10月21日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第295弾!  2016年10月21日(金)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第295弾!  2016年10月21日(金)

川掃除のお知らせ
今月の川掃除は10月30日(日)の予定です。9時に栗原1丁目公園に集合です。持ち物は、黒目川を綺麗にしたい!という心だけです。トング、ごみ袋、軍手はこちらで用意します。この毎月のイベントは新座市の環境対策課が全面的に支援してくれています。県の土木整備事務所も応援してくれています。感謝、感謝です。夕方17時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。
連絡は090-6497-5737 たかやん

5時
空を起こしにいく。昨夜、遅かったので、ちょっと辛そうな空。それでも、5時15分には自分で起きて、朝練に出かけて行った。

テニス日和
今日もいい天気。手首が痛くなければ、間違いなくテニスをしているのだが・・・痛みが消えないので、片付けに燃える。玄関を掃除して、庭を片付けて・・・

富士見環境センター
大物は、車に積んで、富士見環境センターへ持っていった。色々と持ち込んだのだが、料金は750円。玄関や庭が綺麗になって、750円。安いものである。探していたものは見つかるし、気分はいいし・・・言うことなしである。

ニトリ
帰りにニトリに寄って、玄関マットなどを買って・・・そのマットを玄関ではなく、庭の方にセットした。庭から入ってくる子たちの反応が楽しみである。

オリンピックとTPP
テレビは連日オリンピックの話題で溢れている。安倍晋三より、小池百合子の方が遥かに露出している訳で・・・TPPが軽い扱いをされているのは、TPPを軽く扱え!と、いう目に見えない圧力がかかっているからだろう。オリンピックをどこでやろうが、日本国民に大した影響はないが、TPPを批准したりすれば・・・それは、それは、子どもたちの未来にとんでもないことが起こるのである。オリンピックの方が分かりやすいし、そっちに国民の目線が行っていた方が、安倍政権には都合がいいという訳だ。
TPPは批准しない!とハッキリ言っていたヒラリーだが大統領になったら、間違いなく、再交渉を言い出すだろう。安倍晋三もヒラリーも自分たちに金と地位を保証するグローバル産業には逆らえない。安倍晋三が経団連にお伺いをたてるのはそういう理由なのである。

僕の最後のクラスの学級通信から・・・
『一生懸命』幻の学級通信 第11弾!二中  3の2 1997.4.21  ともや

カップラーメン
土曜日の昼過ぎ。買い物をしてフードプラスへ行き、レジに並んでいると大介にバッタリ・・・。その大介の手にはカップラーメンが二つあった訳で・・・『いかんなあ 若いもんがそんなもん食ってちゃあ・・・』「お母さんいないから・・・」『うーん』ま、そういう僕も1年に1度くらいは食べているから、偉そうなことは言えないが・・どうしても心配になってくるのだ。我が息子亮も時々隠れて食べているようだし・・・。男の子にも料理を教えないとね。

亮に負けた・・・
邑 亮は六中テニス部のキャプテン。そう君たちと同じ歳だ。彼の心臓に異常が発見されたのが、小学校5年。「一切の運動をやめさせて下さい」と医者に言われ、僕は悲しくて、かわいそうで、清瀬の小児病院の駐車場で、一人声を上げて泣いた・・・・
何回も病院をかえて、やっと日大病院で「体育の授業程度の運動なら・・・」と許可をもらった。そして彼は「死んでもいい。テニスをしたい。」と六中のテニス部に入ってきた。自覚症状が出ると、10年生きられる確率が50%しかない病気を背負って、彼は生きている。その亮に昨日初めてシングルスで負けた。お互いマッチポイントを何度か凌ぎながら、結局タイブレークの5−7で負けた・・・。
亮が入部してから、六中テニス部の3キロのランニングは無くなった。苦しいトレーニングも無くなった。練習はどんなに長くても3分まで。3分やったら3分は休む。そんな練習でも亮は1年生でレギュラーになり、全国大会でも関東でも優勝した。(他のメンバーが良かったから運のいい奴だ)そう思っていたが、昨日はもの凄い集中力で僕を倒しにきて、そして実力で勝っていった。県でベスト8の高校生でも僕に負けるのに・・・。まあ、昔と違って、月曜から金曜まではサッカーをやっているから、力が落ちているのかも知れないが・・・。
すっごく嬉しいのと、すっごくふがいないのと、すっごく怖いのと、複雑な気持ちだった。亮を強くすることが、亮を殺すことになるかも知れない。だけど心を殺してしまうことが一番怖い。そんなことを考えながら、僕も亮と一緒に生きている。

