9月10日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第253 弾!   2014.9.10(水) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第253 弾!   2014.9.10(水) たかやん

訃報
甲神 嵒先生 S20年 8月15日生まれ(69)新座中、五中教諭 西堀小、栗原小、三中校長 
お通夜・・13日(土)18時、告別式・・14日(日)11時
東上セレモニーホール新座  野火止7−3−32  048-483-7350

5時
眠れなかった。嵒のことが頭から離れないのだ。嵒の死を頭の半分では分かっているのに、頭の半分は理解できない。そんな感じだった。

6時
母さんは散歩へ。空はラジオの前に。僕は何をしたらいいか分からず・・・空と一緒に英語の勉強をしたのだった。それから空の算数の質問に答えて・・・今朝の朝の貯金は終わったのだった。

7時45分
空を見送った。小さな背中が見えなくなるまで見送った。今日も元気に行って、帰って来てくれたらそれだけでいい。そう思った。

8時半過ぎ
市役所に到着。何と一番乗りだった。着替えて8階へ。嵒の訃報を伝えに行ったのだ。僕らができることは、嵒を盛大に送り出すことしかない訳で・・・市教委の先生方にそのことを伝えに行ったのだ。

9時半
委員会が始まった。頭の中は委員会の審査で一杯なのだが、心の中は嵒のことで一杯で・・・突然、涙が出てきたり・・・涙声になったり、いい年して、自分の心をコントロールできない自分が情けなかった。

19時
長い長い委員会が終わり、我が家に戻った。そして、朝霞の嵒の家に向かった。車の中でこれから嵒と会うことを想像して、また泣きそうになった。

23時過ぎ
甲神家で話に話して、泣いて笑って・・家に帰ってきた。「どうだった?」とひとみ。「うん。眠ってるみたいだったけど・・・冷たかった。」「そう、奥さんは大丈夫だった?」「うん、二人で泣きながら笑ったよ」「そう」「うん」

8歳
昭和52年4月、僕は23歳。大学を卒業して五中の3年4組の担任になった。右も左も上も下も分からない僕にその全てを教えてくれたのが、8歳年上の甲神嵒だった。現役で埼大を卒業した嵒先生は脂が乗りきった9年目。そしてひよっこの僕は1年目。3年生の担任になってしまった僕に「高邑さんならできる!」いつもそうやって励ましてくれたのが嵒だった。1組の担任が甲神嵒。2組の担任が笠原進。3組が帯刀俊男、4組が僕。5組が神宮司久子。6組が原秀夫という恐ろしい布陣だった。その6人の担任に副担が大熊孝子、千田修子、柴崎房代が加わったのだから、本当に恐ろしい訳で・・・そんな中で、僕は教員生活の第一歩を踏み出し始めたのだ。甲神嵒は僕に基礎の基礎から教えてくれた。僕には3年4組の子どもたちや神宮司久子や中村校長という応援団がいてくれたが、僕が一番頼りにしていたのは甲神嵒だったのだ。