7月31日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第211弾!  2011.7.31(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第211弾!  2011.7.31(日)   たかやん


朝から雨・・・ピアノの練習で一日がスタートする。空のようにスラスラは弾けないが・・・それでも昨日の自分よりも上手になった自分がいる。英語も韓国語もテニスも議員や塾長としての技量も、そして僕の人生そのものもそうでありたいなあ・・・・。

教師を目指す人へのメッセージ19 学校という狭い社会

学校という社会は狭い。教師という職業が難しいのは、学校以外の社会を余り知らない人間が無限の可能性を秘める子ども達と接するところにある。どこかで浪人したり、留年したりしている教師はまだましなほうだ。現役で教師になったりすると、小学校1年生から「学校」という社会しか知ら無い訳だから困ったことになる。「学校」の価値観は社会では通用しないと思った方がいい。

例えば修学旅行がある。僕のいた新座市ではほとんどの学校が奈良・京都への修学旅行だった。それも旅行業者にお任せのお金のかかる旅行だった。その事に疑問をもった友人が林間や修学旅行を生徒に企画させようとした。(一部の私立では当たり前のことかも知れない。)国民自然の家を利用し、バスの手配から何からみんな子供達でおこなったのである。その結果、2泊3日のクラスごとの分泊の林間学校は3500円しかかからなかったのである。しかも自由時間はたっぷりあり、ご飯はお代わり自由で美味しくて…。彼は修学旅行にも同じ事をやろうとした。分泊の修学旅行である。生徒たちも自信を持っていた。「次ぎは修学旅行だ!」と。しかし、教育委員会から横やりが入る。校長が呼ばれ指導を受ける。「S中だけ特別なことをやってもらっては困る。」という訳である。そして彼は校長に指導を受ける。結局彼は「修学旅行を自分達の手で!」と約束した子供達に、涙の敗北宣言をするのである。子どもと親に圧倒的に支持された有能な教師が、こうやって「不適格」の烙印を押されていったのだ。

切符を買う手数料は11%。一人10000円の切符だと一人当たり1100円の手数料を業者に払っていることになる。切符を買うだけでだ。自分達で東京駅に買いにいけばただなのにである。

原因は旅行業者との癒着にある。

旅行業者は林間学校や修学旅行の手数料が大切なのだ。一度業者と馴染みになると、公私の区別がなくなってくる。例えば職員旅行や校長会の旅行などは、かなりの割引やお土産がついてくる。その分は子供達から、というシステムなのだがそれが分からない。林間や修学旅行の下見もそうである。至れり尽くせりの下見に教師達はコロリとやられる。美味いものを食べさせてもらい、お土産をたくさんもらって、おまけに旅行の計画まで立ててもらえるのだからたまらない。自分達は楽な思いをして、その分を子ども達からぶん取るという構図が「教育」な訳はないのだが…。そして僕が一番嫌いだったのは旅行での「接待」である。修学旅行の夜、子ども達には「早く寝ろ!」と怒りながら、自分達は「反省会、打ち合わせ」と称して飲むのである。僕は修学旅行の夜、子ども達と語るのが好きだった。子ども達と夜を徹して語るチャンスはめったにない。そういうチャンスを飲み会で潰してしまうのだから始末に終えない。挙げ句の果てに酔った勢いで寝ない子ども達を怒り、廊下に正座させたりする教師もいるのだからどうしようもない。そういう話をいまだにあちこちで聞くのである。

しかし、学校ではどうしようも無い方が普通で、普通な方がどうしようもなくなったりするのだ。学校という社会は狭い。その狭い社会で当たり前のことは、子供たちが出て行く実社会では通用しない。

朝早く学校へ来て怒られる子供たち。普通の社会なら、誉められても怒られることはないだろう。でも、時間を守ることは大事だ!「朝練の時間は7時半からだ!」という教師。どうして「頑張るなあ・・・7時半からの練習なのに1時間も前から来ているのか・・」と誉められないのだろう。掃除の時間、ジャージで遊んでいる子たちが怒られず、制服で真面目に掃除をしている子たちが「ちゃんと着替えろ!」と怒鳴られる。掃除時間が過ぎても、トイレの便器にへばりついたババ糞と格闘している子たちが怒られ、適当に済ませた子達に○がつく・・・・時間や服装を守ることが大事で、見てくれが大事だと教える教師達。どんな社会に出ても通用する・・・そういう子ども達を育てたいものである。子ども達は我々が経験したのことのない世界へ巣立って行くのだから・・・・。

