10月21日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第294弾! 2017年10月21日(土)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第294弾! 2017年10月21日(土)たかやん

川掃除のお知らせ
10月の川掃除は29日(日)の予定です。栗原1丁目公園に9時集合です。持ち物は「黒目川を綺麗にしたいという心」だけです。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。川の中に入りたい方は申し出てください。途中からの参加も途中までの参加も大歓迎です。夕方6時から反省会があります。連絡先は090-6497-5737たかやんです。


5時半、外はまた雨。空の練習がないので、誰も起きる気配がない。しょうがないので7時まで無理に寝ることにする。冷たい雨の中、必死に戦っている人達には申し訳ないと思いながら・・・

8時過ぎ
今日もマンションの植栽の剪定の続き。管理会社のいいなりにならず、いい仕事をする人達を見つけるのも、マンション管理組合の理事長の仕事の一つである。引き受けたからにはしっかりやらないとね・・・。勿論、報酬は0円。だから、いいのよねえ。理事長が自由に使えるお金も0円。そう、川掃除とちょっと似ているかも・・・。

10キロ
9時過ぎ、10キロを走りながら(歩きながら)英語の教科書の暗誦と英単語のトレーニングをする。ベンチプレスと腹筋・背筋をやって、お風呂の中で世界一周のトレーニングをしながらストレッチをして・・・一石二鳥。いい2時間だった。これで10月に入って96キロ。100キロは楽勝かな。

青森
久しぶりに青森の加世子さんに電話をした。央侑(ひさゆき)君も13歳で短い生涯を終えたのだ。陵平とよく似ている、いや、似すぎている指導死だった。加世子さんも怒っていた。福井県の中二の指導死を怒っていた。当たり前だ。自分の愛する子の死と同じような指導死が繰り返されたのだから。

指導死4
加世子さんから貰ったメールが出てきた。
「陵平君がオートバイのレースにでるのを楽しみにしていたことと、ひさゆきが二日後のU14の試合にでるのをわかっていたはずなのに、そんな大事な事もふっとんでしまうくらいの恐怖感を感じてしまったんでしょう。」
*その通りだと思う。13歳の子にはその指導が恐怖そのものだったのだ。そして、その指導後に自分がやらなければいけないことも・・・
“大貫さんが生徒たちの前で「バカヤロー」っていったのもなんとなくわかります。私も火葬の時、最後のお別れの時、「ばが子」っていいました。「生まれ変わってもお母さんの子になるんだよ。きっと見つけるからね」って言いました。”
*このメールを読んで・・・涙が溢れてきた。加世子さんの央侑(ひさゆき)君に対する思いを想像したら・・胸が苦しくなって・・・そして、電話で加世子さんの声を聞いたら、よけい泣けてきて・・・こっちから電話しておいて、言葉に詰まって、話せなくなるんだから・・・恥ずかしかった訳で・・・。13歳の央侑が亡くなって9年。生きていたら22歳の若者だ。どんなに輝かしい未来が待っていたことか。13歳の陵平が亡くなって17年。来月の13日で陵平は31歳だ。どんなに温かい家庭を築いていただろう・・・想像するだけで、泣けてくるのである。彼らの未来を奪った未熟な教師達による「指導」が悔やまれてならない。

ホワイトソックス思想
昭和52年新設したばかりの新座五中にも「ちいさなことを認めたら、後が大変だ」という考えの先輩教師がいた。白いソックスにワンポイントを認めたら・・・白いソックスにラインを認めたら・・・どんどんエスカレートして、大変なことになる。そういう思想である。当時23歳の僕は、ホワイトソックス思想にもの凄い違和感を感じながら、生きていた。先輩だけど(人として何かがおかしい)そう思っていたのだ。
だから、大好きだった神バー(神宮司久子)が「ソックスは三つ折りにしなければソックスと言わない!」と職員会議で発言したときも、「そんな馬鹿な・・・」と4組だけは三つ折りしてなくても、OKという態度を取った。要するに「生徒指導の足並みを揃えるのは正しい」という思想も否定したのだ。神さんには悪いけれど、(何色の靴下を吐いていても関係ないんだよ。子ども達は愛されれば、ちゃんと育っていくのだ!)そう思っていたのだ。

