12月2日 (日)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第337弾! 2012.12.2(日) たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第337弾! 2012.12.2(日) たかやん

川掃除のお知らせ
12 月の川掃除は9日(日)に行います。栗原1丁目公園に9時集合で、11時まで頑張ります。前回から掃除の方向を変えました。川上から川下の方向・・・都県境から馬喰橋まで清掃します。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。途中までの参加、途中からの参加も大歓迎です。反省会は午後5時から。反省会のみの参加もOKです。

第2回脱原発ウォークのお知らせ
12月9日(日)志木の三軒屋公園に13時集合、13時半集会開始、14時出発で脱原発ウォークを行います。子ども達の為に、日本の未来の為に、声を出して歩きましょう!

朝トレ
今朝もトレーニングで一日がスタートした。継続は力なり・・である。確かに体型が変わってきたような気がする。

『たかやん塾日記』2005.第177弾!   9月26日(月)

北大テニス部
金曜日に北大テニス部の集まりがあった。ひとみと空も一緒に行ったのだが・・・新小岩にあるそのコートは線路の直ぐ脇で、電車が引っ切り無しに通り、空はご機嫌だった。普段はなかなかテニスができないひとみも、久しぶりに汗をかくことができた。みずきや風太のお母さんの明子が「おばちゃん」役をやってくれたのだ。勿論「おじちゃん」達も空をかまってくれた。
驚いたのは65歳くらいの先輩達の体だった。太った人がいないのだ。現役で全日本で活躍している先輩などは、まるで30代の体だった。面白かったのは、本物の30代の後輩達が弱かったということ。どう見ても球のスピードは向こうの方が速いし、足も速いのだが・・・勝つのは50代のおっさんチーム。若い後輩達は首をかしげていたが、スポーツは頭とメンタルなのよねえ。
二次会で卒業以来の後輩達とも会えた。みんなあっという間に学生時代に逆戻りしてしまい、笑いが耐えなかった。こういう仲間と出会うために僕はあの大学へ行き、そしてテニス部に入ったのだと思った。

ビデオレター
日曜日にはまた横浜へ行った。和彦の病室にはビデオが置いてあった。「何するの?」と聞くと「ビデオレターを撮るんや。」という答えが返ってきた。残されていく奥さんや娘さん達の為に、元気のあるうちに映像で残そうというのだ。娘さん達はこれから色々な困難にぶつかるだろう。その時に父親の声は特別な意味を持つと思う。僕も苦しいことがたくさんあったが、その度に父さんの詩集「三本の矢に」を読んだ。その詩集を読むと父さんの声が聞こえてくるから・・・・それで何度助けられたか分らない。
きっと彼女達も和彦の姿とその声を聞いて、元気がでるはずだ。これから和彦はどんどん力が落ちていく。昨日はまだ目に力があったが、それもモルヒネでどんどんやられていくだろう。ビデオレター・・・・僕にもそういう日が来るのだろうか・・・・。

秋刀魚
朝霞に住んでいる兄貴から秋刀魚をもらった。小さい頃は僕をいじめてばかりいた兄貴だが、僕が大学に入る頃から大分優しくなって・・・・今では何かを貰うと、直ぐに僕に電話をして「取りにおいで。」と分けてくれる。小さい頃、秋刀魚の開きを二人で分け合って食べた。「朋矢には骨の無いほうをあげるよ。」と達矢。暫くは(優しいのかも)と思っていたのだが、ある日「僕も骨のある方がいい。」と言ったら「駄目だ!」と拒否された。秋刀魚の開きは骨の付いている方が身の量が多いのだ。そんな貧乏だった時代を思い出しながら、美味しい秋刀魚を丸ごと一匹食べたのだった。  たかやん

2005年・・・親友の和彦が亡くなった。僕は通えるだけ横浜に通った。僕の親友は実に立派な死に方を見せてくれた。娘たちにビデオレターを遺し、葬祭御礼も自分で書いた和彦。そして、笑顔で僕に「ありがとう!」と言ってくれた。頭のいい男で、仕事ができる男だった。俺みたいに不出来な男が残り、和彦のような男が先に逝く・・・世の中は公平じゃあない・・・。
俺にできる事は、一生懸命生きることだけ。生きている幸せを噛み締めながら、色々な問題に全力でぶつかっていくだけ・・。あれからもう7年が経とうとしているのか・・・。

空との時間
午後は二人でサッカーをやり、キャッチボールをやり・・・沢山遊んだ。ボール遊びが苦手だと言っていた空だが、やらせてみると・・結構上手な訳で・・・気がつくと、1時間以上経っていたのだった。不器用だから、最初は何でも下手っぴいだけど、練習すれば何でも出来るようになる空。そう、練習すれば亮みたいに、サッカー大好き少年になるかも・・・。そして龍みたいに野球大好き少年になるかも知れない・・・。そして、テニスをやらせたら・・ちょっと楽しみになってきた空父であった。

お風呂
そして空と一緒にお風呂に入り・・色んな話をした。「ねえ、お父さん。どうして二酸化炭素が体の中から出てくるの?」「それはねえ。食べ物の中には炭素が必ず含まれているんだ。炭素は元素記号でなんだっけ?」「C」「そうそのCと酸素がくっつくんだよ。酸素は何だっけ?」「O」「そのOが二つと炭素が二つで二酸化炭素」「CO2」「そうお尻から読んでいくんだったね。」「ねえ、お父さん、口からでた二酸化炭素はどうなるの?」「空気中の大体8割、80%が窒素という気体なんだ。酸素は大体2割20%あるんだよ。二酸化炭素は0.03%しか含まれてないんだよ。だから、どれだけ口から出しても大丈夫なんだよ。」「そうなんだ・・・」空の質問に答えるのは大変だ。兎に角、どうして、何で?を連発する訳で・・・お風呂の中が教室になるのである。

今日の写真1
これは今年の4月2日、今から7ヶ月前の塾の様子で・・・みんなで真剣に箸の使い方を練習しているところ・・だと思います。何でも練習という訳です。

今日の写真2
これは今年の5月3日、今から6ヶ月前の写真です。母さんが舟見に帰る前に撮ったのだと思います。毎年、出来ていた事が少しずつ出来なくなってきている母さん。それでも、「お母さん」と呼べる人がこの世にいるということは、息子達にとっては凄く幸せなことだと思います。父さんも胸の中にはちゃんといるのですが・・・なかなか返事をしてくれないのです。

今日の写真3
トレーニングを始めた頃の僕と長久保先生です。人間の体や心は月単位で変わっていくということを実感しています。毎日、一月頑張ると、違う自分になれるということです。体も心も血糖値も全て変わるから面白い訳で・・・人生って、先生との出会いが大きいですね。

20121202-1.jpg 20121202-2.jpg 20121202-3.jpg