9月10日 (月)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第255弾!  2012.9.10(月) たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第255弾!  2012.9.10(月) たかやん

ハイタッチ
今朝の見守りも、松村さんとの笑顔のハイタッチでスタートした。僕だけではなく、子ども達も松村さんとハイタッチしていく・・・月に一度の「挨拶運動」とはえらい違いだ。毎日の法則はここでも強い。みんなの笑顔が気持ちよかった。

東門
通学班の子ども達とハイタッチして、東門に向かう。月曜日は子ども達のテンションが低い。それでも道路を渡る子達は元気のいい挨拶をしてくれる子が多い。毎日の法則である。

委員会
9時半から委員会が始まった。決算に関する資料要求のことで、少し時間をとり・・・バスの出発が予定よりも大分遅れた。僕らは新座中、八石小、野寺小と回って・・・ちょっと楽しい視察だったなあ・・・。

お弁当
今日のお昼は会派のメンバー全員で控え室で食べた。勿論、委員会の打ち合わせを兼ねながらの食事である。

失敗
午後は1時15分からということだったのだが・・・1時10分頃、僕と立川さんが委員会室へ行くと・・・そこには誰も居なくて・・・僕らは「あれ?1時半って言ったっけ?」と暢気に話をしていた。15分になっても誰も来ず・・「やっぱり30分だな、これは・・・」と話していたのだが・・・「あーっ!午後も視察だった!」と突然気がついて・・・バスまで
ダッシュしたのだった。委員長が視察を忘れるのだから、どうしようもない訳で・・・みなさん申し訳ありませんでしたあー!!!

消防車
午後の視察は老人福祉センターと第二分団の消防車。第二分団の消防車のナンバーは2119で、「第二の2に119番で2119なんです」という説明を聞いて、「知らなかったあー!」と感心した。第三分団の消防車は3119なんだそうだ。

下校
条例二本と補正予算の審議をして、今日の委員会は終わった。「たかむら下校しまーす!」と議会事務局に挨拶をして家に向かう。それから、22時過ぎまで、小中学生と一緒に燃えたのだった。

教育
僕が小さい頃、ゴミ屋のおじさんと仲良くなったことがある。そのおじさんは多分、朝鮮の人で・・・新宿の僕らの公務員宿舎のごみをよく拾いに来ていた。当時はダストシュートというのがアパートにはあって、そのゴミを拾っていたのだと思う。いつも笑顔のおじさんが僕は大好きだった。そのおじさんが僕に甘食をくれたことがあった。母さんは笑顔で「すいません。ありがとうございます。」と、そのおじさんにお礼を言った。僕は朝鮮のバタ屋部落と呼ばれているところにも、よく遊びに行った。母さんは別に注意をしなかった。僕が誰と遊んでも、どこへ行っても怒ることはなかった。一方で父さんは「職業に貴賎はない」と、よく言っていた。だから「何屋になってもいいぞ」と、言われて僕は育った。日本人の僕らには多分、朝鮮の血が流れている。そして中国の血も流れている。アイヌの血だって流れているだろう。僕はそれを誇りに思うのだ。僕をそういう考えにしてくれたのは、父さんと母さんの教育だと思う。東村山で中学生に殺された人は本が大好きだったらしい。中学生の彼らが、ちゃんとした教育を受けていたら・・・その人と友達になっていたかも知れない。そう思うと悲しくなってくる。 2002年1月30日の塾日記から

今日の写真1
野寺小の屋上の太陽光パネルです。眩しそうにしているのは立川さんで、今日は大活躍でした。(笑)

今日の写真2
第二分団の消防車は納車して直ぐ火事があり、大活躍したようです。市民安全課長の説明を受ける、文教環境委員会のメンバーです。

今日の写真3
小さい頃から、学級委員は勿論、何か長がつくようなことをやったことがなく・・・委員長って柄じゃあないなと思います。司会進行に気を遣うので、思ったように発言もできないし・・・委員長報告も大変だし・・・それにしても、似合いませんよねえ・・・。

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