8月15日 (木)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第227弾! 2013.8.15(木)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第227弾! 2013.8.15(木)   たかやん

5時55分
顔を洗い、ゴミ出しをして・・・新聞を読みながら子供たちが来るのを待つ。そうだ・・今日は8月15日。“終戦記念日”だった。

終戦記念日
1945年のその日のことは覚えていない。生まれてないのだからしょうがない・・・。でも、多くの人達がホっとした日なのではないだろうか。まあ、中には悔し涙を流した人もいただろうが・・・日本軍に占領されていた国の人達は勿論、日本の軍人達も、(終わった)と安心したのではないだろうか・・・ビルマ戦線で英軍に捕虜になっていた父さん達もそうだった筈だ。勿論、その後に“戦犯”かどうかの首実検があったと言っていたから、そんなに単純なものではないだろうが・・・・

靖国
僕は靖国に興味がない。戦死した登おじちゃんが、そこに居る気がしないからだ。日本の為に戦った人たちが祀られているらしいが、登おじちゃんの魂はそこにはないと思うのだ。おじちゃんの魂はきっと富山のおじいちゃんやおばあちゃん、そして父さんの傍にあるはずで・・・そうじゃなければ可哀想である。僕は靖国には行かない。登おじちゃんを18歳という若さで死なせた当時の日本の指導者達も靖国に祀られているのだから・・・

言葉
今日「過去を直視する勇気と相手の痛みに配慮する姿勢がなければ、未来へ向かう信頼をつくることは難しい」と言ったのは韓国の女性大統領。いい言葉だと思う。過去を直視する勇気、そして相手の痛みに配慮する姿勢・・・それこそが、今、本当に大事なのだと思う。あの戦争が間違いだったことは確かなことで・・・アメリカが日本に原爆を2発も落としたこともまた間違いだった訳で・・・正しいことなど、何一つなかったのがあの戦争だ。

間違い
あの戦争が間違いだった理由はいくらでもあるが・・・230万人と言われている戦死者の内、60%に当たる140万人が餓死したのだから酷い話で・・。これはどうみても名誉の戦死ではない訳で・・・馬鹿な指導者の為に“犬死”したに過ぎないのだ。だから戦争は嫌なのだ。馬鹿な指導者が居たから140万人も餓死したのだ。餓死は餓死だ。どこかの馬鹿な指導者の国の餓死とどこが違うのだ。死んでいった若者達は、飢えて死んだのだ。飢え死にして、名誉の戦死と言われ・・・靖国へ・・・ふざけるな!と言いたい。あの戦争を美化してはいけない。若くして死んでいった登おじちゃんや父さんの戦友達の為にも。二度と戦争を繰り返してはいけないのだ。戦争は家族をバラバラにし、友人や恋人をバラバラにし、環境を破壊し、文化も壊してしまう・・・そして、人々の心に残るのは相手への“恨み”なのだから・・・。日本が朝鮮半島や中国、東亜細亜を占領したのも間違い、アメリカが日本に原爆を落としたのも間違い。正しいことなんか、何一つなかった。それが、あの戦争だった。

歩き煙草
ゴミを捨てて、外の道路を歩いていると・・突然、その匂いが僕を襲った。思わず「くさっ!」と言ってしまう。前を見ると歩き煙草のおっさんがいた・・僕は新聞を取りにマンションの中に入り・・再び外に出てみると・・・そのおっさんは手ぶらで歩いていた。そして、我が家の庭の前の道路に新しい煙草の吸殻がポイ捨てしてあった訳で・・・「道路は灰皿じゃねえぞ!ダラめが!」と叫んでいたのだった。

1分25秒98
今朝の朝練で、空は100mバックの計測をした。タイムは1分25秒98。それがどういうタイムだかは、初めての計測なのでよく分からない。ただ、軽くスイスイ泳いでいたのを見て、凄いなあと思った空父であった。明日のフリーの計測が楽しみである。

今日の写真1
今の航空公園がある場所、そこが高邑 登が通った陸軍航空学校があった場所でした。父さんとおじちゃんが最後に会った場所でもありました。僕が五中時代に住んだ家の直ぐ傍であり、今は長男の亮の職場がある場所でもあります。

東京陸軍航空学校正門

堂々たる門
今日も空行く飛行機を仰ぎ、
仰いでは空を思い、
飛行機に憧れて、
飛行機を触れざりし一年、
思えば・・
長きものであった半面、短かった様に
思われる。               登 記

今日の写真2
17歳の高邑 登です。15歳で少年兵に志願し、18歳でフィリピンで戦死しました。戦っての戦死ではありません。盲腸で入院していて、その病院を爆撃されての無念の戦死でした。高邑 登の遺骨は帰ってきませんでした。一髪も母の元へは帰って来なかったのです。その魂は靖国にある・・・残された母はそう思うしかなかった。そう思わなければやり切れなかった。息子を失った母達はそうして、靖国に行ったのです。

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