5月4日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第125弾!  2016年5月4日(水) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第125弾!  2016年5月4日(水) たかやん

川掃除のお知らせ
5月の川掃除は22日(日)に決まりました。持ち物は「黒目川を綺麗にしたい」という気持ちだけです。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。9時に栗原1丁目公園に集合です。栗原一丁目公園から馬喰橋まで土手を掃除し、そこから川の中に入り、公園まで川を遡り、そこで一旦ゴミを置き、今度は神宝大橋まで土手と川の中を同時に掃除して、公園に戻って終りです。11時頃までやります。途中からの参加も途中までの参加もOKです。夕方、石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加もOKです。連絡先 090-6497-5737 たかやん

3連休のど真ん中
今日は塾もなく、ちょいと暇だったので昔の「一生懸命」を読んでみた。1985年12月11日の五中2年1組の学級通信である。

『一生懸命』幻の学級通信第138弾! 2の1  1985、12,11 ともや

気にしない
『おい、宗弘、何点だった?』「え、5教科453」『あれ、1位じゃん!』宗弘ニヤッ。『宏は・・・何点?』「うーん、432かな」『おっと危ない、2点差だ』笑う宏。『恵理子は?』「うーん、448。もう駄目だよーっ!」『理科の12点減点が痛かったね。』「あれ、やり方分からなかったんだもん」悔しがる恵理子。『貴美加は?』「441」『あれ、まさかの3位?』「まかしてよ」『ふーちゃんは?』「438かな」『負けたーっ!』笑うふーちゃん。
『しかし、接戦ですねえ。面白いですねえ・・・。』「ねえ、400点以上の人、何人いるの?」
『13人かな。俺入れて・・・。』「おっとう!」てな感じで1組は成績がみんな筒抜け。あまり気にしないのである。という訳で、今回の期末テストランキングは
NO1宗弘 453 NO2恵理子 448 NO3貴美加 441 NO4文彦 438 
NO5栄子 436 NO6朋矢 434 NO7 宏 432 NO8三和子 412
NO9貴望子 410 NO10朋子 409 NO11満寿子 405 NO12 寛402
NO13英二 401
はは、約束通り成績発表したった。さて、思い出すのは6年前、俺は2年1組の担任。その時405点前後の成績だった子がいた。名前は田越秀行。その頃の俺は25歳、若かったねえ。ま、いいや、そんなこと。秀行が「どうやったら450点超えられるかなあ」と相談に来たんだ。俺は本屋へ行って400円の問題集を選び、『これ、2回やってごらん』とその問題集をプレゼントしたんだ。秀行は僕の言う通りに勉強した。何とその数学の問題集を3回終わらせたのだ。彼はその後450点を軽く超えるようになり、川越高校から京都大学に進み、今宇宙物理学を勉強している。俺はその頃のテストで470点以上は楽にとっていたから、問題のレベルは今の方が高いことはあっても、低いことはない筈。ということは、英二にも京大へ行ける可能性があるということだ。すっごいじゃん。ハハハ、五中のレベルは高いのだよ。しかも、秀行は俺の理科の授業をうけて「宇宙物理の勉強がしたい!」そう思ったっていうんだから・・・・もう、ビックリです。
みんな、夢を持っているかな?あの大学の○○先生に教えて貰いたい!なんて思ってもいいんだぜ。勉強、楽しくやりましょう。自分なりの目標、夢をもって楽しくやりましょう。

                                     ともや
*まあ、今こんなこと書いたらアウトなんだろうなあ。僕が450を切ったのは、あとにも先にもこの時だけだと思うんだけど・・・担任がテストに参加して、順位を争うなんて・・ねえ。普通はないし・・・その順位を学級通信に掲載しちゃうんだから滅茶苦茶な訳で・・・でもこのクラスの平均点は高かったですよ。350点を超えていましたから・・・・担任を倒す子が5人もいたんですから凄いというか、担任が情けないというか・・・・

