4月18日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第109弾!  2016年4月18日(月) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第109弾!  2016年4月18日(月) たかやん

川掃除のお知らせ
4月の川掃除は24日(日)の予定です。持ち物は黒目川を綺麗にしたいという心だけです。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用紙します。9時に栗原1丁目公園に集合です。そこから馬喰橋に向かって遊歩道を掃除し、馬喰橋で川の中に入ります。入らないメンバーは土手を掃除しながら、栗原1丁目公園に戻り、川の中のゴミも一緒に一旦捨てます。そこから、更に神宝大橋まで掃除し、そこで休憩し、最後にリヤカーを引きながら、全員で公園まで戻ります。解散は11時ごろの予定です。途中からの参加は勿論、途中までの参加も夕方の反省会だけの参加も大歓迎です!連絡先は090-6497-5737 たかやん です。

6時
清瀬駅北口の駅立ちは6時過ぎから始まった。こんなにゆっくりの駅立ちは久しぶりで・・・しかも、僕は例によって英語のテキストを暗唱しながらの駅立ちで・・・それでも多くの人が笑顔で「一生懸命」を受け取ってくれ、ハイタッチをしてくれた。あっという間の2時間が過ぎていった訳で・・・最後は二中の3年2組だった佳代と一緒に南口までお喋りをしながら階段を下りて、更に幸せだった担任であった。

134弾!
午前中に134弾の残りの作成をした。問題はいつ配るかだよねえ・・・5月31日号なのだから、やっぱり5月の連休明けかな・・

やーめた!2
今回のPTAやーめた!に色々な人が反応していて面白い。僕が空の小学校のPTAの会長をやろうと思ったのは、「一人一役」とかいう馬鹿馬鹿しいシステムを壊して、辛い思いをしているお母さん達を楽にしたかったからだ。PTAの無駄な仕事を減らし、委任状を認める仕組みは作れたのだが・・・それまでは、ボランティアを休むときは自分のクラスから誰かを代わりに立てないといけないという信じられないルールがあった。狂っているとしか言いようがない。
仕事を失う危険をおかさないと胸を張って学校へ行けないなんて、どうみたっておかしい。どんな子ども達だって学校で学ぶ権利があるのだ。親がPTA活動に参加できなくたって、胸を張って学校に通う権利が子ども達にはある。こういう時代だからこそ、ボランティアの意味を考えなくてはいけない。ボランティアは強制されるものではない。仕事を無理して休んでするものでもない。介護の手抜きをしてするものでもない。誰もがボランティアをするのが平等?そんなものは平等でもなんでもない。ボランティアは楽しみながらするものだ。僕はPTAとは関係なく、八石小の東門に4年間ほぼ毎日立って、見守りをしたが、嫌だと思ったことは一度もなかった。雨の日も雪の日も立ったけど、実に楽しい4年間だった。ボランティアってそうものじゃないのかね。

絶対に打ってはいけない!829      
https://www.facebook.com/takayanchan/posts/1153777401301466?pnref=story
僕が“絶対に打ってはいけない!”を毎日書き続けるのは、彼女達の悲しみを忘れたくないから。もう二度と同じような悲しみを誰にも味わって欲しくないから。自分の娘がそんなことになったら・・・僕の教え子達が彼女達のような苦しみを味わったら・・・その思いが、この文章を書かせている。
「製薬会社」は儲けの為に平気で嘘をつきます。子宮頸がんワクチンは絶対に打ってはいけません。インフルエンザワクチンだって、相当のリスクがあります。覚悟を決めて打つことです。インフルエンザなどは体の免疫力を高めて治してしまえばいいのです。体に異物が入るのですから、本当に気をつけないといけません。市販の風邪薬だってリスクはあるのですから・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=BGjn1ZOnRiY&feature=youtu.be

角栄の言葉
よく、生きて帰れたなあ。
*日中国交正常化は命がけだったらしい。日本国内には「国賊」というビラが貼られたそうである。そのビラならTPPを推し進めようとする自民党の国会議員達に貼るのが正しい。角栄さん達は激怒するだろうねえ。今の自民党の議員達の外交偏差値の低さを見たら・・・TPPが食の安全保障をはじめとして、どれほど日本の国民に不利益をもたらすか・・・彼らは理解できないのだから、話にならない。

駅立ちの予定
明日の火曜日は清瀬駅南口に立ちます。6時〜8時の予定です。132弾!133弾!を配ります。これで今回の駅立ちは終わりです。次回は5月の連休明けになる予定です。7月に選挙があるので、遠慮しながらやろうと思っています。

今日の写真1
98年の3月16日。僕が中学校にさようならをした日です。この子達と一緒に卒業すると決めたのは97年の6月でした。五中で10年、六中で10年、最高の20年間を過ごした後、二中に行って、僅か2か月で僕は退職することを決めたのです。当時の二中は五中や六中と比べて信じられないくらい管理的で僕は息が詰まりそうでした。でも、子ども達は最高でした。
今から18年も前のお話しです。

今日の写真2
初めて六中に行ったときに驚いたのがジャージでした。ジャージや体操服が学年によって違っていたのです。「弟や妹にあげられないじゃん!」と思いました。五中は上履きの色が違うだけで、後は全部一緒だったので、かなりの違和感がありました。でも、今はちょっと違います。不思議なものでジャージの色で記憶しているのです。「赤ジャージだったよね」「緑ジャージだったっけ?」長男の亮は青ジャージでした。赤と緑は担任をしたことがありますが、青だけは授業にもでたことがありませんでした。

今日の写真3
もし、保谷・朝霞線が開通すると、五中の校庭にある部室が道路になります。これは何とか避けたいところです。五中の校庭が削られて、校庭のすぐ脇を254より遥かに広い道路が通るのです。しかも、一日37000台も・・・五中の授業に支障が出ることは間違いありません。それも、僕が保谷・朝霞線に反対する理由の一つです。

この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん

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