7月28日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第208弾!  2011.7.28(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第208弾!  2011.7.28(木)   たかやん

西戸山
久しぶりに新宿に行った。我が母校西戸山小学校の祝典に参加したのだ。新座市からは僕の親友のY校長も参加していて・・・・忘れているかと思った西戸山の校歌を僕は子ども達と一緒に歌ったのだった。覚えているものなんだねえ・・小学校の校歌。
富士のたかねを仰ぎ見る 明るい窓の春秋に 文化の恵み身に受けて 強く正しくほがらかに のびる我らがよろこびの 歌ごえひびけ 西戸山。  
戸山ヶ原をふるさとと さかえる街のあけくれに 肩くみかわす友と友 理想の丘をめざしつつ 進む我らがよろこびの 足音ひびけ 西戸山。

研究授業
指導案ができてなくて、困っていたら柴崎先生と久保先生と川崎先生が助けてくれた。実験の準備もみんなでやっておいてくれて・・・ああ、なんていい仲間なんだろう・・・そう思ったところで目が覚めた、今朝の空父であった。

教師を目指す人へのメッセージ16 職員会議
最初の年、僕は職員会議でほとんど発言できなかった。ただただ先輩達の議論を聞いていただけだった。唯一発言したのがソックスのこと。当時、僕の学校では「女子のソックスは三つ折りのこと。」という、訳の分からないルールがあったのだ。いくらなんでもそれはひどいと思って、勇気を出して手を上げたのだ。『どうして、ソックスを三つ折りにしなくてはいけないのですか?』すると僕の大好きな神宮司先生がこう言ったのだ。「三折りの靴下のことをソックスというんです!」それで終わりである。僕は職員会議での初発言をこうして撃沈されてしまったのだ。

僕のいた埼玉の公立の中学校では未だに「少し許すと、どんどんだらしなくなる…限度が無くなる。」という考え方への信仰がある。例の「服装の乱れは心の乱れ」という標語を金科玉条のように唱えている人達はたくさん存在している。そこから僕の一番嫌いな言葉「共通理解、同一行動」という言葉が生まれてきたのだと思う。彼らは生徒に同じように接しなさいと言う。その前にルールを守らせるということに対してはみんなで共通理解しましょうね、という訳だ。前にも書いたが、これが恐いのである。この考え方が教師から人間味を奪い、生徒の心をぎゅうぎゅうに縛ってしまうのである。少し考えれば当たり前のことなのだが、不思議なことに、長年学校にいると、その考え方に疑問を感じなくなる人が多くなっていくのだ。国会中継もなかなか滑稽で面白いことがあるが、職員会議をテレビで中継したら、かなりの視聴率を稼ぐのではないかと思う。少なくても「金八」よりは面白いと思う。それほど中身のない議論がされることが多い。

一番忘れられないのは21年目の学校での初めての職員会議。新しい部活動を作ろうとしたときだ。『硬式テニス部を作りたいのですが。』「8年前の職員会議で新しい部は作らないと決めたので無理です。」『今、ここにいない人達で決めたことに、何故我々が従わなくてはいけないんですか?』「原案通りでお願いします。」『コートも予算もいりません。やりたい子達がいます。やらせてください。』「原案通りでお願いします。」今でもその時のことを思い出すと腹が立つが、要するに管理職の考え一つなのだ。職員全体の考えで物事が決まっていくのではなくて、管理職の頭の中で物事が決められていく。管理職とその取り巻き連中の「飲み会」で学校のことが決められてしまうのはたまらない。そんな馬鹿な・・・でもそういう学校はたくさんあるのだ。管理職が子供達の方を向いて能力の高い場合はいいが、子供達の方など全く見ていなくて能力が無いと、こういう職員会議になってしまう。要するに結論が先に出ている訳だ。議論しても無駄だから、誰も発言しようとしないし、「原案賛成!」とゴマをする奴がかわいがられるという仕組みが出来上がっていく。反対に逆らうと、報復人事などが待っていたりするから恐ろしい。この当たりも最近の国会と同じである。逆に自由にものが言える学校はいい。先生が伸び伸びしていれば子供達だって、伸び伸びする。当たり前のことだ。最初の職員会議でその雰囲気はつかめるはずだ。学年会議も一緒。自由にものを言えないような雰囲気の時は管理職に問題があると思っていい。そう学級会議だって同じだ。力の強いボスのいいなりになるようなクラスや学年、そして学校は御免だ。
* 随分昔に書いた文章だと思うが・・・今にも通用しそうで怖い。押さえつける環境でいいものが生まれてくる訳がない。それは企業でも学校でも家庭でも同じだろう。ある程度のルールやマナーは当然として・・・自由にものが言えない環境でなければ、人は幸せにはなれないし、人を幸せにすることもできない。自分の脳みそや自分の心を開放する為にも、人は押さえつける習慣から脱しなければいけないのだ。

16本
今日の空の練習はきつかった。全部で2600m泳いだのだが、その中に50mフリーが連続16本あったのだ。50mを16本で800m。10秒休んではどんどん泳いでいく訳で・・・途中、1分程の休憩が2回入ったが・・・空はよく頑張ったと思う。そして最後の16本目をかなり速く泳いだ空にコーチの雷が落ちた。「空、何で3秒も速いんだ!」要するに力を残して泳いでいたということを見抜かれたのである。僕も全ての泳ぎを記録していたが、確かに15本の平均より16本目は3秒速く泳いでいたのだ。Nコーチは実によく子どもを見ている。そして、叱るところは叱り、誉めるところは誉めるのである。だから、子ども達からも親からも信頼されているのである。


世界水泳、50mバックの寺川さんの涙が素敵だった。10年という年月が強調されていたが、彼女が泳いできた時間はもっと、もっと長いだろう。小さい頃から泳いで世界の舞台に立ってから10年なのであって、小さい頃から吐くような練習をしてきたはずだ。あの世界水泳にでた選手はみんなそうだろうし・・・あの大会に出られなかった選手達も、きっとそうなのだ。そんな選手達の汗と涙をみんな集めて流した涙・・・僕にはそんな涙に見えたのだ。    

今日の写真
我が母校、新宿区立西戸山中学校の校歌です。小学校の6年間と比べて3年間しか歌わなかったので、全部は覚えていませんでした。1番は何とか思い出せたのですが、2番は・・・
ここまでくると高校の校歌も調べてみたくなり・・・我が母校都立石神井の校歌で検索すると・・・ありました!応援団で気合を入れて歌ったはずですが・・かなりあやしかったです。

“緑なす ここよ武蔵野 萌え出づる 叡智の園生 若き子の 望みは高く
誠もて 真理を窮む これぞ理想 われらが希求

梅にほふ 学びの庭に すがすがし 大気のかをり かぎりなき 真澄の空に
あふぎみる富士の高嶺よ これぞ誇り われらが象徴

さんらんと 自由の光 みちあふる 文化の泉 おお石神井 われらが母校
新しき 世紀の朝に 眉あげて ともに進まん これぞ誓ひ われらが生命”


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