5月6日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第127弾!  2016年5月6日(金) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第127弾!  2016年5月6日(金) たかやん

川掃除のお知らせ
5月の川掃除は22日(日)に決まりました。持ち物は「黒目川を綺麗にしたい」という気持ちだけです。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。9時に栗原1丁目公園に集合です。栗原一丁目公園から馬喰橋まで土手を掃除し、そこから川の中に入り、公園まで川を遡り、そこで一旦ゴミを置き、今度は神宝大橋まで土手と川の中を同時に掃除して、公園に戻って終りです。11時頃までやります。途中からの参加も途中までの参加もOKです。夕方、石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加もOKです。連絡先 090-6497-5737 たかやん

筋肉痛
やっぱり酷い筋肉痛がきました。朝、起きるのがやっと・・・そんな感じの筋肉痛でした。それでも起きて、少し動いていると・・・テニスがしたくなって、新座ローンに向かいました。すると・・・「お久しぶりです!小森です!」と懐かしい顔が目の前に・・・本当に不思議なのですが、新座ローンに行くと、今までのテニス人生でかかわって来た人達と繋がっている人と会えるのです。「テニスやりましょうよ」と僕がやや強引に誘って、4番コートで練習がはじまりました。そして「試合やりましょう!」と僕。「本当ですか」と小森さん。
練習や試合をしている中で、小森さんが亜細亜大学の堀内監督の1年先輩であることや、赤城アカデミーにいたこと、北大の1年後輩の蒲生をよく知っていること・・・そして、大樹先生のことも知っている・・・そんなことが分かって・・・本当に楽しいひと時でした。
練習も楽しかったけど、試合がまた楽しくて・・・逆を突かれまくって、2-6、1-6のストレートで完敗したのですが、もの凄く勉強になりました。小森さんに感謝、感謝です。ありがとうございました。

101.108.108
昨日と今日の血糖値です。この数字・・・テニス効果であることは間違いなく・・・実に嬉しい結果なのです。ジムに行って1時間走る辛さとコートで1時間走るのとでは全然感覚が違う訳で・・・コートで走るのは実に幸せな訳で・・・今日も滅茶苦茶、小森さんに走らされたのですが・・・僕の脳は実に喜んでいました。そして、血糖値が正常になる訳で・・・いいことだらけです。

校長
また遅刻してしまった。そして職員室に入った途端「遅れないで来れないのかあーっ!」と怒鳴られた。俺は恥ずかしかったけど、嬉しかったね。久しぶりなんだな、この感じ。人に怒られるっていうの・・・父さんが死んでから、俺を怒ってくれる人って、殆どいなかったからなあ。前の山口校長にもよく説教されたけど、怒鳴られたのはホント久しぶり。何かもう嬉しくて。。。そんでもって『どうも済みませんでした!』って校長室に謝りに行ったら、校長ケロってしててくれて・・・。いい親父だ、ありゃあ。何か今日はいいなあ。爽やかで・・人に怒られるっていいもんだなあ。明日から絶対に遅刻しないぞ。朝練から帰って来るのをもっと早くすればいいんだから・・・学校に一番に来ているのに、職員会議に遅刻するんだから馬鹿だよねえ。それにしてもいいなあ、この気分。また、何かやらかしたら怒鳴ってくれるかしらん。
昔、昔の「一生懸命」から・・・
*これも五中時代の学級通信です。ホント、馬鹿な教師だったことがよくわかります。学校には誰よりも早く行っているのに、朝の職員集会には遅刻ですからねえ・・・職員室のドアをそおっと開けて・・・匍匐前進で何度入ったことか・・・。僕は校長室に呼ばれて叱られる常習犯でした。中村敞一郎、村山惣一、山口常義・・・鈴木章、宮越東海、木下保則
・・・みんないい校長でした。五中の校長室にも六中の校長室にも愛がありました。それにしても学級通信に校長のことをですよ、「いい親父だ、ありゃあ。」と書くんですから・・・ふざけた担任です。

絶対に打ってはいけない!848      
https://www.facebook.com/takayanchan/posts/1153777401301466?pnref=story
僕が“絶対に打ってはいけない!”を毎日掲載し続けるのは、彼女達の悲しみを忘れて欲しくないから。もう二度と同じような悲しみ、苦しみを誰にも味わって欲しくないから。自分の娘そんなことになったら・・・僕の教え子達が彼女達のような苦しみを味わったら・・・その思いが、この文章を掲載せている。
https://www.youtube.com/watch?v=BGjn1ZOnRiY&feature=youtu.be

駅立ちの予定
来月の駅立ちは16日(月)にスタートする予定です。7月に市長選挙があるので、邪魔をしないように立とうと思っています。

今日の写真1
二中を辞めた年の5月、初めてニューヨークへ行った時の写真です。中学校からも日本からも解放されて・・・不思議な感覚でした。1998年ですから、もう18年も前になるんですね。当時の僕は44歳。(今なら新しい人生をやり直せる!)そう思っていました。60歳になって、定年になってからでは新しいことをやるパワーがないのではないか・・・そう思っていたのだと思います。自分の人生ですから・・・その判断は正しかった。そう思うのです。

今日の写真2
そんな僕に「早く帰ってきて!」とメールをくれたのがこの子達です。「全国大会に行きたいから、早く戻ってきてください!みんな待っています!」っていう熱いメールが来たのです。右に写っている真理子はその後、浦学から亜細亜大学に進み、長久保先生の先輩になります。僕は「大樹先生」と呼ぶのですが、真理子は「大樹!」と呼ぶのです。まあ、高校も大学も先輩なのですから、当たり前なんですけどね。

今日の写真3
弘子と寛子です。六中の最初の赤ジャージの子達です。1年2組の子達で、本当に思い出沢山の子達でした。僕はこの子達と出会ってから、毎日「一生懸命」を書くようになったのです。それだけ魅力的なクラスだったということです。クラス替えの日に泣いたことを思い出します。

今日は休肝日。英語の暗誦をしながら寝るとしよう。明日も忙しい一日になりそうである。
この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん

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