『一生懸命』幻の学級通信第155弾! 2の1  1986、2,6 ともや

じいちゃん
英二に元気がない。あの英二に笑顔が見られない。日曜日、おじいさんが亡くなったのだ。英二はじいさん思いだった。おじいさんのことになると、やけに優しかったのを覚えている。英二が小さい頃、きっと可愛がって貰ったのだろう。じいちゃんの孫への愛情って素晴らしいもののような気がする。雪がそうだった。父さんが死んだとき、雪は冷たくなった父さんんと一緒に寝ると言ってきかなかった。父さんも死ぬ間際、他の誰の声にも反応しなかったのに、雪だけには反応し、最後の力を振り絞り、雪を抱きしめ、もう見えない目で雪を見ようとした。雪はその日から2年間「じいちゃん」という言葉を言わなかった。英二が元気のないのも分かる。でも英二、それじゃあじいちゃんは喜ばないぞ。お前や康昭が元気に逞しく生きていかなくっちゃ、じいちゃん安心して眠れないぞ。泣きたきゃ泣けばいい。俺だって父さんが死んだ時は、一人布団の中で泣いていた。元気だせよ、英二。思い切り走って、しっかり勉強して、大きな声で歌って、じいちゃん喜ばしてやれよ。羨ましいぜ英二、俺のじいちゃんは二人とも40代で死んじゃったから、どんなもんかもわかんないもん。元気だせよ英ちゃん!『おじいさん、明日は合唱コンクール、1組の歌声、空の上から聞いてくださいね。』
*こんなこともあったんですねえ。すっかり忘れていました。英二はこの後、勿論元気になって、クラスでもテニス部でも大活躍してくれました。

貴加の「へ(ぃ)」
カリンカ・・・段々盛り上がって来た。声も大きくなってきたし、優勝も夢ではなくなってきた。盛り上がったついでに、歌の中に“ヘイ!”を入れたのだが・・・関係のないところで「ヘイ!」と叫んだのは、勿論貴美加。合唱が一気に崩れ去った訳で・・・みんなから滅茶苦茶言われていた。「なーに言ってんの貴美加」「やたらヘイしていいと思ってんの」「そうだよ、屁こきやがって」「屁こき虫!」最後にはヘイが屁になり大笑い。明日は本番。“屁”が漏れないことを祈っています。
*屁こき虫貴美加はその後、なんと僕らの川掃除に参加してくれるようになったのです。今度会ったら、この時の話を覚えているかどうか聞いてみます。

いじめ
また死んだね。中学2年生。苦しんでいる子が沢山いるってことかな。気がつかないうちに人を傷つけていることもあるってことかな。1組にはないだろうが、1対1じゃなくて、集団でチクチク言う風潮が本当にないだろうか。俺も含めて、みんなでもう一度考えてみる必要があるよね。死ぬってことは、死ぬ方が楽だと思っている訳だから・・・人間、一人、一人はみんな弱いんだよね。強そうなこと言ってたってね。そういう奴に限って弱かったりね・・・「いじめ、公害、核兵器・・・この世の中から消えて無くなれ!!」   ともや
*1985年の自分に戻れるんですねえ・・。学級通信の力ですねえ・・・。この時14歳の子ども達も、一瞬で中学時代に戻れるかも知れないですね。

語り
夕方から石神の親友の家で夜中まで語りました。至は僕より4つ上。僕と亮が六中の噴水の前で100日間、パジェロの中で生活していた時も・・・至の家のお風呂に毎日のように二人で入れて貰っていました。今日は息子達も一緒に飲みながら語りました。実に楽しいひと時でした。明日もテニスをするので、そろそろ寝るとしましょう。おやすみなさい。

絶対に打ってはいけない!846      
https://www.facebook.com/takayanchan/posts/1153777401301466?pnref=story
僕が“絶対に打ってはいけない!”を毎日掲載し続けるのは、彼女達の悲しみを忘れて欲しくないから。もう二度と同じような悲しみ、苦しみを誰にも味わって欲しくないから。自分の娘そんなことになったら・・・僕の教え子達が彼女達のような苦しみを味わったら・・・その思いが、この文章を掲載せている。
https://www.youtube.com/watch?v=BGjn1ZOnRiY&feature=youtu.be

駅立ちの予定
来月の駅立ちは16日(月)にスタートする予定です。7月に市長選挙があるので、邪魔をしないように立とうと思っています。

今日の写真1
北海道の弟とのツーショットです。40歳の頃の僕だと思います。この時、弟は15歳。今はこの子達が当時の僕の年齢になっているんですね。もう22年も前のツーショットです。40歳って若いんですねえ・・・。

今日の写真2
兄の嵒です。五中の2年目か3年目の写真ですから、30か31歳くらいだと思います。心強い兄貴だったのですが、今の僕の歳の半分だったんですねえ・・・もの凄く大人で、もの凄く頼りがいがあって・・・ずっと心の支えになってくれた人でした。今も僕の机の上でいつも笑って、僕を支え続けてくれています。感謝、感謝です。

今日の写真3
邦子姉ちゃんです。新宿の百人町時代にお隣の家で・・・小さい頃からずっと可愛がって貰って、お風呂も一緒に入っていました。僕は邦子ちゃんが大好きで・・・邦子ちゃんが引っ越した家に遊びに行って、泊まった次の日の朝のツーショットです。二人も髪の毛がぶっ飛んでいます。邦子ちゃん元気なのかなあ・・・・。


この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん


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