12月22日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第356弾! 2017年12月22日(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第356弾! 2017年12月22日(金)   たかやん

川掃除のお知らせ
来年1月の川掃除は7日(日)に決まりました。9時に栗原1丁目公園に集合です。トング、軍手、ゴミ袋はこちらで用意します。持ち物は「黒目川を綺麗にしたい」という心だけです。途中からの参加も、途中までの参加も大歓迎です。夕方5時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も歓迎します。090-6497-5737 たかやんまで。

家庭訪問3
学校も残すところあと1日。今朝もちょっぴりの家庭訪問。そして、五中陸上部の朝練を少しだけ見学させてもらって・・・新座ローンへ。

師匠
今朝も田中さんに8時から9時半まで稽古をつけてもらった。僕より年上なのに、凄いパワーボールを打ってくる田中さん。余りの差にラケットを換えようか・・・と、初めて思ったのだった。

お風呂
テニスの後はお風呂。練習で疲れ切った筋肉をほぐして・・・ココアを連れて美容院へ。僕の頭はただ(基本的には自分でバリカン。時々床屋さんに行くけど2000円はしない)だけど、ココアの美容院には6500円もかかるらしく・・・

俊さん
議運に出ていた俊さんから電話があった。「議会便りに掲載する新年の挨拶、出してなかったでしょ?」『あーっ!ごめん・・・』僕がヘマをする度に俊さんが嫌な思いをする訳で・・・申し訳ないのである。来年は俊さんに代表になってもらって、議運の委員を交代するか・・・

市役所
午後からは市役所へ。大佑と一緒に控え室を少しだけ片付けて・・・戻ってきたのだった。

燃えた!
夜は塾。内申でショックを受けた中二・中三と2時間燃えた。受験生にとって、内申は「武器」にもなれば「凶器」にもなる。絶対評価が当たり前になった今、教師がその使い方を間違えると、愛する子ども達の人生を潰す可能性があるのだ・・・・関心・意欲にCが付いていたら・・・自分の授業が詰まらないということに気づいて欲しい。通知表のCは自分の事業に対する評価でもあるのだ。
 
やる気
そもそもの話をしよう。子ども達のやる気を引き出すのが「先生」と呼ばれる人達の仕事なのだ。子ども達に「やる気を失わせる」人達は「先生」でもなんでもない。学校に来られないのは子ども達が悪いのではないし、授業に集中できないのも、提出物を出せないのも、子ども達だけの責任ではない。子ども達は教師の表情や言葉で「やる気」になったり、「やる気を失ったり」するのである。親に「勉強しなさい!」と言われて、やる気になる子がいないように・・・教師に強制されて、「やる気」になる子はいないのである。子ども達が睡眠負債に陥りながらも「課題提出」をするのは、やる気になったからではない。それは、ただただ「内申を上げる為」なのである。子ども達をやる気にさせて、勉強することの楽しさを教えてしまえば・・・みんなハッピーになるのに・・・それができない教師が多い。勿論、いくら「やる気」にさせようと思っても・・・なかなか「やる気」になれない子もいる。それでも、その子を信じることだけは出きる筈である。やる気が出ないのが、誰かのせいにするのではなく、一番身近にいる大人として、その子の「やる気を引き出す」にはどうしたらいいか・・・考え抜くのが「先生」という仕事なのだ。子ども達が本物の「先生」に出会い、家庭でも「やる気」になるような言葉で包まれることを祈るばかりである。

教育実習
僕のところに来た実習生には必ず「学級通信」を書いてもらった。これから本気で教師になるのなら、子ども達を「見る目」が必要だからだ。僕の実習生達はみなその「課題」を乗り越えてくれた。彼らには「教師の素質」があったのだ。子ども達に寄り添う気持ちと子ども達の表情に敏感になる神経が大事なんだよ・・僕は彼らにそう伝えた。もし、それを伝えずに「毎日学級通信を書け」「書かなきゃ単位はやらないぞ」そう言っていたら・・・彼らはどうしていただろう。教育実習が苦痛になり、学校が苦痛になって、「教師になろう」とは思わなかったんじゃないだろうか・・・後輩達よ。学級通信は書く意味があるよ。子ども達に「課題を提出」させる君らになら、その意味が分かるはずだ。

学級通信
これを書くには毎日子ども達を観察する時間が必要になってくる。今月の予定だとか、学校のきまりがどうのとか・・・そんなくだらない連絡は「学級通信」とは呼べない。子ども達の生き生きとした様子が書かれていて初めて学級通信なのだ。担任の思いが書いてあって、初めて学級通信なのだ。僕は後半の11年間、毎日書き続けたが・・子ども達に寄り添っていれば、毎日であっても簡単に書けるものなのだ。楽しいから・・・そう、楽しいことは続くのである。自分も子ども達も親もみんなで「一生懸命」を楽しんでくれた。だから続いたのである。

「1」という評価
こればかりは一度でも「1」という評価をされた経験がある人にしか分からないだろう。俺は生涯で3回、「1」を貰った。すべて石神井高校時代のことである。最初の「1」はまさかの体育。高一の1学期・・雨が降った日はテニスが出来ないからと、すべて休んだのだ。その中に体育の授業が15時間あって・・・テストはかなり出来たのだが、評価は「1」だった。その時のショックは今でも覚えている。次の教科は英語。高校に入ってグラマーの先生の発音が酷いのに頭に来て・・・全く勉強をしなくなってしまったのだ。それで英語が「1」。後で考えると、結構いい先生だったのだが・・・中学時代に凄い先生達に習った俺には耐えられなくて反発して・・・「1」。最後は倫社。これは先生が大嫌いで・・・テストはちゃんと書いたのだが・・すべて消しゴムで消して・・・(しかも、それが分かるように消して・・・)勿論、0点になって・・・「1」。先生に反抗した積もりだったのだが・・・先生の方はそんな馬鹿生徒を相手にする筈も無く・・・・いいことは何1つなかった・・・。そんな覚悟の上の「1」でもショックを受けるのだから、一生懸命やっての「1」はたまらないだろう。
「1」という評価は音楽で言えば、「お前は歌うな」だし、美術で言えば「お前は何も描くな」という評価なのだ。だから、俺は通知表に「1」を付けたことはないし、「2」でさえ付けないように意識して、授業をしていたし、テストを作っていたのである。

子宮頸がんワクチン2089
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返していつも弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1.2.3
「襷は渡すんではなくて、繋ぐんだ」そう言った顧問の先生の言葉が蘇ってくる瞬間でした。五中のアンカーは2年生。去年の先輩達から繋いだ襷を肩に懸命に走り切りました。そして、すべてが終わって・・・みんなで笑顔で記念撮影しました。泣いて笑った全国大会がこうして終わりました。これからもずっと五中陸上部を、五中を応援していこうと思います。

*この日記を読んだ人が今日一日、幸せな気持ちになりますように・・・おやすみなさい!

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