7月23日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第205弾!  2016年7月23日(土)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第205弾!  2016年7月23日(土)

川掃除のお知らせ
7月の川掃除は明日24日(日)です。持ち物は「黒目川を綺麗にしたい」という気持ちだけです。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。9時に栗原1丁目公園に集合です。栗原一丁目公園から馬喰橋まで土手を掃除し、そこから川の中に入り、公園まで川を遡り、そこで一旦ゴミを置き、今度は神宝大橋まで土手と川の中を同時に掃除して、公園に戻って終りです。11時頃までやります。途中からの参加も途中までの参加もOKです。
夕方、石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加もOKです。今回は“子ども食堂”についての話し合いもします。連絡先 090-6497-5737 たかやん

子ども食堂の申し込みについて
8月7日(日)の子ども食堂はカレーライスとトン汁、スイカ、川魚・・・というメニューですが、お早めに申し込みをしてください。申し込みは7月一杯になっていますが、100食限定ですので・・・。
090-6497-5737 たかむらまで・・・。

一番堂
今日も亮と二人で吉祥寺に行った。敦史先生はいなかったが、一週間の疲れをほぐしてもらって、体が軽くなった。

気づき
テニスコートで気が付いたことがあった。それは・・・「テニスも勉強も人生も恋愛も・・・きづきが大切だ」ということだ。そして、僕はテニスで気が付いてしまったのだ。おほほほほ。ちょっと強くなりそうな気がしてきたぞ!!

神様がくれた時間
夕方、健ちゃんと組んで試合をした後・・・アドヴァイスをもらった。そして、二人で15分ほど練習をすることができた。これが堪らなかった。神様がくれた時間・・だと思った。子どもたちの勉強にも、この感覚を持ってもらいたいと思った。できないことができるようになるって、誰でも興奮する訳で・・・

「たかやん日記」2005.第281弾!  10月12日(水)
ポパイ号
僕とすぐ上の兄貴の二人がお小遣いを2年間貯めて勝った中古の自転車の名前が「ポパイ号」僕らはその22インチ?の自転車が嬉しくて、毎日毎日掃除をしてぴかぴかに磨いていた。ところがそのポパイ号が誰かに盗られてしまったのだ。ちゃんと鍵をかけておいたのに、たった2週間で僕らはポパイ号とさよならをした。僕は泣いた。声を上げて泣いた。悔しくて、悔しくて泣いた。兄弟二人が2年間、お小遣いを何も使わないで我慢して貯めておいたお金で買ったのだ。それでも半分は親が出してくれたのだけど・・・・・。我が家はそれくらい貧乏だった。

今の僕の自転車には申し訳ないが、名前が付いていない。それでもこの間の雨でずぶ濡れになった自転車が可哀そうで、僕は久しぶりに自転車掃除をしてみた。ただぼろきれで拭いただけなのだが、自転車はピカピカになった。ピカピカになると大事にしようという心が生まれる。大事にすると自転車も長持ちする。僕はオリーブ号(今決めた)を掃除しながら、大昔のポパイ号を磨いていた幸せな自分を思い出していた。

神様のくれた時間
今日は塾からオリーブ号で一度家に帰って来てから、車(チェジュウ号)で横浜へ向った。環八が道路工事でかなり渋滞していたが、それでも0時前には何とか病院に着くことができた。ホスピス病棟は24時間開いているのだ。
和彦は今日も気力だけで頑張っていた。テレビでは日本対ウクライナ戦の生中継をやっていて・・僕らは全てを忘れて(?)二人で日本を応援したのだった。生きた和彦に会えないかも知れないと思っていたのに、サッカー観戦をしたのだから、たまらない。おまけに大学時代の名簿を持ち出して、「下村元気かなあ?」「福島は?札幌じゃん。電話しようっと。」「吹野はどうしてるかなあ」「柳川札幌にいるのか・・・」「中谷は助教授だよな。」「藤峰はペンションで頑張ってるよ。」「若生か・・・懐かしい。」「いたいた、思い出したよ。こんな奴いたよ!」「三浦がいて、和田もいたよね。」「いたいた、そんでもって、路加子さんがいたんやで。」僕らは一気に大学時代の函館、七重浜に飛んでいた。「丸山アパートの近くにさ、鰯の安い店があったの覚えてる?」「そんなん、あったっけ?」「野菜も売っててさ・・・」「大体邑は料理したっけか?」「してたよ。3日連続で朝昼晩と味噌オジヤという時もあったけどな。」「あの頃は本当にみんな金がなかったからなあ・・・」「親に勘当されて、仕送りが無くなったしな」「邑さあ、あの頃お前のアパートでよく麻雀したじゃない?ソン時の話だけどさあ・・・」
「俺が勝って、住田が負けていたのは覚えているんだけど、お前はどうだったんだ?」僕らは本当にとりとめの無い話をして、そして笑った。
そして僕らはいつものように「じゃあ、またな!」「うん、また明日な!」と握手をして別れた。家に着いたのが3時。もう新聞屋さんが活動を始めていた。今日?は朝から色々大変だったけど、最後の最後に神様がとっても素敵なプレゼントをしてくれた。僕と和彦はプレゼントしてくれたその時間を充分に楽しんだのだった。
*和彦があっちにいるから、死ぬことはそんなに怖くはない。ただ、空やひとみを残してはまだ逝けない・・・そう思うのだ。あと少し、時間が欲しい。空が社会に出るまでは・・・何とか支えてやりたい。そう思うのである。

