7月20日 (土)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第201弾!  2013.7.20(土)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第201弾!  2013.7.20(土)   たかやん


川遊びのお知らせ
8月の川遊びの日程が変更になりました。例年は第一日曜日に行っていましたが、今年は8月の第二週、11日(日)に行います。

三宅洋平
いよいよ明日は投票日。自公の過半数は危険だし、民主はいかん、維新はもっといかんと思う訳で・・・。いよいよ明日は投票日。自公政権の暴走を止めなくてはいけない日だ。

朝練
空の練習を見るのは楽しい。今朝の朝練のメニューは・・・
200×1  150×1  75×4  50×4  100×2   100×1
25×8×2  25×8   50
25×4×4  25×8×2  50×8   100×1  total 2600m
と、こんな感じの練習で・・・朝から2600m泳ぐ空であった。空父も頑張らねばならぬ。

28分
一方の僕は、テニスのトレーニングをした後、5キロを28分で走った。10キロを28分で走るランナーから見たら、屁みたいな存在かも知れないが・・・1年前の僕から見たら、大進化なのである。もっと、もっと進化して、1キロを4分で走れるようになりたいなあ・・・。

夏休み初日
今日から40日間、朝の見守りが無い。ちょっと寂しい気もするが、自分の時間が確実に確保できるのは嬉しい。その時間を何のトレーニングに当てるか、自分の為に、子ども達の為に何をするか・・・それがこの夏の楽しみである。

午後練
そして、空の午後練のメニューがこれ
200×1  75×4  100×2  50×3×4  50
50×8  75×4×2  25×4 50×4×2  25×4 50×4×2  total 2600m
という訳で・・・今日一日で5200m泳いだ空であった。

人生について (随筆)
「生きる」とはどんなことなのだろうか。哲学めいたことをいう積もりはないが、これが非常に大きな意味を持つ事は確かだ。生まれてくれば、いずれ「死」がおとずれる訳だが、ただ「死」があるから「生」があるだけの意味なら、全然面白くない。生まれるからには「生きる」こと「生き抜く」ことである。しかし、ここで考えなければならないのは、何故、何の為に「生きる」かである。これは重要かつ難しい問題だが、生きているうちに解決できる日がくると信じている。人生において「生きる」意味、また「人生をどう生きるか」「何のために生きるか」を悟ったとき、人は人生の中で、自分は何をすべきかを、本当に知ることができるのだろう。15年間、いろいろな経験を経て、今、考えるのだが、生きることは、ただ「楽」な方向へ進むことではない。「難」の方へ、何回失敗しても、それでも突進することに意義があるのではないだろうか。人生の中で、自分は自分と恒に戦ってゆくのだから・・・。人生は自分を試す場であり、時間であるから・・・。
 人間の事を「考える葦」と言った人がいたが、その通り、人間自身は「葦」のように非常に弱いものだと思う。それなのに、生物の中で人間に勝るものがいないのは、何といっても、人間が「考える」生物であるからである。人間の考えることは恐ろしいほど可能性がある。人間は鉄砲を考え出した。その為、他の生物を支配する形となった。人間は言葉も考え出した。その為、自分と相手の気持ちを伝達することができた。人間は考えて文化を生み出した。その為、生活上のあらゆることに役立ってきた。まだ人間には素晴らしい素質がある。人と人の間には心の触れ合いがあり、そこには人間にしか感じないものがあるに違いない。そして人は自分の可能性をあらゆる面で精一杯発揮できるのである。それなら、その人間の素晴らしいものを日々の生活の中で感じていかなくては面白くない。何といっても精一杯生き抜いて、人生を味わえなくては面白くない。だから、先に挙げた「人生をどう生きるか」という問題に対する自分の現在の答えは「人生は自分を鍛えてくれ、自分は積極的に自分を鍛えようとしなければならない。そして、自分の本当の人生を味わえなくてはならない」ということだ。雨の降る日などは、しみじみと人生について考えさせられた。「勝つ」だけが人生ではない。勝つだけの人生は面白くない。負けて勝つために努力する姿が素晴らしい。そして、努力の末に勝ったならば、その人生は充実したものといえよう。人は「山があり、谷がある人生」という道を全力疾走で駆けていけば、その人は人間として、やるべきことをやったことになるのだろう。自分の力を出し尽くした人生をつくり上げるための努力をしてゆこうと感じてやまない。そして、その為に一日も早く、本当の「生きる」意味を自分自身で理解したい。−D−

『一生懸命』幻の学級通信  3年1組    1980年11月5日 より

* これは当時の五中の3年生の書いた文章です。15歳でこの随筆を書いた少年は、塾にも行かず東大に進学しました。学力テストでは負けたことはありませんでしたが、中間・期末テストでは勝ったことがありませんでした。僕が483点取ると、かれは484点取ったからです。このクラスの面白いところは・・・3年の2学期末テストの前日(普通なら一番気合を入れなきゃいけない日)担任が「遊ぼうぜ!」と言ったら、男子全員が五中の校庭に集合してソフトボールをやったことです。今なら「非常識」と親からも校長からも怒られそうですが・・・それを可能にしたのが、2年間の「朝勉」でした。2年生の時は試験前。3年生になってからは毎日・・・他のクラスよりも1時間早く登校して、一緒に勉強したのです。才能もありましたが、努力をして学年でトップになったクラスでした。今、僕自身もまた、この3年1組に学ぶべき時期に来ているのかも知れません。「朝勉」の響きが心に何かを訴えているのです。

今日の写真1
これが僕の学級通信の3年分です。こうして綴じてくれる人がいたから、残っている訳で・・・残っているから、結婚式の時に披露できる訳で・・・

今日の写真2
3年分って、これくらいの厚さになるんですねえ。年間244号で×3=732号になります。今よりも学校に行く日が多かった頃のお話です。

今日の写真3
当時は手書きだったんです。余り上手ではありませんが、自筆というのは、それはそれで味があっていいものかも知れません。要はなんだっていいんです。子ども達の心に届けば・・・。

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