10月6日 (土)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第281弾!  2012.10.6(土) たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第281弾!  2012.10.6(土) たかやん

川掃除のお知らせ
10月の川掃除は14日(日)に行います。栗原1丁目公園に9時集合で、馬喰橋から都県境まで清掃します。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。途中までの参加、途中からの参加も大歓迎です。

脱原発ウォーキング
10月27日の午後。志木駅近くの三軒屋公園をスタート地点として、脱原発ウォーキングをやることになりました。みなさんの参加をお待ちしています!

5時間
8時〜13時までテニスに燃えた。トレーニングの効果で体が動くのである。そして色々なショットが正確になってきた訳で・・・最後には足して40歳程若いペアーに完勝した、僕と野村さんのおっさんペアーであった。

鬘(かつら)
僕が被っている帽子は100円。僕はその100円帽子を鬘と呼んでいるのだが・・・最近、100円ショップになかなか無いので困っている。見つけると、10セットくらい一度に買うのだが・・・今日もなかったなあ・・・

見る
午後は時間があったので、空の練習を見に行った。空が泳いでいるのを見るのは楽しい。自分のDNAが一生懸命何かに打ち込んでいるのを見るのは実に楽しい。それは多分、無駄な時間などではなく、空にとっても、僕にとっても大事な時間だと思うのだ。「ともやー!がんばれー!」と、運動会で大声で叫びながら、ステテコ姿で一緒に走って応援してくれた父さんの真似はできないけれど、僕は空の心の中に(いつも練習を見に来てくれた父さん)として存在できたら嬉しい。父さんが今でも僕の心の中に生きているように、僕も空の心の中で生きることができたら嬉しい。


「学校に行きたくない」「何で勉強しなきゃいけないの」という中学生達へ。その1

昔から、同じことをいう中学生はいました。彼らは決まって「義務教育だから、行かなくてはいけない」・・・そう小学校の先生や親に言われて、学校に行くことが義務だと思い込んでいたようです。

だから、僕は1年生を担任するときに必ず、最初の授業で「義務教育」の話をしていました。「君達には学校に来る義務はないんだ」「あるのは権利だけなんだ」ってね。義務教育というのは、君達の親に対する言葉です。親はどんなに生活が苦しくても、自分の子どもを9年間、学校に通わせて教育を受けさせなければならない義務があります。それが「義務教育」です。そう、君達には義務はないんです。あるのは教育を受ける権利だけ。学校に行く権利だけです。だから君達は学校に行かなくてもいいんです。そんな義務は0%。だから、行きたくなければ行かなければいい。
ただ、君達の権利は9年間しかない。それを超えると、権利はなくなってしまうんです。特別な場合を除いては、大きくなって学校に行きたい!そう思っても、その権利はなくなってしまうんです。

僕の両親の話をします。僕の母さんは頭が良くて、小学校でずっと1番でした。走ることや走り高跳びなどは東京の荒川区で1位だったくらいの健康優良児(懐かしい言葉だなあ)。そんな母さんは女学校(今の中学校かな)に行きたくて、行きたくてしょうがなかったのに・・・行かせてもらえませんでした。おじいちゃんが死んでしまって、家が貧しかったのです。ですから、小学校を卒業すると、直ぐに箱屋さんに丁稚奉公に出されました。それでも勉強がしたくて、夜間の四谷商業学校を受験したのです。勿論合格するのですが・・・僕のおばあちゃんはその合格通知を泣きながら破ってしまいます。家計を支えていた長兄の道おじちゃんに気を遣ったのだそうです。でも、母さんはおじちゃんもおばあちゃんも恨むことはしませんでした。ただ、貧しくて勉強できないことが悲しくて、悲しくて泣いたそうです。13歳の女の子が夜間の商業の学校にもいけない。そういう時代がちょっと前の日本にもあったのです。貧しいと、頭がよくても学校に行けない・・・そんな馬鹿な、そんな理不尽なことがないように、今の君達は9年間の義務教育が保障されているのです。

僕の父さんは小学校で2番で、旧制の魚津中学校に行きました。その時におじいちゃんが死んでしまって、中学を卒業すると、働きながら中央大学の夜間部に行きました。そこで召集されて、ビルマ戦線に行ったのです。長男でしたから、戦争から帰ってくると、そのまま役所に勤めて、給料をおばあちゃんに送ったそうです。おばあちゃんはそこから猛おじちゃんの学費を出したのです。自分は大学を中退したから、弟は大学に行かせたい。弟は弟で、本当は一ツ橋大学に行きたかったのだが、現役で受からないと兄貴に迷惑がかかるから、金沢大学を受験し、現役で合格しました。時代が違うといっても18歳の受験生には変わりありません。父さんもおじちゃんも、苦しかっただろうと思います。

僕はそういう家庭に育ちましたから、高校に行くときも「石神井高校に行かせてください」と父さんにお願いしました。北大に落ちた時も「浪人させてください」と父さんにお願いしました。自分の力では何もできないのがわかっていたからです。父さんは国家公務員でしたが、役所でどれだけ働いているか・・・徹夜で原稿を書いて、それを僕らの学費や生活費にあてていたか、母さんがロウケツ染めをやって、家計を支えていたか・・兄貴を私立の高校に入れるために、親戚に頭を下げて入学金を借金していたことも知っていたからです。

僕はそういう両親に育てられたのです。だから、高校に行けることも、大学に行けることも幸せに感じてしょうがありませんでした。そして、そこで学ぶ為の努力はちっとも辛くはないことも知っていたのです。そう、自分がやりたいことの為の勉強は辛くなんかないのです。

282弾につづく

今日の写真
作成した直後の新しい名刺です。写真付きです。透かしも入っています。パターンも4種類あります。じゃんこに感謝、感謝です。

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