11月13日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第317弾! 2017年11月13日(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第317弾! 2017年11月13日(月)   たかやん

川掃除のお知らせ
11月の川掃除は19日(日)の予定です。持ち物は黒目川を綺麗にしたいという心だけです。集合時間は9時。集合場所は栗原1丁目公園です。トング、ゴミ袋、軍手はこちらで用意します。途中からの参加も途中までの参加も大歓迎です。夕方、石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。連絡先090-6497-5737たかやん

駅立ちのお知らせ
本日13日(月)5時〜9時のひばりヶ丘北口での駅立ち、無事終わりました。明日14日(火)は東久留米東口で5時半〜8時半、15日(水)は保谷駅北口で5時半〜8時半、16日(木)は新座駅南口で5時半〜8時半、17日(金)は志木駅南口で5時半〜8時半、20日(月)は清瀬北口で6時〜8時半、21日(火)清瀬南口で6時〜8時半の予定です。
先月駅で配布したのは151弾!152弾!でした。その次の153弾!は駅では配らずネット上だけで公開していますので、今度は154弾!を配布します。駅立ち仲間のみなさん、よろしくお願いします。

4時
駅立ち週間になると体が勝手に「早起き体勢」になるから面白い。寝坊することはまずない。まるで運動会の朝の小学生のようである。

4時45分
ひばりヶ丘北口での駅立ちが始まった。準備をしっかりとしてきたせいか、それほど寒さを感じなかった。手袋にヒートテック上下にホカロン8枚。おじいちゃんである。(笑)

5時過ぎ
東の空に宵の明星が見えた。昔、五中や六中で朝練をやる時によく見ていたが・・・最近は余り見る機会がなくて・・・何かちょっぴり懐かしい感じがしたのだった。

握手
昔、「そこに立つな」と怒られ、暫くおっかない顔でしか僕を見てくれなかった人が、今朝は笑顔で握手してくれたのには感動した。多分、誤解を解くのに1年以上かかったと思うが・・・本当に嬉しいことで、泣きそうになったのだった。

ハグ
今朝も教え子達がハグしてくれた。ハイタッチと握手は数え切れないくらいして貰った。ひばりヶ丘だねえ。

吉田よしのり
「彼はどうした?」「吉田君はどうした?」「よしのり君はどうするの?」と吉田よしのりの今後を心配する声が多かったのには驚いた。やはり彼の人気は凄いなあと思ったわけで・・・・

階段に向かって
今朝も道路のど真ん中で階段に向かって立っていたので、降りてくる人の中にも「一生懸命」を受け取ってくれた人が、沢山いたのには驚いた。

心配
久しぶりの駅立ちで心配だったのはトイレである。寒い中の4時間なので、途中でトイレに行きたくなる可能性がある訳で・・・それも全く大丈夫だった訳で・・・まだまだ行けそうである。

奇跡
その奇跡は突然起こった。1枚の葉書が出てきたのだ。西戸山小学校で3年間担任をしてくれた向後美佐子先生からの葉書だった。宛先は函館市になっていた。詰まり、僕が大学生の時に先生から着た年賀状だったのだ。僕はずっと先生に連絡を取りたくて、色々と調べていた時期もあったのだが・・・諦めていたのである。軽い思いつきで、104に電話してみた。すると、「番号をご案内します」と言うではないか!そして、恐る恐るその番号に電話をすると・・・若い女性が電話に出た。『あのう・・・向後さんのお宅でしょうか』「はい、そうです」『あのう・・・新宿の西戸山小学校で美佐子先生にお世話になりました、高邑といいます。先生はお元気でしょうか。』「余り元気ではありませんが・・・」『美佐子先生と話したりすること出来ますか?』「はい。今、話してますよ」
『えーっ!美佐子先生なんですか?』「はい。高邑君。久しぶりね。」『覚えてますか?』「勿論です。面白い子でしたからね」『いやあ、嬉しいなあ。先生おいくつになったんですか?』「82になりました」『嬉しいなあ・・生きていてくれてありがとう、先生!』「体はあちこちガタガタですけどね」『先生、直ぐに手紙書きます。そして先生に会いに行きます!』「楽しみにしていますね」もう、僕はあっという間に小学生に戻ってしまった。もう会えないと思っていた美佐子先生に会えるのだ。これはもう奇跡である。

美佐子先生
僕が6歳の時、美佐子先生は25歳。最初は松本美佐子先生だった。先生はお茶の水大卒で、綺麗で、優しくて、ユーモアがあって・・・僕らの憧れの先生だった。僕の人生は「先生」には本当についている。小学校1年生から3年生まで人生で一番大事な時期に美佐子先生に3年間も担任をして貰えたのだから・・・。本当に幸せな3年間だった。僕が超悪ガキになるのはその後のことである。

7キロ
ジムにいって7キロ走って来た。これで11月に入ってやっと17キロ。100キロ走るのは実に怪しくなってきたぞ・・・

31歳
今日は陵平の誕生日。生きていれば31歳。どんな青年になっていたのだろう。生きた陵平に会ってみたかった。「指導死」という言葉は陵平のお父さんによって作られた言葉だ。あれから18年も経っているのに、日本中で「指導死」が亡くならない現実を陵平は空の上から見て、どう思っているのだろう。

子宮頸がんワクチン2041
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人がまだいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1
時計の針は4時47分くらいを指しています。45分ちょっと前に立って直ぐに何人かの人が「一生懸命」を手にしてくれました。5時前に働きに行く人が沢山いるのです。もっと頑張らなきゃって、思います。

今日の写真2
道路の真ん中から階段を見上げると、こんな光景になります。降りてくる人の顔を見ることができるのです。そして、教え子達の後ろ姿を見送ることもできる訳で・・・

今日の写真3
5時過ぎでしょう。東の空が明るくなってきました。そして、この空の中に「明けの明星」が輝いていたのです。東の空高くお月様も見えて・・・とても幸せな気持ちになりました。

*この日記を読んだ人が今日一日、幸せな気持ちになりますように・・・おやすみなさい!

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