12月14日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第348弾! 2017年12月14日(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第348弾! 2017年12月14日(木)   たかやん

一般質問
9時前に控え室に到着。スーツに着替えていると、俊さんが「おはようございます」と言って登場。僕は「おはよう!」と笑顔で挨拶。俊さんはいつも礼儀正しい。もうずっと一緒にいるのに、「おはよう!」とは言わない。一方の僕は「おはよう!」しか言わない訳で・・・礼儀正しくはないのである。ま、いっか。そんなこと・・・。

傍聴
久しぶりに陵平のお母さんが傍聴に来てくれた。勿論「指導死」を取り上げたからである。陵平の写真も久しぶりに一緒に登壇。当時は臼倉教育長との戦いだったが、今回は金子教育長・・・どんな答弁が返ってくるか、期待していたのだが・・・
道路問題では富岡さんをはじめとする野寺のみなさんが傍聴に来てくれたし、陸上競技場の改修問題では新座陸協の渡辺先生が傍聴に来てくれた。傍聴人ゼロが当たり前のようにある中で、本当に有り難いことである。

13時20分
僕の一般質問は13時20分にスタートした。多分15時頃に終わるだろうと予想していたのだが・・・まあ、終わりはそんな感じになった。今回も質問数が多く、時間との闘いだった。その中で、どういう本音の答弁を引き出すか、次に繋げていくか・・・そんなことを考えながら、質問を続けたのだった。最初の質問から台本がないし、答弁もどんなものがくるか全く分からないので、全て、その瞬間、瞬間の言葉に集中してやらなければならない。まあ、その辺は普段の授業と同じである。違うのはすべてが記録されるということ・・・。今回、恥ずかしかったのは、途中で「個人情報保護法」という言葉が出てこなかったこと。直ぐに思い出したのだが、あれは恥ずかしかった。

指導死
陵平が12歳の時の写真を前に、「指導死」の危険性を訴えたのだが・・・それが伝わっただろうか。2000年9月、二中で起きた陵平の「指導死」だが、その時の教師集団や市教委があの生徒指導によって起きたものだということを認識しない限り、今の新座の小中学生の誰にも起こりうることなのだ。陵平の父、大貫隆志さんの著書「指導死」を読めば、それが分かる。陵平やひさゆきのような真面目な子程危ない・・・そう思ってきたが、やんちゃな少年も逃げ場がなければ「死」を選択することがあるのである。
僕が止めて欲しいのは、詰まらないことで「親を呼び出す」ということだ。「悪い芽は小さな内に摘んでおかないと・・」という発想なのだろうが、子ども達の中には「絶望」する子もいるのである。教師集団の中に逃げ場を作らない「共通理解」「共通行動」という人間くさくない指導法も勘弁して欲しい。教師集団の中に「逃げ場」を作るのが僕らのやり方だったし、一人の教師の中にも「逃げ場」を作るのが僕らが先輩から受け継いだ「教師像」だった。教育長は今回も「カウンセリングマインド」という言葉を使ったが、それが本当だとしたら、「共通理解」「共通行動」という考え方はあり得ないのである。

