1月19日 (土)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第19弾!  13.1.19(土) たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第19弾!  13.1.19(土) たかやん

川掃除のお知らせ
来月の川掃除は2月10日(日)に行います。栗原1丁目公園に9時集合で、11時まで頑張ります。掃除の方向は。川下から川上の方向・・・馬喰橋から都県境まで清掃します。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。途中までの参加、途中からの参加も大歓迎です。同時進行で、恒例の味噌作りも行います。そちらは丸一日の作業になります。

朝練
久しぶりに朝練をやった。3時間程汗をかいて、気持ちがよかった。少しは痩せたかな・・・


空の熱が下がらない。38度から39度をうろうろしている。朝から暇でしょうがないらしく・・・コナンのビデオを見たり、割り箸でピストルを作ったり、ピアノを弾いたり・・・ちゃんと寝ていないので、熱が下がらないのかも知れないなあ・・・。


入試が近いので、中三の子達は今日も塾。集中し、気合を入れての塾はなかなか楽しかった。

『たかやん塾日記』2004.第236弾!  11月13日(土)

陵平へのメール
今日は陵平の18歳の誕生日。生きていれば愛や泰佑と同じ高校三年生だ。それを思うと陵平の人生がもったいなくて、もったいなくて・・・悲しくて、悲しくて、僕は陵平にメールを書き始めた。

陵平。僕はね、君に謝らなければいけないことがあるんだ。それはね、陵平。僕が二中から逃げてしまったこと。「生徒と仲良くするな!」「理科準備室に私物を持ち込むな!」と毎日のように責められてね、僕はこのまま二中にいたらもう病気になって死んでしまうんじゃあないかと思ってしまったんだよ。最初の日に「二中の校歌」を覚えてね。五中や六中と同じように10年いようと決心してきた学校だったのにね。ダメだったんだ。僕に管理、管理で生徒を縛り付ける教育はどうしてもできなかったんだよ。僕はね、弱虫だったからたった1年で二中をやめてしまったんだ。6月にはもう「来年の春みんなと一緒に卒業する。」と宣言して、3年2組の子ども達と一緒に卒業してしまったんだ。大好きだったサッカー部の子達と別れるために、6月から練習行くのを我慢して、嫌われるのを我慢して・・・僕は二中をやめてしまった。しばらくは二中の前を通ることができなかったよ。胃が痛くなって来るんだ。あの頃いじめられたことが思い出されてね。子ども達との思い出は最高なのに・・・二中の前を通ることができない・・・僕はね。二中に神経をやられてしまったのかも知れないね。
いつも考えるんだよ。もしあの時僕がいたらって・・・・もし僕だったら、ベランダでお菓子を食べた陵平に会っていたら「俺にもくれよ!」と言って一緒に食べていただろうなあ。「見つかるんじゃないぞ!」って言ってね。あの理科準備室は3年生だけじゃなくて、1年生や2年生も休み時間に遊びに来ていたから、もしかしたら陵平もきていたかも知れない。そうしたらきっとそこで何かを飲みながら僕と話をしていたから、「お菓子事件」をそ んなに真剣には考えなかったんじゃないかと思うんだ。
陵平。僕があの時二中にいたら、君は今高校3年生で受験勉強の真最中で、きっと恋愛の真最中で・・・・そういうことが何もできないで、死んでしまったのは、僕のせいかもしれない・・・そう思うことがよくあるんです。
ごめんね、陵平。僕が弱虫で、ごめんね。あの理科準備室で君の笑顔に会いたかったよ。12歳、13歳の君と会いたかったよ。
陵平・・・18歳の誕生日おめでとう!陵平って木村拓哉と同じ誕生日だったんだね。
陵平。最近、やっと二中へ行けるようになったんだよ。胃が痛くなくなってきたんだ。それもみんな陵平のお陰かも知れない。

ありがとう陵平。おやすみ、陵平。                 たかやん

塾日記を整理していたら、当時の日記が出てきた。あの時、僕が二中をやめてなければ、僕はきっと「残り1年3ヶ月」と言いながら、子どもたちと楽しい時間を過ごしていたのだろう。政治とは無縁で、塾とも無縁で・・空も生まれてないのだろう。そう考えると、辞めてよかったのだと思う。そのお陰で、今の家庭があり、沢山の友達と出会うことが出来、沢山の小学生達とも出会うことができたのだから・・・それでも、時々陵平のことを思うのだ。二中で出会えなかった陵平のことを思ってしまうのだ・・・そして、相変わらず全国で「指導死」が無くならないことを申し訳なく思うのである。

脱線
昨日の塾で「18年前はホームレスだったんだぜえ・・・」という話をしたら、中学生達が食いついてきた。「えーっ!」「なんでなんで!」「そんなことあるの?」「他にもそういう先生いたの?」「ばーか!日本全国探したって、ホームレスの教師なんか、いるわけないだろう!・・・」「じゃ、何でホームレスになったのよー!」「それはね・・・」昔も今も脱線するときは思い切って脱線することにしている。俺の人生そのものが、線路の上を走ってなかったのだから・・・脱線しながらも、目的地に着くところが人生のいいところだ。

今日の写真1
先生に当たり外れがあるとよくいいますが・・・それは本当です。21年やっていれば、当りも、はずれもたくさん見てきました。自分が子どもたちにとって、あたりだったか、はずれだったかは、子どもたちが決めることです。僕は先生にはずれたことがありません。幼稚園から高校まで、自分にとって、常に最高の先生と出会っているのです。小学校1年〜3年は向後美佐子先生でした。御茶ノ水大卒の笑顔の素敵な先生でした。この写真の僕は先生の隣にちゃっかり写っています。雰囲気が空と似ていると言えば似ているかも知れません。DNAって奴ですかねえ・・・。当時の先生は27歳くらい・・今から50年前の写真ですから、先生も77歳くらいになっている筈です。とっても会いたい・・・そう思います。

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