7月22日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第204弾!  2016年7月22日(金)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第204弾!  2016年7月22日(金)

川掃除のお知らせ
7月の川掃除は明後日24日(日)です。持ち物は「黒目川を綺麗にしたい」という気持ちだけです。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。9時に栗原1丁目公園に集合です。栗原一丁目公園から馬喰橋まで土手を掃除し、そこから川の中に入り、公園まで川を遡り、そこで一旦ゴミを置き、今度は神宝大橋まで土手と川の中を同時に掃除して、公園に戻って終りです。11時頃までやります。途中からの参加も途中までの参加もOKです。
夕方、石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加もOKです。今回は“子ども食堂”についての話し合いもします。連絡先 090-6497-5737 たかやん

5時
今日も外は雨。空は今日も朝練で・・・いつもより早い朝練らしく、5時過ぎにはもう起きてきた。五中や六中のテニス部の子たちも、空のように早起きしていたのだろう。当時のテニス部は日の出前から活動していたのだから・・・

安孝
五中時代に一番練習したのは安孝。暗いうちにコートへ行き、一人でローラーを引いて・・・我が家に来て「コート整備終わりました。」『おう!』「試合お願いします!」それを毎朝のように、繰り返したのだ。他の子たちが来る時間だと試合ができないので、僕らの試合は夜明けと同時に始まったわけで・・・朝の試合で汗びっしょりになる頃、他の部員たちが登場して・・・朝練が始まる。そんな毎日だった。安孝は夏は4時には起きていた筈である。頑張る空を見ていたら、当時の安孝を思い出したのだった。安孝とは結局、3年間で165試合やり、僕の150勝15敗だった。最初は100連勝したが、1回負け始めてからは安孝の方に分があった。中学生たちの可能性を安孝に教えてもらった気がする。

一久、喜晴、大力、浩一
六中で安孝と同じように試合をしたのは一久。彼とは150勝0敗だったかな。驚くのは喜晴や大力や浩一とも100試合以上したことだ。彼らは六中の初めてのテニス部員だったので、一年生の時からみんなレギュラーで・・・そんなことができたのだと思う。安孝は六中に来ては、中学生たちと試合をしてくれた。1年生で高校チャンピョンになった安孝が中学生と練習をして、試合をしてくれたのだから、六中が強くなってあたりまえだった。

茜、こころ
僕は女の子とも本気で試合をやった。中でも茜とこころとはやはり100試合はしたんじゃないかな・・・。今じゃあ考えられないが、日曜日などは、子どもたち相手に、一日24セット以上やっていたのだから、どうかしている。どれだけ若かったかということだ。安孝は女の子たちとも練習をしてくれた。高2高3と一般でも単複優勝していた安孝は中学生たちの憧れだった。「たかやんについていけば間違いない!」安孝はそう言って、中学生たちを魔法にかけていた。六中の男子が全国大会で優勝するのに、それ程の時間はかからなかったし、女子が関東で優勝するのも当たり前だった。六中のテニス部は保護者は勿論、地域の方たちや小学生たちも喜んで、練習に受け入れていた。地域への恩返しを意識していたのかも知れない。毎日、外トイレを掃除し、毎朝六中の周りのゴミ拾いをして・・・地域の方たちから愛されていた。幸せな10数年だったと思う。

「たかやん議員日記」2005.第280弾!  10月11日(火)

テレビはいかん・・・
気が緩んだのか、気候の変化についていけなかったのかは分らないが、頭痛と吐き気でしばらく起きることができなかった。そして気付いたことは・・・テレビは見ていると、弱った体に更にダメージを与えるということ。本も読める状態じゃあなかったから、しょうがなくてテレビを見ていたんだけど、どんどん調子が悪くなっていく。そこで途中からラジオに換えてみたら、そうしたらなかなか言い訳で・・・。月曜の夕方の基礎英語1からスタートして、韓国語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語と色々聴いてしまった。勿論今朝の基礎英語もバッチリ!頭痛も大分とれたかな。ウォークマンスティックもなかなか活躍した。具合の悪い時は目を使わない方がいいのだ。そして健康な時でもテレビは僕らのエネルギーを奪ってしまうものなのかも知れないと思う。