課題
膨大な量の課題が中学生達を「睡眠負債」に陥らせている・・・という話をした。福井の中二の「指導死」も課題提出がきっかけになっている。課題が問題なのは、テストのような公平性がないところにある。課題の採点にはどうしても「主観」が入ってしまうのだ。教師だって人間である。子ども達を評価するとき、自分の主観が多く入る「授業態度」や「意欲」「関心」などで評価したくなる気持ちになるだろう。しかし、それをグッと堪えて、本当に公平なテストで評価する。気に入らない生徒にも「5」をつける。出きれば何人でも「5」を付ける。それこそが「絶対評価」なのだ。
テストの平均点が低いのは「授業」のレベルが低いからだということに気づかない教師が多い。いい授業をしていれば、子ども達はその教科に興味を持ち、一生懸命努力をするようになる。授業で勝負をして、テストで自分の授業も含めて評価をする。できの悪い子がいたら、寄り添って実力をつけてやる。それが教育というものだ。大事なのは子ども任せの課題提出ではない。常に寄り添いながら、出来ないことを出来るようにしてやることこそが大切なことなのである。子ども達が徹夜でレポートを書き、睡眠負債に陥ることが当たり前になってはいけない。テストの点数がいいのに、課題で評価が下がるようなことがあってはいけない。進学塾に通い、膨大な量のテキストをこなさなければならない生徒がいる。サッカーや野球や新体操に燃え、試験前の土日もスポーツに時間を費やす子達がいる。家庭の事情で塾にも通えない子達がいる。学力格差が生じている現実から目をそらしてはいけない。学力が二極化しているというのに、同じ課題でいい訳がない。どちらの極にいても迷惑な話である。出きる極にいる子達にしてみれば、もっとレベルの高い問題をやりたいだろう。そして、出来ない極にいる子達にしてみれば、本当に分からない基礎をやり直したい筈だ。今の中学校の課題の出し方は異常である。子ども達を机に縛り付け、課題のやり方まで強要し、睡眠負債にしてしまっているのだから。新座の中学校の学力が低い原因の1つがそこにあることにどうか気がついて欲しい。そして、「内申」を使っての生徒指導ほど情けないものはないということにも気づいて欲しい。子ども達は「いい授業」をする教師を尊敬する。そして、尊敬する人の言うことを聞くのである。それだけは、今も昔もそしてこれからも変わらないだろう。授業のできの悪さを「大量の課題」でごまかしてはいけないのである。

27m
36mの調布・保谷線が開通して13ヶ月の間に3件の死亡事故があったのは、その道路が地域を分断した道路だということを意味している。歩行者と自転車が安全に通行するように歩道を広く作ってあるのだが、横断するという行為に対しては広い道路は危険なのである。広い道路の先に、使い慣れた生活道路がある場合・・・今までと同じようにその場所を渡ってしまう高齢者が多いということだ。信号まで回り道をしていくのが大変な高齢者にとって、広い道路を横断する方が楽に思えるのだろう。何十年も歩いてきた道路を彼らは歩いた積もりになって、事故にあったのではないだろうか・・・地域を分断する保谷・朝霞線は本当に必要なのだろうか・・・一番心配なのは、産業道路まで引き込んで、終わり・・・というパターンである。それにしても、将来の交通量予測で27m道路が「必要」だと言ってるのに、現在の都県境での交通量が答弁できないなんて・・・そんなのありか?住民を説得しようという意識がないことが問題である。

子宮頸がんワクチン2080
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1
壇上で陵平を紹介し、陵平のお父さんが書いた本を紹介しました。誰よりも全国の先生達に読んで欲しい本です。

今日の写真2
この一般質問がこの議場での最後の一般質問になります。この席で発言することはもうありません。議席番号26番での最後の発言になりました。

今日の写真3
陵平のお母さんの政江さんです。将棋の感想戦ではありませんが、質問が終わった後、控え室で率直な感想をお互いに出し合いました。政江さんから預かっていた、当時の担任の手紙を読んで貰いました。暫く忘れていたことが蘇ってきたそうです。
9月30日の夜、担任からの電話の後、陵平は遺書を書きました。電話の直前までテレビを見て笑っていたのに・・・10月1日の未明、陵平は13歳の短い生涯に自分自身で終止符を打ったのです。典型的な「指導死」です。
そして10月2日の臨時学校朝会で隆志さんと政江さんは二中の全校生徒の前で話をしたのです。その時、担任は政江さん達に向かってこう言いました。「クラスや学校で何があったのでしょう」と。「それが2番目に辛い言葉だった・・・」政江さんは、控え室でそう言いました。指導死が恐ろしいのは、指導した側にその意識がないことです。あるいは、あったとしても無いと思い込もうとすることです。指導死が多発するのはそれが原因です。

*この日記を読んだ人が今日一日、幸せな気持ちになりますように・・・おやすみなさい!

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