月曜日の朝
みんなの顔が見れる。母さんが富山から帰ってくる。しかも給料日じゃああーりませんか・・・という訳で今日は特別「月曜の朝から元気でいいわね」『はっはっはっ』A happy Monday morning だぜ!!     ともや
*これを書いた、翌年の3月。僕は新座の学校とさようならをした。たったの1年だったけど、素敵な子どもたちと出会えて、幸せだった。この1年が、今の僕をつくってくれたのだ。

僕の最初の一般質問その1
◆11番(高邑朋矢議員) こんにちは。11番、高邑朋矢です。教育問題について、4点質問をさせていただきます。
 最初は、3年半ほど前に大貫陵平という、当時二中の2年生が亡くなった事件です。その事件について、まず質問したいと思います。
 教育問題、いろいろあるのですけれども、なぜまず陵平の話を先にするかというと、やはり命ほど大事なものはない、教育問題の中で子供の命ほど大事なものはない、私はそう思っています。まずそのことをお聞きしたいと。
 これが大貫陵平です。執行部の皆さんもよろしいですか。教育長、大貫陵平です。13歳と10か月ほどしか生きられませんでした。なぜ死ななくてはいけなかったのか。私は、先輩の議員たちも、その当時、2000年の12月議会でしょうか、5名ほどの方が陵平のことについていろいろな一般質問をされています。その質問内容、それから答弁の内容、すべて私は読みました。読ませていただいて、やっぱりどうも納得できない。ただ、納得できなかったのですけれども、幾つかの点、教育長の答弁と私が思うところと共通するところがありましたので、その共通すること、四つのキーワードなのですけれども、一つはカウンセリングマインドという言葉を教育長は大分使われています。この間の答弁でもその言葉を使われていたので、私もそのカウンセリングマインドという言葉はとても大事だと思っているのです。
 そのカウンセリングマインドですけれども、私が一番最初にカウンセリングマインドという言葉、それから態度に接したのは、私自身が15歳のときでした。当時の私は、とても悪い子で、勉強もできなくて、とてもどうしようもない悪餓鬼だったのです。あるとき、新宿の西小山中学校というところにいたのですけれども、ここで言っていいのかどうかちょっとわからないのですけれども、貨幣偽造という重大事件を引き起こしました。教師の息子であったジュンというやつと2人で、百円玉をつくってしまいました。新宿の自動販売機を、片っ端から百円玉を入れて、私らがつくった百円玉を入れて、それで30円のファンタを盗んで、つり銭の70円を盗んでということをやったのです。そういう子だったのです。
 当然、戸塚警察が動きました。ところが、その警察よりももっと早く、担任の河合先生という先生が動いてくれたのです。それで、私らは警察より先に先生につかまりました。その河合先生につかまって、職員室の一室に連れていかれて、ほかの先生にはわからないところでお茶を出されて、それでこう言われたのです。怒られると思ったのです。そうしたら、「高、ジュン、おれはおまえらが好きだよ」と、先生がこう言ったのです。もう僕らは泣き出しました。もうぼろぼろ、ぼろぼろ泣いて、もうこの先生のために悪いことは絶対、この先生に誓って悪いことは絶対しないのだというふうに言ったのを、自分が思ったのを覚えています。先生は、もちろんほかの先生にも言わなかったですけれども、親にももちろん通報しませんでした。反省文ももちろん書かされませんでした。ただ私らの間だけで解決をしました。その相棒は、今都立高校の先生をやっているのですけれども、そのときの河合先生の一言がなかったら、私も教員になりましたけれども、多分私らはそういう人生を送らなかっただろうと思います。
 それから、同じ学校に兵藤静馬という教頭がいました。あだ名を兵ちんというのですけれども、その先生が私らに数学を放課後教えてくれました。その先生のおもしろかったところは、私を兵ちんと呼んでくれと言うのです。教頭先生を兵ちんと呼ぶのは、ちょっと心が、そういう訓練がされていなかったものですから、だけれども私らは兵ちんと呼びました。すると、兵ちんは、私らが「兵ちん」と言うと、「あいよ」「兵ちん」「なんですか」と答えてくれるわけです。それで、一生懸命数学を教えてくれて、私らは数学が大好きになりました。物すごい、教頭先生なのですけれども、生徒といつも一緒にいる、放課後、いつも勉強を教えてくれる。私は、そういう2人のとってもすてきな先生と出会えたのです。私が最初にカウンセリングマインドというのに接したなと思うのは、実はその先生2人です。