僕は新宿の中学校で比較的自由に育った。学ランに制帽という中学校だったが、靴下も靴も自由。学ランに校章さえ付けていれば何も言われない学校だった。僕は革靴で電車通学していた。西戸山は学力でも東京都の中でトップ。先生達も優秀だった。西戸山は本当にいい学校だった。
高校に進学して・・・制服を着ないで過ごした。石神井はバイク通学も自由だった。学ランを着たのは入学式と卒業式の2回だけ・・・それ以外は、ずっとテニスウエアーで登校していた。女の子達はミニスカートが当たり前だった。本当に自由な学校だった。
大学はもっと開放的だった。北海道の人達は僕の肩までの長髪を認めてくれた。北大のテニス部には魅力ある先輩達が沢山いた。函館の水産学部に進んだ僕はテニスを失った代わりに「航海実習」が待っていた。そこで僕は海という自然の中で生きることの大変さを肌で感じた。これこそが、これからの未来を生きる子ども達に伝えなければいけないことだ・・・僕はそう思った。そして、昭和52年の4月を迎えたのだ。「格好なんて気にするな」「大事なことは外見じゃない!」「職業に貴賤はない」「ホワイトカラーが偉いんじゃない!」そのことを教えなければならない教師が、子ども達の外見で「生徒指導」をすることは、許せなかった。

陵平は休み時間に「ハイチュウ」を食べた。それがどうした!俺は空き時間に理科準備室で「チャーハン」を作って食べていたぜ。陵平もひさゆきも学校にライターを持ってきた。それがどうした!俺はライターどころか、教師のくせに毎日50本もハイライトを吸っていたぜ。五中の俺の教え子達に喫煙者が多いのは、もしかしたら大馬鹿の俺のせいかも知れない。本当に馬鹿な教師だった。
「校則を守ることは大切なことだ」と阿呆な教師達は言う。じゃあ聞くけど、その校則を作ったのは誰?その校則はどういう理由で誰が作ったの?説明してよ!!
日本中の中学校に糞みたいな校則があるけれど・・それを守る子には明るい未来が待っているのか?それを破った子には明るい未来がないのか?じゃあ、おまえらみたいに子ども達を「指導死」させてしまった奴らの未来はどうなんだ!!
休み時間にお菓子を食べたことと、ライターを学校に持ってきたことと・・逃げ場をなくすまで、追い詰めて、追い詰めて子ども達を殺してしまったおまえらと、どっちが悪いんだよ!!生徒指導で子ども達を殺してしまった教師達に俺はそう言いたい。

 そして、今現役で「先生」をしている後輩達よ。どうか、子ども達に寄り添って生きてください。あなたの一言で、子ども達は元気になるのです。あなたの笑顔で子ども達は明日も生きることができるのです。あなたの背中を見て、子ども達は育っていくのです。
悪いことをしたら、本気で怒っていい。でも、怒ったらそれでチャラにしなくてはいけません。怒るってそういうことです。子ども達が学校でタバコを吸ったら、拳骨をくれてもいい。でも、それでチャラ。子ども達が万引きをして警察に捕まったら・・一緒に謝って、拳骨でいい。でも、それでチャラ・・・自分に逆らう子に「内申」で報復なんていうのは、人として最低。「教師の素質」はゼロです。授業に集中できない子がいるから、自分の授業が進化できるんです。部活で逆らう子がいるから、勉強する必要があるのです。子ども達の反発は自分たちを伸ばす原動力なんですよ。「先生」と言われて調子に乗らないこと・・・どの世界にも調子に乗る「先生」はいますが・・・君たちは本物が見たら、まだまだ・・・そう思ってください。そして、どうか子ども達に寄り添いながらあなたたちも成長してください!!学校は楽しいところでなくっちゃ・・・。あなた方の笑顔が学校を明るく楽しい場所にするのです。

子宮頸がんワクチン2015
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人がまだいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1
3年前のたかやん塾です。この子達も高三になりました。学年でトップの子もいるそうなので、来年の春が楽しみです。

今日の写真2
僕の教え子達で「先生」になった子は多いのですが・・・そのうちの一人です。僕のテニスの先生、長久保大樹先生の「先輩」の真理子です。僕は真理子のことを「真理子」と呼び、真理子は大樹先生のことを「大樹」と呼び、僕は大樹先生のことを「大樹先生」と呼びます。

今日の写真3
こんな顔で授業をしているんですねえ。五中や六中、二中の授業で見せていた顔と同じなんでしょうか・・・。子ども達しか分からないですよね・・・。
*0時を過ぎました。最後の駅立ちも終わったことでしょう。全国で最後の最後まで頑張った候補者とその応援団のみなさん。本当にお疲れ様でした。みなさんの頑張りが明日の投票に繋がることを祈っています。

*この日記を読んだ人が今日一日、幸せな気持ちになりますように・・・おやすみなさい!

20171021-1.jpg 20171021-2.jpg 20171021-3.jpg