9月8日 (土)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第253弾!  2012.9.8(土) たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第253弾!  2012.9.8(土) たかやん

川掃除のお知らせ
9月の川掃除は明日の9日(日)に行います。栗原1丁目公園に9時集合で、馬喰橋から都県境まで清掃します。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。途中までの参加、途中からの参加も大歓迎です。

朝練
ガットを張った後、空の朝練を見に行った。上のクラスの子達とばったり。「おはよう!もう終わり?」「はい、6時過ぎから泳いでたので・・」「早いねえ・・」どうやら本当の朝練だったらしい。空達の朝練は8時から9時半まで。のんびり朝練である。

朝練2
空の朝練の後は自分の朝練。兎に角、動かないことには話しにならない病気で・・・汗ビッショリになって家に戻ったのだった。

お昼
ちゃんぽんを食べながら、「黒の女教師」(だったかな)を見る。GTOといい、この女教師といい、有り得ないところが面白い。そして、世の中はこういう先生達を望んでいるのかも・・・

付箋
来週からの委員会に備えて、資料を読み、付箋を付ける。そうそう一般質問の準備もしなきゃだ。明日も時間がある限り、準備をしよう。土日の勉強が大事なのである。

9年前の塾日記から
熱血先生
岩崎さんから素敵なメールが来ました。いい話なので日記に載せさせてもらしました。

我が家の上の娘の熱血先生についてまたおもしろい話が有ります。
その先生は五年二組の担任で娘は五年一組です。しかしその先生の考えでは「私は五
年二組の担任をしておりますが五年生の担任です」と言っています。ですからこの先生にクラスと言う概念は無く、「五年生は皆、私の生徒」と言う考えの先生です。
隣の教室に乱入し、「給食を残すな」と毎日叫んでいるそうです。給食が残ってい
て、もう食べられませんと生徒が言えば隣のクラスの生徒を引き連れて来てその残っ
た給食を残らず平らげて行くそうです。娘にとってそんな豪快な性格の先生はとても
好きな先生みたいで毎日が楽しみみたいです。こんな先生がいるおかげで学校は今、
とても落ち着いていて、学校崩壊と言う事とは無縁の状態です。
小二の下の娘も「岩崎の妹か」と声をかけられ、一瞬びっくりしたようですが「ク
ロールがうまくなったね」と一声お褒めの言葉でメロメロになっておりました。
生徒のやる気をうまく引き出す先生です。昔の我々の時代にはこんなおもしろい先生
はいなかった。
僕は今の時代にこういう先生がいてくれることが嬉しいですね。担任という枠をはずしているところがいいですね。その先生が活躍できるのは、きっと学年の先生からも信頼されているからしょう。「この学校の生徒は、私の生徒」という風に学校中の先生が思えるようになったらいいですね。僕の中学校の先生達はこういう熱血ではなかったけれど、愛情がいっぱいでした。“教育は愛だ!”はいつの時代にも通用します。

日本一と世界一
僕はその子に初めて会ったときに「日本一になろう!」と言った。その子はひたすら僕を信じ、1年365日ほど練習をして関東で優勝し、そして全国で3位までいった。優勝はできなかったけれど、僕は学校の部活動では日本一の練習をしたと今でも思っている。その子がテニスクラブのコーチになった。そして今11歳の子とプロの「世界一」を夢見ている。僕と会ったとき13歳だったその少年は、今はもう29歳。だけど目の輝きはあの時のままだった。彼の名前は野田一久。六中テニス部の部長を1年から3年までやった男である。
「全米オープンに行ってきたんですよ。」『いいなあ・・・俺も行きたかった。で、何しにいったの?』「全米オープンで優勝するにはどうすればいいか、考える為にです。」と一久。
『いるんだ、そういう選手が・・』「いるんです。」『お前もその子も信じているんだ。』「もう完璧に・・・」『いいね、いいね。まずは夢を信じないとね。何でもそこからがスタートだから・・・』「やっと分かってくれる人と会えました。」『周りは駄目か・・・』「はい。全く・・・」『そうかあ。でもやるんだろ?』「はい、やります。」『そうこなくっちゃ!』
久しぶりの一久との会話は僕を熱くさせた。一久の目はまるで少年の目だったからだ。『負けるなよ、一久。彼女にはお前しかいないんだから・・。お前が自信満々じゃないと駄目なんだ。』「はい。」世界チャンピョンになるのは大変だ。だけど世界チャンピョンになる為の第一歩は「世界チャンピョンになる。」と思うことなのだ。周りがなんと言おうが、彼らは今間違いなく「世界チャンピョン」に向けて歩き始めていると僕は思った。
実は僕にも昔、全米オープンに行くチャンスがあった。日本テニス協会から推薦されて、子供たちを引率して行くという話がほぼ決まっていたのだ。旅費から何から協会負担という条件でである。ところが教育委員会がノーと言った。「授業日がある。」というのがその理由だった。僕はその時、2年間くらい学校を休んでいなかった。取れる年休も全然取らないで仕事をしていたのだ。それも冬休み前のほとんど授業らしい授業がないという時期だったのに・・・・教育委員会が教員の視野を広める機会を奪うのだから、どうしようもない・・・・。視野を広くするには、広い世界を見るのが一番だろう。その為にも僕らは日々勉強しないといけないのだ。
* 二つとも今から9年前の塾日記。こんなことを書いていたんだなあ・・・。年休かあ・・・懐かしい話だ。今は年休のない世界で生きている。子ども達とゆっくり歩きながら生きている。

今日の写真1
男だらけです。僕も男三人で育ったけれど、空の従兄弟達も男三人です。まさか、この中からたかやん塾に通う子が出るとは思っていませんでした。僕の優しい弟と、可愛い、可愛い甥達です。

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