 次にカウンセリングマインドという言葉と出会ったなと思うのは、教員になろうと思って、函館中部高校という高校へ行きました。夜間高校だったのですけれども、そこで教育実習をやったわけです。当時の子たちは、看護婦の学校へ行っていまして、午前中は看護婦の学校へ行って、そして定時制で私たちの授業を受けるという、そういう生徒だったのです。年上の生徒もいました。ですけれども、一生懸命、私の話を、授業を聞いてくれるわけです。当然、下手くそなのです。下手くそなのですけれども、最後にそこの教頭先生がこういうことを言われたのです。「君らの授業はとても下手だ、話にならないぐらい下手くそだ。だけれども、君らは僕らにはないものが一つある。それは、子供たちと共通の言葉を持っているということだ」と、こういうふうに言われたのです。「子供たちの言葉を、君たちはまだしゃべれる。子供たちの共通の言葉を持っている、それをぜひ失わないでください。僕らは残念ながら失ってしまったけれども、君たちはまだ持っている、生徒と同じ気持ちになれる、それを失わないでほしい」、そういうふうに函館中部高校の教頭先生は言われました。私は、教員になったときに、それだけは失わないで生きていこうと、そう思ったのです。
 そして、私は新座五中という学校に赴任をしました。そこには、石島陽子議員がそこにおられますけれども、私の生徒でした。隣の隣のクラスには、笠原先生がいました。3年4組の担任を私はやったのですけれども、全く高校の名前も知らない教師だったのです。浦和高校という名前しか知りませんでした。あとの高校の名前は何も知らない。そんな大学出たての教師が何とかやってこられたのは、その先生に言われた、君は子供と一緒の言葉をしゃべれると、その言葉を信じたからです。それだけで、私は教員を続けました。何もわからないので、しようがないから、一緒になって子供と勉強することしかしませんでした。一生懸命勉強したら、クラスが学年で1番になったのですけれども、とにかく子供と一緒の言葉を持っているということは強いのだなと、そのときに感じたのです。
 五中で次にカウンセリングマインドに会ったのは、その次の年に神宮司久子という先生が、皆さんの中にもご存じの方いらっしゃると思うのですけれども、神さんという人に会いました。私らの学年主任、当時は学年主任も授業をやり、クラスを持っていたのですけれども、意見の合わないところもたくさんあったのですが、その神さんが、放課後、1年1組の教室に残っていまして、子供たちと何かやっているのです。何をしているのかなと思って尋ねたら、「私はあなたみたいにうまく教えられない。だけれども、できない子と一緒に勉強することはできる」と言って、放課後ずっと、できない子と一緒に勉強しているのです。教えているのではないのです。一緒に勉強しているのです。私は、そこにまたカウンセリングマインドを見た気がしたのです。要するに、教えるのではなくて、一緒に勉強するのだと、それで子供たちは救われていくのだと。私は、神さんからそれを勉強させてもらいました。
 ほかにもとってもすてきな先生方はいらっしゃいましたし、まだまだ名前を挙げたい人はたくさんおられるのですけれども、私はどうしてもわからないのは、陵平がベランダでお菓子を食べて、そのときにほかの先生たちがみんなでとんでもないことをしたと言って、反省文を書かせて、親に通報して、そして次の週には、学年集会でみんなの前で決意表明をしてもらうと。その先生たちに、教育長が言われるようにカウンセリングマインドがあったのだろうか、私はそれをちょっとお聞きしたいのです。
 カウンセリングマインドと同じく、時系列という言葉を教育長は使われているのですが、その指導というのはそのときだけの指導ではないと、5月ぐらいからそういうことが頻繁に起きて、4回ぐらいあって、そして全員で指導したのだということを言われているのです。私も確かに、その日だけの指導というふうな見方は実はしていなくて、やっぱりそういう時系列的な流れがあると思います。そういった意味で、私も二中におりましたので、二中という学校の時系列的なものをちょっとここでお話しさせてもらいたいと思います。
 五中で10年いまして、六中で10年いまして、本当に楽しい学校生活を送りました。二中へ行って、陵平が入ってくる2年前ですか、私が入ったのは。2年前か3年前かです。一番、最初に驚いたのは、まずこう言われたのです。その当時の二中ですけれども、二中のことを悪く言う先生がいると。だから、君はよく言ってもらいたい、二中はいい学校だ、二中はいい学校だと、そういうふうに言ってもらいたいと、こういうふうに最初に言われたのです。もう全然納得できなくて、いい学校だったらいい学校と言うし、だめならだめと言うし、だけれども、よくてもだめでも、とにかくいいと言っていればよくなるのだと、これをまず最初に言われたのです。その言葉に非常に驚きました。
 次に、生徒と仲よくするなと、こう言われたのです。これは、私にとって一番ショックな言葉でありまして、生徒と仲よくしなくて、だれと仲よくするのだいという、それこそカウンセリングマインドはどこへ行ってしまったのというような発言で、私はとっても驚いたのを覚えています。
