10月15日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第289弾!  2016年10月15日(土)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第289弾!  2016年10月15日(土)

川掃除のお知らせ
今月の川掃除は10月30日(日)の予定です。9時に栗原1丁目公園に集合です。持ち物は、黒目川を綺麗にしたい!という心だけです。トング、ごみ袋、軍手はこちらで用意します。この毎月のイベントは新座市の環境対策課が全面的に支援してくれています。県の土木整備事務所も応援してくれています。感謝、感謝です。夕方17時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。
連絡は090-6497-5737 たかやん

朝練
月曜日から中間テストだというのに、今朝も空は朝練に行った。テストの前だから休めばいいいのに・・・と思う母親と、テストの前でも頑張るのだから凄いという父親がいても不思議ではない。大事なことは、両立させることだと思う。勉強だけの人生は詰まらないし、部活だけの人生も詰まらない。両方頑張って、両方の成績を伸ばせたら・・・それが一番いいに決まっている。

兄弟
母さんの薬がなくなってきたのだが、僕が動けず・・・兄貴が母さんを連れて、大泉の病院へ行ってくれた。それだけで助かるのだ。とっても嬉しいのだ。兄貴が母さんのことを心配してくれることも、僕らのことを心配してくれることも・・・。


試験前ということで中学生たちが13時から集合した。我が家の息子は練習で疲れてダウン。今日来た子たちの中にも咳をする子が多く・・・体調が万全な子は少なかった。それでも3時間、みんなで頑張ったのだった。

僕のテニス人生3
僕はサッカーを辞めて、テニスコートに行くようになった。最初の練習・・・ボールは13個しかなかった。今じゃ考えられない数である。そのボールを大事に大事に使いながら、五中の男子テニス部は初めてテニスを始めたのだった。
最初の県大会の相手は大宮の中学校・・・当時、埼玉県で唯一硬式テニスをしていた学校である。その学校と関東大会の出場を賭けて試合をした。結果は五中の勝利。僕らは1回勝っただけで関東大会に出場したのだった。ところが、その関東大会のレベルが高かった。確か、その時も神奈川の栄光学園だと思ったが・・・五中テニス部は完敗した。全く歯が立たなかったのだ。特に慶応普通部と立教のレベルは高く・・・僕はその2校に追いつき、そして追い越すことを目標に決めたのだった。
僕は1年生の担任になった。そこで、男子テニス部に女子を入れることを思いついた。女子が入れば男子は燃える・・・自分の経験からそういう結論を出したのだ。でも、男子テニス部に女子を入れるのは難しい・・・そこで、マネージャーとして入れることにしたのだ。最初に二人の女の子がマネージャーとして入ってきた。その子たちに試しにテニスをやらせてみると、なかなかいいのだ。そこで、自分のクラスの運動神経のいい女の子達に声をかけて・・・その子たちも男子テニス部のマネージャーにしてしまった。その数6人。これで団体戦の8人のメンバーが揃った。その日から、その1年生の女の子たちは男子テニス部員として、男子と全く同じ練習(石神井高校と北大のトレーニング)を毎日こなすことになったのだ。彼女たちの成長は著しく・・・その1年後。彼女たちは県大会、関東大会と勝ち進み・・・全国大会の切符を手に入れてしまった。そう、男子よりも先に五中の女子が全国大会に出場したのである。それも、ラケットを握って1年しか経っていない女の子達が・・・・
その全国大会に優勝したのが名古屋の市邨高蔵中だった。僕は顧問の先生に練習試合を申し込んだ。顧問の酒井先生は僕の申し出を快く受けてくれて・・・僕らは名古屋に遠征した。3学期の試験前だというのに・・・そして、日本一の学校の練習を五中テニス部に取り入れたのである。次に僕は松岡修造がいる桜田クラブの飯田藍先生に見学を申し込んだ。藍先生は「いいですよ」と快諾してくれて・・・五中テニス部の子たちは修造と一緒に手つなぎ鬼をしてトレーニングをやらせてもらい。その後は、桜田倶楽部の日本のトップ選手の練習を見学し、イメージトレーニングをしたのだった。だから、五中テニス部の練習は日本一の中学校と日本一のクラブの練習が取り入れられてたのである。
そうして、五中男子テニス部の女の子たちが全国大会で大活躍したのだが・・・男子はなかなか全国大会までは届かなかった。そして、初めて本物の男子が全国大会に出場したとき・・・五中9期生と10期生の混合チームの彼らは全国大会の決勝まで行ったのだから凄い。決勝は大阪の清風中学に負けたのだが・・・彼らは次の年も関東・全国で大活躍した訳で・・・その中に篠田安孝(1年生から県の高校チャンピョン。2.3年で一般でも単複優勝。ピート・サンプラスと国際大会で戦った男)がいたのである。
安孝は全国大会の前日に骨折し、悲願だった日本一になることはできなかったのだが、その分六中のコートに顔を出してくれ、仲間を連れて練習に来てくれて・・・六中テニス部を日本一にしてくれたのだ。六中テニス部員の前で、顧問の僕を6-0、6-0で倒してみせ、「たかやんの練習について行けば、お前たちも必ずたかやんに勝てるようになる。そして、絶対に日本一になることができるぞ!」そう言ってくれたのだ。六中の子たちは安孝の言葉を信じた。そして、目の色を変えて、僕に試合を申し込んできたのだ。僕らは明け方から試合をした。安孝は僕とシングルスを165試合やったが・・・(僕の150勝15敗)六中の子たちも一久の150試合を筆頭に、喜晴、大力、浩一・・と4人が100試合以上やった訳で・・・。初めて関東中学で公立の学校が優勝したのである。その時の決勝の相手が慶応普通部で、現在慶応大学庭球部監督の坂井利彰君がN01だった。僕が憧れていた利彰君のお父さんの利郎さんに「高邑先生、参りました。ありがとうございました!」と言われて、握手して・・どれだけ嬉しかったかわからない。
全国大会で優勝したのはこの学年ではないが、五中・六中のテニス部が合体して、一番強かった時代は多分、この時だろう。その後、女子も関東大会で優勝し、個人戦でも3位になり・・・六中テニス部は全国大会の常連になっていく・・・心臓が悪かった長男の亮も1年生の時に全国大会で優勝をしている。それから、二中に異動して・・・僕はまたテニスができなくなった。二中に僕を待っている子たちは複数いたのだが・・・校長と教頭が「新しい部活は作らない」そう決めたのである。最初の職員会議で言い合いになり、僕は6月にに注をやめることを決意し・・・次の年の3月に、子どもたちと一緒に新座の学校とさようならをしたのだ。あの時の校長・教頭が頭の柔らかい人だったら・・・僕は今頃、定年になり、再雇用で市内のどこかの中学で理科を教えているだろう。今、議会で思い切り発言し、たかやん塾で子どもたちと思い切り勉強している僕は存在していないことになる。そして、自分のテニスに燃えることもなかっただろう。五中・六中の教え子たちの後輩である長久保大樹のことを「長久保先生」と呼ぶことは絶対になかっただろう・・・
僕はあの時の管理職のお陰で、新座の学校を外から見つめることができ、多くの素晴らしい人たちと出会え、いま幸せでいるのだ。今の家庭があるのも、今の仕事があるのも、全て彼らのお陰ということになる。そう、テニスができない環境になると、僕は燃えるのである。実に有り難いことである。
つづく・・・