寝てばかりいると・・・
体の機能がどんどん低下していくのが分る。食欲もなくなるし、何かをしたいという意欲も落ちていく。背中や腰が痛くなって・・・・“健康”のありがたさを感じるのだ。こうして僕らは、時々病気になることで“健康”のありがたさを忘れないように、誰かに教えられているのかも知れない。そう考えると、病気にも感謝する必要がありそうだ。

早寝早起き朝ごはん
あの有名な「陰山先生」が色んな本で書いているが、そのずっと前から僕も朝ごはんの重要性を学級通信“一生懸命”で訴えていた。そしてその朝ごはんも“和食”に限ると言ってきた。朝、ごはんと味噌汁を食べてくる子の方がパンと牛乳の子よりも集中力が高いということを経験上知っていたからだ。朝食抜きなどは論外で、これはもう母親(父親)の犯罪に近いとさえ当時は思っていた。兎に角、子ども達に朝ごはんは重要だ。嘘だと思ったら、3ケ月、毎朝ご飯と味噌汁を食べさせてみれば分る。親子で早寝早起朝ごはん。

午前二時
塾から、そのまま横浜に向った。奥さんは、「もう今日明日でしょう。」と言われたらしい。和彦はそんな状態でも「ありがとな、たかむら」「わるいな、いつも」「おくさんとそらくんに、よろしくな」と気をつかう。『お前、恐くないのか?』と聞くと「うーん。死ぬってことがどういうことなんかわからんからなあ・・・ただ」『ただ?』「何かを忘れているんじゃあないか、どこかで小さな不義理をしているんじゃあないかと、それが気になってな・・・」『お前が先頭で行ってくれるから、俺達は楽だよ。お前が待っていてくれるから・・・』「何でも聞いてくれ!」おかしな会話をしながら、僕らはまた手を握って「じゃあまたな!」『うん、じゃあまた明日な?』「おいおい、仕事が大変だろう。」『夜は道路が空いている事を発見したんだよ。だからまた明日来るよ。』そういって、僕は今新座に帰って来た。医者はこの状態で持っているのが奇跡だと言ったらしい。明日も一日奇跡が続いて欲しい。
*大学時代の親友の和彦が逝ってしまったのは11年も前のことになる。和彦との時間が名残惜しくて、僕は通えるだけ横浜に通った。二人で真夜中にサッカーの試合を観て・・・とりとめのない話をして・・・和彦は優等生、俺は劣等生・・・なのに、神様は和彦を先に連れて行ってしまった。

片づけ
冷蔵庫の中を綺麗にした。プラスチックの棚などを全て取り出して、綺麗に洗ったのだ。そして、片付け・・・片づけをすると勉強をしたくなる訳で・・・


夜は中学生たちと勉強に燃えた。「通知表見て!」と中二の女の子。久しぶりに“オール5”“オールA”の通知表を見た。嬉しかった。そして、今日もできなことができるようになった時の子どもたちの顔を見ることができた。幸せである。

絶対に打ってはいけない!934
今日も麦ごはんを美味しく頂きました。朝から片付けに燃え、中学生たちと勉強に燃えた一日でした。彼女たちにはそれができません。ワクチンを接種してしまったら終わりなのです。こんな悲劇を繰り返してはいけません。     
HTTPS://WWW.FACEBOOK.COM/TAKAYANCHAN/POSTS/1153777401301466?PNREF=STORY
HTTPS://WWW.YOUTUBE.COM/WATCH?V=BGJN1ZONRIY&FEATURE=YOUTU.BE

今日の写真1・2・3
沖縄のチビチリガマです。そして、沖縄の海を米軍が埋め尽くしたと言われている読谷村の海です。当時の沖縄の人たちは、米軍からは勿論、日本軍からも攻撃されました。そして、71年たった今も、アメリカから、そして日本政府から酷い虐めを受けています。ヘリポート建設反対の人たちは日本の警察に強制排除されました。押しつけられた憲法などと言うのなら、まず沖縄を沖縄の基地を米国から取り返して欲しい。憲法改正は日本国民のためにではなく、米軍の為に必要なのでしょう。今日の政府のやり方を見ていると、“鬼畜米英”という言葉を思い出します。沖縄の人たちから見ると、今の政権こそが“鬼畜”なのではないでしょうか。
*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん


20160722-1.jpg 20160722-2.jpg 20160722-3.jpg