降らなかった。朝から雨に打たれる子ども達を見たくない。雨には何が含まれているかわからないのである。兎に角、一学期が終わり、僕らの見守りも夏休みに入る。

通知表
空の通知表を見て驚いた。何と「音楽」の一番上が「もう少し」になっていたのだ。まさか自分が空の成績のことで学校に電話をするとは思ってもみなかったが、家族みんなが納得できなかったので・・電話をしてみた。何故そんなの拘ったかというと、それが「音楽に関心を持ち、進んで歌ったり演奏したりしようとする」だったからだ。通知表のどの教科のどの項目で「もう少し」がついたとしても、こんなに驚きはしなかった。でも、音楽のこの項目だけは誰よりも“できる”と思っていたので、どうしても納得できなかったのである。それくらい空は毎日ピアノを弾いているのだ。音楽そのものにもの凄く関心を持っているのだ。だから(先生が空のことを全く見ていないか、他の子と間違えたのじゃあないかね・・)そう思うくらい不思議な評価に思えたのだ。最初は担任のO先生と話をして、次に教科担任のY先生と電話で話をした。どうやら空の音楽の評価については先生達も話合ったらしかった。そして、僕は音楽のY先生の説明で納得した。先生は空が休み時間ピアノを弾いていることも良く知っていて、授業中に誰よりもいい表情で歌うことも知っていたのだ。だけれど・・・先生のお話やお友達の演奏の時に、隣の子と話をしてしまい、ちゃんと聴けていないのだそうだ。「音楽は聴くことが一番大事なんです」とY先生。「空君にはどうしてもそれがわかって欲しくて、期待の意味を込めて“もう少し”をつけました。」先生は空のことを実によく見てくれていたのだ。空の何がよくて、何がだめなのかをちゃんと見ていてくれた訳で・・・僕は心から納得して電話を切った。空がこれから音楽の道に行くかどうかはわからない。(本気でピアニストになりたいらしいが・・・・)でも、音楽の先生が空の人生に大切なことを教えてくれたことだけは確かだ。先生に感謝である。

シュトゥットガルド管弦楽団
僕は小学生の時にシュトゥットガルド管弦楽団の演奏を厚生年金会館に聴きに行って、音楽というのは静かに聴くものだということを肌で感じた。それからは誰の演奏でも静かに聴くことが当たり前になって・・今に至っている。その影響で、議会でも誰かを野次ることができないのかも知れない。小さい頃の教育は恐ろしく人生に関わってくるものだと思うのだ。そういう教育を受けていなければ、平気で野次る男になっていたかも知れない。人の話を聴く、人の演奏を大事にする・・・そういうことを小さい頃に教えて貰った僕は幸せだと思うのである。

なでしこ
ピアノの特訓を始めた。勿論、僕がである。左胸が痛いので、きつい運動はできない。痛み止めを飲みながら家の中でやることと言えば、資料の整理と議会報告の準備と・・・読書とパソコンに向うことくらい。そこで朝からヘッドフォンを付けてピアノに向ってみたのだ。ところが、空のように右手と左手が連動しないのである。ずっと音楽は5だったのだが・・・もうビックリするくらい指が動かなくて・・・それでも、なでしこ“諦めない”精神で夜まで頑張った空父であった。

語学
こういう日は語学のトレーニングにも最適である。僕は韓国ドラマからアメリカの大学に留学するストーリーを選んでDVDを見てみた。すると、韓国語と英語の両方の勉強になるのだ。一石二鳥とはこのことで・・・楽しいひと時だった。

今日の写真
東門の見守り部隊の二人です。順子と純一は忙しいのに、睡眠不足になるくらい仕事が大変なのに・・・僕と一緒に(僕が駅立ちでいない日も)毎朝、見守りをしていてくれます。本当にありがたい話で・・・感謝、感謝です。お疲れ!明日から朝の1時間を何に使おうかね・・・。

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