絶対に打ってはいけない!1039
そう書き続けて今日で1039日になります。TPPが国会で審議されているのに、メディアが殆ど取り上げていないのは・・・日本のメディアもグローバル企業側だからです。TPPの怖さを伝えられない理由がそこにあります。アメリカも事情は同じです。反グローバルのトランプが大統領になったら、TPPは締結されないでしょうが、グローバルから多くの献金を受けているヒラリー・クリントンが大統領になったら、グローバル製薬会社が圧力をかけて、再交渉の上、批准するでしょう。日本の薬価をもっと釣り上げられるような仕組みを作れ!とアメリカの製薬会社は圧力を掛けるはずです。ヒラリーはTPPに反対しているポーズをとっていますが・・・政治献金を受け取っている相手には弱い!!それはアメリカも日本も同じです。トランプは人としてはアウトですが、TPPに関しては彼の主張はアメリカの国民にとっても日本の国民にとって正解です。
それが証拠にトランプには多くの不確かな疑惑が毎日報じられています。共和党の候補になった時には何故でなかったのでしょう。ヒラリーにだって、問題は数多くあるのに・・・
子宮頸がんワクチンもTPPも絶対に打ってはいけないのです。国会中継でも新聞の論説でもTPPを早く締結すべきだ。と訴えている人がいますが、完全に勉強不足です。TPPというバカバカしいシステムが動き出したら・・・・国民皆保険が破壊され、アメリカのように盲腸の手術で300万も自腹を切らなきゃいけない世の中になるでしょう。
TPPにはISD条項があります。子ども達がこれほど苦しんでいる子宮頸がんワクチンの接種だって、何故国が打たせないんだ!とアメリカの製薬会社に国が訴えられるでしょう。TPPは農業の問題なんかではないのです。国と国との問題でもないのです。グローバル(多国籍)対国民の問題です。グローバル企業に搾り取られないように、国民が力を合わせて反対しなければなりません。ワクチンの副反応で苦しむ子どもたちをこれ以上増やさない為にも、TPPには反対し続けないといけないのです。
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今日の写真1
この写真は中学校3年生の時の僕らです。僕がどこにいるかわかりますか?これは謝恩会での一コマなんだそうです。僕は創たちとバンドを組んで、「イムジン川」「悲しくてやり切れない」「あと25分」「オーパパ」を歌ったのは覚えているのですが、才女だったみはるちゃんや裕美さんも一緒に「恋の季節」を歌って、みんなで踊ったことは覚えていませんでした。因みにこの時のギターも創で・・・スキーのゴーグルをかけて歌っています。創は遠足の時にギターを持ってきて、バスの中でビートルズやローリングストーンズを歌った男で・・・都会の中学校は48年前にそんなことが許されていたのかと思うと、笑ってしまいます。そう言えば、西戸山は自由な校風で、帽子と制服に校章さえ付けていれば、煩いことは言われませんでした。通学靴も革靴でした。

今日の写真2・3
北大庭球部の後輩たちです。僕も1年生2年生とこの大会に出た経験があるのですが、長久保先生はないのだそうです。関東の大学でこの大会に出るには、関東の一部リーグで1位か2位にならないと出られない訳で・・・僕はインカレは行けませんでしたけど、この大会には出られた訳で・・・幸せなテニス人生だったのかも知れませんね。インターハイもインカレも行けなかったけれど、年齢別の全日本に出て勝つ!それが、僕の今の夢の一つです。

*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん

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