3月10日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第69弾!   2014.3.10(火) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第69弾!   2014.3.10(火) たかやん

統一地方選
何としても、今の安倍政権をぎゃふんと言わせないといけません。政党助成金を貰いながら、企業からの献金も平気で受け取るという金に塗れた政治家集団はいりません。国民からは税金を搾り取って、その金を大企業やアメリカに横流しして、国民の為に使わないのですから性質が悪いです。道徳教育が聞いて呆れます。「知らなければ違法ではない!」と開き直るのなら、選挙で「ふざけるな!」というしかありません。日本全国の統一地方選で沖縄の敵を討ちましょう!福島の敵を討ちましょう!選挙の恐ろしさを感じさせなければ、あの政権の暴走を止めることはできません。勝手に憲法をかえるような政治家達はごめんです。TPPで破壊されるのは農業だけではありません。アメリカにこれ以上日本の富を奪われないように国民が目を覚ますときです。消費税だって、上げる必要はありません。法人税をちゃんと払わせれば十分なのです。三井住友フィナンシャルグループは1479億の純利益に対して、0.002%の300万円しか納税していません。ソフトバンクは純利益が788億もあるのに、納税額は500万円です。0.006%の税率ということです。あのトヨタの実効税率も27.9%でしかありません。(税金を払わない巨大企業 富岡幸雄著から・・・)それで消費税増税?馬鹿にするにも程があります。マスコミが沈黙してる今、我々国民が声をあげなきゃいかんのです。


川掃除のお知らせ
3月の川掃除は22日(日)に延期します。9時に栗原1丁目公園に集合します。トング・ゴミ袋・軍手はこちらで用意します。持ち物は「黒目川を綺麗にしたい」という心だけです。夕方5時から反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。胴長がありますので、前もって言っていただければ川の中に入ることも可能です。小学生も参加しますので、みんなで楽しくやりましょう!天候が怪しい場合は8時に決定をします。たかやん

絶対に打ってはいけない!446
子宮頸がんワクチンは絶対に打ってはいけません。インフルエンザワクチンもいけません。
「ワクチンの罠」という本を是非読んでみてください。東京新聞も見てください。新座市内にも子宮頸がんワクチンによる激痛で苦しんでいる子がいます。接種してから何年も経ったのに、今なお想像を絶する痛みと不安と戦っている子たちがいるのです。これ以上、そういう子達を増やさないようにする。そして、この子達の痛みと不安を取り除く・・・それが僕たち大人の使命です。ああそれなのに、27年度予算にもしっかりと子宮頸がんワクチン接種が予算化されているのです・・・・そして、今年度に新座市で子宮頸がんワクチンを接種した実人数は3人であることが厚生委員会で分かりました。何とか0人まで持っていき
たいものです。知らなかったでは済まないことが世界中で起きているのですから・・・製薬会社のボロ儲けの為に、子どもたちを危険な目にあわせてはいけないのです。

朝の貯金
今朝も6時から7時まで英語を聴いて、一日が始まった。アメリカ合州国は大嫌いだけど、英語は好きなのである。みんな僕が出会った英語の先生達のお蔭である。

中田先生
僕が中学生になって初めての英語の先生が中田先生だった。アメリカから帰って来た先生で・・発音はネイティブそのもの・・・毎週木曜日にミセスホワイトという女性を連れて来て、僕らに本物のアメリカ人を見せて、度胸を付けてくれたのである。

原宿
僕らは冬になると、毎週日曜日、原宿の代々木体育館でスケートをした。そこには外国の女の子が結構来ていて・・・その子たちに話しかけるのが僕らの度胸試しだった。習いたての英語を駆使して、僕らは英語の腕を磨いた訳で・・・

千恵子先生
2年生になって鈴木千恵子先生に代わった。僕は千恵子先生が大好きで・・・英語力がグングン伸びた訳で・・・

葛西先生
中三の時の先生は葛西先生。「高邑は英検2級の力があるから受けろよ」と言ってくれたのだが・・・お金も自信も無くて・・・その後も英検を受けたことは一度もない・・・

相田先生と佐藤先生
石神井に入って僕の英語はすっかりやる気を無くしてしまった。相田先生にも佐藤先生にも逆らったのである。グラマーでは0点を取り、すっかり英語の劣等生になってしまった。