 そして、教室へ行ったらもっと驚きました。3年2組の教室に入っていったのですけれども、チャイムが鳴って、教室へ入って「おはよう」と言ったら、子供たちはだれ一人反応しません。あれっと思ったのです。だれ一人反応しないのです。もう一回、「おはよう」と言っても、だれも反応できない。だれかが「起立、気をつけ、礼」、初めて「おはようございます」と。これは、私は五中でも六中でも全く味わったことのないことだったので、「これはおかしいよ、おまえたち。これは二中病だよ。普通、人が「おはよう」と言ったら「おはよう」と言うのだよ」ということを一番最初に言いました。
 そして、ベランダに放課後出たのです、私自身がベランダへ出ました。ちょうど天気がよくて、風が気持ちよさそうだったので、ベランダに出たのです。そうしたら、「ベランダへ出ちゃいけないのです」と生徒が言うわけです。ベランダへ出たら何とか先生に怒られますと、物すごい勢いで言うわけです、生徒会の子だったのですけれども。ベランダへ出てはいけないと、「おまえ、ベランダへ出てはいけないって、何だそれは」と言ったら、「そういう学校の決まりなのです」と。「そう、でも出ない」と言ってみたのですけれども、「いや、そんなことはとってもできません」という、そういう雰囲気の学校だったのです。時間が来たら、チャイムが鳴ったら外へ出ていいけれども、チャイムが鳴る前には廊下にも出られない。チャイムが鳴ったら席へ着く、チャイム着席というやつなのですけれども、2年間とてもトレーニングをされてきたのだと思うのですけれども。要するに、もうそういう習慣になってしまっていた。
 それを、子供たちはどういう表情をしていたかというと、全然表情はありません。目が死んでいました。確かに静かなのです。とても静かです。しいんとして授業を受けている。だけれども、生き生きとした発言がないのです。笑いがないのです。
 こういうこともありました。夏、暑いとき、7月ぐらいですか、水筒を持ってきた生徒がいたのです。水筒に麦茶を入れて持ってきたのです。その生徒が、自分の友達に麦茶を振る舞ってあげたわけです。私は、「いいやつだな、おまえ。この暑いのに、自分一人で飲まないで、みんなに上げたんだ。よかったね」と、こういうふうに言ったのですけれども、その生徒がどうなったかといいますと、体育の先生につかまりまして、親を呼び出しにされて怒られたわけです。どうしてか。学校に飲み物を持ってきてはいけないのだと、こういう規則があったわけです。
 だけれども、私は、あの暑さの中で、よく親も麦茶を持たせ、その子がまた友達に上げたと、人としてとてもすてきなことを親子でしたのではないかと思っているのです。それを、学校の規則を守らなかったからという理由で、怒って、しかも親を呼び出してしまうと。親を呼び出すというのは、私からすると最後の最後の切り札ではないのかなと、そういうふうに思っているのです。何しろ、私は自動販売機を荒らしていますから、それでも先生は親に通報しなかった、それで私は助かっているわけです。ですから、私も21年間の教員生活の中で、何かどんなに悪いことをしても、実は親に通報したことはないのです。要するに、私以上に悪いことをしたやつはいないから。それが私の判断基準だったのです。ところが、二中ではそうではなかった。そういう時間の流れがあります。
 それから、教育長が使われている言葉の中に、共通理解という言葉がよく出てきます。私、とても大事な言葉だと思っているのです、共通理解という言葉が。共通理解ということは、要するにカウンセリングマインドを持つことをみんなで理解しようぜと、そういうことだと思っているのです。ところが、それに共通理解、共通行動という言葉がつくと、ちょっとのことを見逃すと、子供たちはどんどんエスカレートしてしまうから、みんなでそれを食いとめようと、本気で怒りましょうと、こういうことではないかと思うのです。
 まさに二中の場合、二中のこの指導方法は、共通理解と共通行動の中で起きたことであって、要するに、4回のお菓子を食べたということが、教師は許せなかったのです。許せなくて、本気になってしまったのです。お菓子を食べたということに本気になってしまった、それが私は、この事件を引き起こしていると、そういうふうに思っています。教師が本気にならなくてはいけないことは、ほかにたくさんあるはずなのです。どうやったらこの子を学校に来させられるのだろうかとか、どうしたらこの子がわかるようになるのだろうかとか、そういうことを教師は本気で考えなくてはいけないのです。ところが、学校の小さな決まり、それを守らない、これを守らせるということに本気になってしまった。それは違うのではないかなと思います。
*最初の3月議会の最初の一般質問で・・当時の僕はこんな発言をしていたのです。この後、議長の三村さんから「高邑議員、時間がもうなくなりますから、最後まで言わないと。通告分の。」とアドヴァイスをされたことを覚えています。1回目の質問がまだまだ続いたのです。