* これを書いた時と今とでは実情は違うかも知れない。違っていて欲しい・・・・。でも、学校という社会でしか・・いや、その学校でしか通用しない価値観を子ども達に押し付けている・・・そんな学校(教師)がある(いる)こともまた確かなことである。少なくても学校という社会は、ちょっと普通じゃないのだ。と、自覚しておいたほうがいい。そうすれば、馬鹿馬鹿しいことでなやまなくて済む。心の病にかかる教師が多いのは、学校の独特の価値観に押し潰されてしまったことが原因かもしれない。僕はそう思うのである。

おひさま
反戦ドラマである。僕らの世代には実感がわくドラマである。陽子の夫の和成が帰ってきたシーンでは、僕はビルマ戦線から帰ってきた父のことを思った。僕が生まれる前の話で、知るわけもないのに・・・父さんがおばあちゃんや叔父ちゃんのいる舟見に帰った日のことを思って泣いた。陽子の長兄の春樹が戦死したところでは、登おじさん(当時18歳か19歳)の戦死を想像して泣いた。戦闘シーンは一度もないのだが、十分にあの戦争を感じさせるドラマなのである。そして陽子先生と子ども達の関係に涙するのである・・・・。ありゃあいいドラマだわ・・・。

反戦歌
僕らが中学生の頃は日本中が「反戦」ムードだった。勿論、ベトナム戦争に対する反戦である。アメリカではジョーン・バエズやPPMが反戦の歌を歌い。新宿西口広場では大学生や高校生のお兄さんやお姉さん達がギターを抱えて、「自衛隊に入ろう!」や「友よ」を歌っていた。父や叔父達を戦地に送られた祖母は「戦争は嫌だ」と言っていたし、相馬市に疎開した母は「戦争だけは絶対にだめ」と言っていた。父は戦友とよく飲んでは「軍歌」を歌っていたが、死んでいった戦友を思って、弟を思って・・・いつも泣いていた。だから、僕の体には「反戦」の2文字が刻み込まれている。理屈ではない・・・心がそう叫ぶのである。僕らは幸せな50年を生きた。戦争を知らない50年である。できる事なら、亮や空にも同じ50年を経験してほしい。苦しい兵役や戦闘は父さん達だけでいい。スポーツの練習での苦しい練習は経験して欲しいが、人を殺したり、殺されたりするのが当たり前のような戦争を経験して欲しくはない。どんなに才能があっても、一瞬で終わり・・・そんな人生であっていい訳がない。戦争は音楽やスポーツの世界でやればいい。同じ条件で、競えばいいのである。今でも戦争をしている国がある、地域がある・・・音楽やスポーツと無縁な子ども達がいる。悲しい限りである。

息抜き
僕の息抜きはテニスとピアノ。テニスは嫌なことを忘れさせてくれるし、ピアノに集中している時は、ほかのことは何も考えない。そう言えば、今日は痛み止めを飲まないで過ごした。背中は相変わらず痛いが・・・息抜きのお陰で、大分痛みが和らいだ気がする。

今日の写真1
西戸山小の中庭です。この向こうに、僕らが泳いだプールがあります。毎日のように練習した記憶があります。僕は平泳ぎと潜水しかできませんでした。バタフライができるようになったのは五中の水泳部に教えてもらってからですねえ・・・。

今日の写真2
西戸山小の正門から入ったところです。昔、中庭にあったトーテムポールが1つだけここに置いてありました。低学年の時に、ここの教室だった記憶があります。

今日の写真3
僕達家族が住んでいた公務員宿舎RC−11号室があった場所です。当時は4階建てのアパートで、お風呂もついてませんでした。家賃は5000円くらいだったのではないかと思います。今とは違って、殆どの家のことを知っていましたし、よく遊びにも行きました。特に隣の岸野さんの家とは仲がよくて、何でも貸し借りしていましたし、泊りにも行っていました。僕はその家の邦子ちゃんをお姉ちゃんみたいに思っていて、小学校低学年までは中学生の邦子ちゃんと一緒に女湯に入っていた記憶があります。

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