絶対に打ってはいけない!936
今日も麦ごはんを美味しく頂きました。テニスもしました。彼女たちにはそれができません。ワクチンを接種してしまったら終わりなのです。製薬会社の儲けの為に、こんな悲劇を繰り返してはいけません。TPPが発動したら、製薬会社は「どうして接種の邪魔をする!」と訴えを起こすに決まっています。彼女たちの為にも大人たちがTPPと戦わなくてはいけないのです。     
HTTPS://WWW.FACEBOOK.COM/TAKAYANCHAN/POSTS/1153777401301466?PNREF=STORY
HTTPS://WWW.YOUTUBE.COM/WATCH?V=BGJN1ZONRIY&FEATURE=YOUTU.BE

今日の写真1・2・3。
これが沖縄の普天間基地です。僕らが行った日・・・本当にオスプレイが飛行していてビックリしました。世界一危険な基地に世界一危険なヘリが飛んでいるのです。沖縄はいつ日本に返還されるのでしょう。日本はいつまで米国の植民地でいるのでしょう。このまま辺野古に基地をつくったら・・・永遠に返還されないような気がします。香港でさえ、100年で返還されたのに・・・
*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記  第205弾!  2016年7月23日(土)

川掃除のお知らせ
7月の川掃除は明日24日(日)です。持ち物は「黒目川を綺麗にしたい」という気持ちだけです。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。9時に栗原1丁目公園に集合です。栗原一丁目公園から馬喰橋まで土手を掃除し、そこから川の中に入り、公園まで川を遡り、そこで一旦ゴミを置き、今度は神宝大橋まで土手と川の中を同時に掃除して、公園に戻って終りです。11時頃までやります。途中からの参加も途中までの参加もOKです。
夕方、石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加もOKです。今回は“子ども食堂”についての話し合いもします。連絡先 090-6497-5737 たかやん

子ども食堂の申し込みについて
8月7日(日)の子ども食堂はカレーライスとトン汁、スイカ、川魚・・・というメニューですが、お早めに申し込みをしてください。申し込みは7月一杯になっていますが、100食限定ですので・・・。
090-6497-5737 たかむらまで・・・。

一番堂
今日も亮と二人で吉祥寺に行った。敦史先生はいなかったが、一週間の疲れをほぐしてもらって、体が軽くなった。

気づき
テニスコートで気が付いたことがあった。それは・・・「テニスも勉強も人生も恋愛も・・・きづきが大切だ」ということだ。そして、僕はテニスで気が付いてしまったのだ。おほほほほ。ちょっと強くなりそうな気がしてきたぞ!!

神様がくれた時間
夕方、健ちゃんと組んで試合をした後・・・アドヴァイスをもらった。そして、二人で15分ほど練習をすることができた。これが堪らなかった。神様がくれた時間・・だと思った。子どもたちの勉強にも、この感覚を持ってもらいたいと思った。できないことができるようになるって、誰でも興奮する訳で・・・

