7月25日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第205弾!  2011.7.25(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第205弾!  2011.7.25(月)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ13  掃除
トイレ掃除に燃えた時があった。メチャクチャ汚かった外トイレをみんなでぴっかぴかにした。便器の中に手を突っ込んできれいにした。何度も顔に得体の知れないものがひっかかった。トイレの前で取った写真がある。みんな笑顔一杯だ。子供達は実は掃除が好きなのだ。仕事が好きなのだ。それを好きにするか、嫌いにさせるかは教師の言動にかかっている。

「清掃点検」に燃えている学校があった。毎日美化委員がチェックしてまわる。駄目なところに×をつけていく…。体操服に着替えてないと、×をつける。掃除をしているかいないかではなくて、体操服に着替えているかどうかで判断する。教師も「なんで制服なんだーっ!」と怒鳴る。これは教育ではない。勿論ある程度学校はきれいになるだろう。だけどだ、学校をきれいにするのが目的ではないはずだ。もしそうなら、業者を雇って掃除をしてもらえばいいのだから。

実は最初の内、僕は子供と一緒に掃除をしなかった。先輩の先生に習って、掃除を監督していた。「清掃点検」の片棒を担いでいたのだ。ある時S先生とM先生という二人の先生と同じ学年になった。その先生達はあたり前のように毎日子供達と一緒に掃除をしていた。子供達が遊んでいても、その二人の先生は黙々と掃除をしいていた。僕は子供達と一緒に掃除をするようになった。半袖短パンで額に汗しながら一緒に雑巾がけをはじめた。すると子供達も同じように膝をついて拭き始めたのだ。今まで足で拭いていた子供達が雑巾がけの楽しさを一緒に味わい始めたのだ。子供達は雑巾がけのテクニックと楽しさを伝授されてなかっただけだった。雑巾の濯ぎ方、絞り方、姿勢そしてかけ方…やって見せればみんなできるのだ。それから教室とトイレがどんどんきれいになっていった。きれいにすればする程愛情が湧いてくる。子供達は段々教室を汚さなくなった。「物にも心がある。」ということを感じ始めたのだ。「物にも心がある。」それは僕が父から教わったことの一つだ。小さい頃からよくそう言われたものだ。「新しいものがいいものではない。」「大事に使えば使うほど、物だって嬉しいんだ。」僕はその言葉を子供達に伝えた。本物だと思ったから…。

「清掃の時はジャージに着替えること。」そういうルールをいくら作っても、子どもの心は教育できないのだ。一生懸命掃除してきれいにしても、清掃時間内に終わらなかったので×などというのは教育ではない。トイレの便器にへばりついたババ糞をきれいにするのに時間をかけて何が悪いのだ。掃除は毎日のことである。毎日のことだからチャンスは広がる。子供達に大切なことを伝えるチャンスが広がるのだ。自分の国を汚さない子供を育てたい。自分達の地球を汚さない子供達を育てたい。それには心を育てるしか方法はないのだ。「取り締まり」ではポイ捨ては無くならないのだ。子供たちに掃除をやらせたかったら、やらせないのも一つの手だ。ダラダラしていたら一人だけで掃除をするのである。楽しそうに且つ必死にやるのだ。当然帰りの学活は遅くなる。だがそれを一週間も続けていると、子供達の方から「あたし達にもやらせて!」と言って来る。『やる気の無い奴はいらない。』「やる気あるから、やらせて!」という会話になるだろう。それから掃除のテクニックを教えるのだ。箒や雑巾の使い方を子供たちは知らない。そこまでいけば教室はあっという間にきれいになっていく。

掃除の心
教室をトイレを綺麗にしていくことの楽しさを教えることが大事なんだろうなあ・・・それにはまず先生が掃除を好きにならないとね。掃除は義務ではなくて、権利なんだ!くらいのことを言えるようになるといいな。毎月河掃除をしているが、楽しい以外のなにものでもないもの・・・一度参加すると、みんなその楽しさにはまっていくのである。掃除の心は伝染するのである・・・。ふふふ。
物にも心がある
小さい頃、父さんに教えてもらったこの言葉は僕の子ども達に受け継がれている。「新しい車が欲しいね。カーナビが付いたやつ」とひとみ。「お金がないから・・無理かなあ・・」と僕。「この車を捨てちゃあだめだよ。この車の部品を生かすならいいけど・・・」と空。そらはカルディナを家族の一員のように思っているのかも知れない。兎に角、「大事に大事に使おうよ」と言うのだ。新しいものがいいものではない・・・・空はそう言っているのだ。物にも心があることを小さいうちからわかっている空である。

メダル
世界水泳を見た。リポーターの質問に頭にくる。選手の気持などおかまいなしなのだ。どれだけの苦しい練習をしてきたのか・・・その段階から見てきたら、あんな質問はできないだろう。世界水泳に出るような選手は、想像できない程練習してきたはずだ。8歳の空が3000m近く泳ぐのだから、何万mという単位で泳いできたはずだ。それがタッチの差で負ける・・・微妙なリズムのずれで負けるのである。確かに結果は大事だ・・・でも、テレビの前にいる人間はそればかりを求めている訳ではない。世界水泳に出ることがどれくらい大変なのか・・・彼らがどれだけ頑張ってきたのかを知りたい人間もいるのだ。メダルが取れたら大騒ぎ。決勝に残れなけりゃあ相手にもしない・・・そんな報道をしているテレビ局からは、原発の正しい情報なども出てこないだろうと思ってしまうのである。

今日の写真1
どうも自分の中では神さんがこの世にいないような気がしていません。神さんが亡くなってもう随分経つのですが・・・時々声は聞えてくるし、僕が苦しいときは応援してくれている・・・そんな気になるのです。好きだということは恐ろしいことで・・・何をされても、何を言われても、それが全部僕に対する愛情に感じるから不思議です。だから、きっと子ども達も僕と同じように“神宮司チョップ”をくらっていたのでしょう。ピアノが下手糞だった神さん。それでも1000人の五中生は校庭が揺れる程の大声で校歌を歌ったのです。

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