絶対に打ってはいけない!1046
改憲よりも恐ろしいTPPが国会で審議されている。農水大臣が「強行採決をする」と発言するのだから、本当に恐ろしい政党です。誰のために国会議員になったのでしょう。グローバル企業以外でTPPを批准しようなどと言う人たちは、頭が悪いか、人間性がないか・・・どちらかでしょう。TPPをマスメディアが殆ど取り上げていないのは・・・日本のマスメディアはグローバル企業側だからです。彼らがTPPの怖さを伝えない理由がそこにあります。アメリカも事情は同じです。反グローバルのトランプが大統領になったら、TPPは締結されないでしょうが、グローバル企業から多くの献金を受けているヒラリー・クリントンが大統領になったら、グローバル製薬会社が圧力をかけて、再交渉の上、批准するでしょう。FTAの罠にはまった韓国のように、日本の薬価をもっと釣り上げられるような仕組みを作れ!とアメリカの製薬会社は圧力を掛けるはずです。ヒラリーはTPPに反対しているポーズをとっていますが・・・政治献金を受け取っている相手には弱い!!それはアメリカも日本も同じです。トランプは人としてはアウトですが、TPPに関しては彼の主張はアメリカの国民にとっても日本の国民にとって正解です。
それが証拠にトランプには多くの不確かな疑惑が毎日報じられています。共和党の候補になった時には何故でなかったのでしょう。ヒラリーにだって、問題は数多くあるのに・・・
子宮頸がんワクチンもTPPも絶対に打ってはいけないのです。国会中継でも新聞の論説でもTPPを早く締結すべきだ。と訴えている人がいますが、完全に勉強不足です。TPPというバカバカしいシステムが動き出したら・・・・国民皆保険が破壊され、アメリカのように盲腸の手術で300万も自腹を切らなきゃいけない世の中になるでしょう。
TPPにはISD条項があります。ラチェット条項もあります。是非、グーグルってください。子ども達がこれほど苦しんでいる子宮頸がんワクチンの接種だって、何故国が打たせないんだ!とアメリカの製薬会社に国が訴えられるでしょう。TPPは農業の問題なんかではないのです。国と国との問題でもないのです。グローバル(多国籍)対国民の問題です。グローバル企業に搾り取られないように、国民が力を合わせて反対しなければなりません。ワクチンの副反応で苦しむ子どもたちをこれ以上増やさない為にも、TPPには反対し続けないといけないのです。
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HTTPS://WWW.YOUTUBE.COM/WATCH?V=BGJN1ZONRIY&FEATURE=YOUTU.BE

今日の写真1.2.3
これが噂の調布・保谷線です。いい道路です。今のままなら・・・行先がない道路は混まないので、そんなに渋滞はしません。でも、埼玉県が主張するように、この道路が254まで繋がったら・・・とんでもないことになるでしょう。県の職員にも想像力があれば、それくらいは分かりそうなものです。254の大渋滞は多少解消されるかも知れませんが、その分が野寺、道場、畑中に流れ込んでくるのです。何百億もの金をかけて造った道路は、それだけの維持費もかかります。車が減っていくと予想される社会で、地域を分断するような大型道路がこれから必要だと本気で思っていたら・・・かなり御めでたいですね。しかも、254から先はないのです。保谷.朝霞線の筈が・・・保谷・畑中線になっている。それでも、やろうと言うのなら、本気で大反対運動をするのみです。住民の大反対を押し切って、五中の校庭を削って、地域を分断するような大型道路は絶対にいりません!本気で農業をやっている方たちには代替地もないのです。どんなにあがいても、27mの保谷・朝霞線は完成までに100年以上はかかるでしょうねえ・・・。

*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん


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