「たかやん日記」2005.第281弾!  10月12日(水)
ポパイ号
僕とすぐ上の兄貴の二人がお小遣いを2年間貯めて勝った中古の自転車の名前が「ポパイ号」僕らはその22インチ?の自転車が嬉しくて、毎日毎日掃除をしてぴかぴかに磨いていた。ところがそのポパイ号が誰かに盗られてしまったのだ。ちゃんと鍵をかけておいたのに、たった2週間で僕らはポパイ号とさよならをした。僕は泣いた。声を上げて泣いた。悔しくて、悔しくて泣いた。兄弟二人が2年間、お小遣いを何も使わないで我慢して貯めておいたお金で買ったのだ。それでも半分は親が出してくれたのだけど・・・・・。我が家はそれくらい貧乏だった。

今の僕の自転車には申し訳ないが、名前が付いていない。それでもこの間の雨でずぶ濡れになった自転車が可哀そうで、僕は久しぶりに自転車掃除をしてみた。ただぼろきれで拭いただけなのだが、自転車はピカピカになった。ピカピカになると大事にしようという心が生まれる。大事にすると自転車も長持ちする。僕はオリーブ号(今決めた)を掃除しながら、大昔のポパイ号を磨いていた幸せな自分を思い出していた。

神様のくれた時間
今日は塾からオリーブ号で一度家に帰って来てから、車(チェジュウ号)で横浜へ向った。環八が道路工事でかなり渋滞していたが、それでも0時前には何とか病院に着くことができた。ホスピス病棟は24時間開いているのだ。
和彦は今日も気力だけで頑張っていた。テレビでは日本対ウクライナ戦の生中継をやっていて・・僕らは全てを忘れて(?)二人で日本を応援したのだった。生きた和彦に会えないかも知れないと思っていたのに、サッカー観戦をしたのだから、たまらない。おまけに大学時代の名簿を持ち出して、「下村元気かなあ?」「福島は?札幌じゃん。電話しようっと。」「吹野はどうしてるかなあ」「柳川札幌にいるのか・・・」「中谷は助教授だよな。」「藤峰はペンションで頑張ってるよ。」「若生か・・・懐かしい。」「いたいた、思い出したよ。こんな奴いたよ!」「三浦がいて、和田もいたよね。」「いたいた、そんでもって、路加子さんがいたんやで。」僕らは一気に大学時代の函館、七重浜に飛んでいた。「丸山アパートの近くにさ、鰯の安い店があったの覚えてる?」「そんなん、あったっけ?」「野菜も売っててさ・・・」「大体邑は料理したっけか?」「してたよ。3日連続で朝昼晩と味噌オジヤという時もあったけどな。」「あの頃は本当にみんな金がなかったからなあ・・・」「親に勘当されて、仕送りが無くなったしな」「邑さあ、あの頃お前のアパートでよく麻雀したじゃない?ソン時の話だけどさあ・・・」
「俺が勝って、住田が負けていたのは覚えているんだけど、お前はどうだったんだ?」僕らは本当にとりとめの無い話をして、そして笑った。
そして僕らはいつものように「じゃあ、またな!」「うん、また明日な!」と握手をして別れた。家に着いたのが3時。もう新聞屋さんが活動を始めていた。今日?は朝から色々大変だったけど、最後の最後に神様がとっても素敵なプレゼントをしてくれた。僕と和彦はプレゼントしてくれたその時間を充分に楽しんだのだった。
*和彦があっちにいるから、死ぬことはそんなに怖くはない。ただ、空やひとみを残してはまだ逝けない・・・そう思うのだ。あと少し、時間が欲しい。空が社会に出るまでは・・・何とか支えてやりたい。そう思うのである。

絶対に打ってはいけない!936
今日も麦ごはんを美味しく頂きました。テニスもしました。彼女たちにはそれができません。ワクチンを接種してしまったら終わりなのです。製薬会社の儲けの為に、こんな悲劇を繰り返してはいけません。TPPが発動したら、製薬会社は「どうして接種の邪魔をする!」と訴えを起こすに決まっています。彼女たちの為にも大人たちがTPPと戦わなくてはいけないのです。     
HTTPS://WWW.FACEBOOK.COM/TAKAYANCHAN/POSTS/1153777401301466?PNREF=STORY
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今日の写真1・2・3。
これが沖縄の普天間基地です。僕らが行った日・・・本当にオスプレイが飛行していてビックリしました。世界一危険な基地に世界一危険なヘリが飛んでいるのです。沖縄はいつ日本に返還されるのでしょう。日本はいつまで米国の植民地でいるのでしょう。このまま辺野古に基地をつくったら・・・永遠に返還されないような気がします。香港でさえ、100年で返還されたのに・・・
*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん

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