内海、長崎、若林・・
高2の時の友達がそんな僕の英語を救ってくれた。「高邑、お前の英語、今のままじゃまずいぞ!単語力が0じゃん!一緒に勉強しようぜ!」そう言ってくれたのだ。奴らはみんな優秀で、早稲田、慶応、新潟大歯学部に進学した。そして、僕の大学入試の英語は満点だった。奴らのお蔭である。

ゆみ先生
五中時代、家庭教師を頼まれた。現役の教師が家庭教師を普通にやる訳にはいかないから、僕はゆみ先生の二人の娘の家庭教師をやる代わりに、ゆみ先生に英語を習った。それがまた僕にとって刺激的だった訳で・・・

真由美先生
六中時代、僕には妹のような英語の先生がいた。泣き虫だけど、英語の力は抜群で・・・僕は真由美先生と毎日英語のトレーニングをした。そして、他にもC先生や沢山のAETたちが僕の英語の先生になってくれたのだ。

9時
自転車で汗をかいてから、控え室でトレーニングをした。マットを敷いて・・・レッグランジとダービーをやって・・・素振りをしてからスーツを着て議場へ行ったのだった。

悲劇
『今日は地下のバイキングでサラダとお肉だけを食べるから、お弁当はいいよ!』そう言って家を出たのだが・・・地下の食堂にはバイキング用のテーブルが無かった。どうやら、今日と明日だけやっていないらしい・・・という訳で、僕は喫茶店で野菜サラダを3つ買って、控え室に戻ったのだった。しかも、そのサラダにはポテトが入っていた訳で・・・隣に座っていた一久にポテトを食べて貰ったのだった。

70
夕方、血糖値を測ると70まで下がっていた。60台は危険らしいから、豆乳とプロテインで血糖値を上げることにした。兎に角、炭水化物はホフで行くのだ。勿論、普段はアルコールもオフである。

僕のテニスの先生
最初に僕にテニスを教えてくれたのは中一の時の白浜先生。西戸山の体育の先生で、早稲田大学の軟式テニス部で活躍した人だ。僕はその人の指導のお蔭で、新宿区で優勝した。早実と早稲田高校からの特待を断って、僕は石神井高校に入った。そこで僕は古川先生に会った。折角凄い先生に会ったのに、僕は先生に逆らってばかりで・・・都立では一番だったし、関東大会にも出たけれど、ちっとも強くならなかった。
18歳の時に、僕は飯田藍先生にあった。グリーンジュニアという大会に出た時に、シード選手を破りベスト4に入ったのだ。その時に藍先生に褒めて貰ったことが、僕のテニススタイルを決めた。藍先生の言葉は「君はネットプレーが上手いね」という言葉だった。僕はそれから、常にネットに向かうプレーヤーになっていった。
そして、僕の最後の先生が長久保先生である。地元のテニスクラブのトレーニングルームに行くと、背の高い笑顔が可愛い青年がいて・・・それが長久保先生だった。僕は糖尿を直す為に長久保先生と1年間以上トレーニングだけをやった。先生は3階から僕のテニスを見ては、アドヴァイスをしてくれるようになった。僕はどうしても先生にテニスを習いたくなって・・・・亜細亜大学まで行って、テニスを習った。そして、今は月に何度か和光に通って先生とのかけがえのない時間を過ごしている。僕は亜細亜大学の学生たちを好きになり、監督を好きになり、テニス部を応援しに試合に駆けつけるようになった。みんな先生のお蔭である。そろそろテニスで先生に恩返しをしないといけないのである。

トータル
2015年になって、1月に走った距離は74キロ、2月に走った距離は138キロでトータル212キロ。3月に入ってからは16キロしか走ってなくて、1月からのトータルは228キロ。今月は隙間時間に走るしかないのである。昼休みに走るかねえ・・・。

今日の写真1
たかやんの応援団のシールを貼ってくれる方を募集しています。玄関やポストにこのシールを貼ってもいいという方、連絡をお待ちしています。このシールを貼っても「団扇」や「ワイン」は届きません。何も届きませんが、「一生懸命」だけは届くようにしたいと思っています。日本中どこの方でもOKです。北海道でも沖縄でも送ります!
*このシールを貼ってくれた全ての方たちに感謝、感謝です。


20150310-1.jpg