12月9日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第343弾! 2017年12月9日(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第343弾! 2017年12月9日(土)   たかやん

川掃除のお知らせ
12月の黒目川の川掃除は明日10日の予定です。9時に栗原1丁目公園に集合です。持ち物は「黒目川を綺麗にしたい」という心だけです。軍手・トング・ゴミ袋はこちらで用意します。途中からの参加も途中までの参加も大歓迎です。夕方、石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大丈夫です。連絡先 090-6497-5737 たかやん

朝練
空は今朝も朝練に行った。五中、六中のテニス部時代、朝練は当たり前だと思っていたが、いざ自分の息子がお世話になると・・・有り難い気持ちで一杯になる。休日でも愛情一杯に空を見守ってくれる顧問の先生達には「感謝」の言葉しか浮かんでこない。五中陸上部のいいところは、時々「お休み」があることだ。五中、六中のテニス部に「お休み」はなかった。試験一週間前も林間学校も修学旅行も関係なかった。今、考えると滅茶苦茶だった。それでも子ども達は頑張った。俺みたいな顧問についてきてくれた。その子ども達にも「感謝」の気持ちで一杯になるのである。

校長室
五中の校長室には懐かしい写真が飾ってあった。初代校長は中村敞一郎。市教委で僕を面接し、新任の僕を五中の3年4組の担任にした、ふざけた校長である。二代目は村山惣一。僕らは「ムラソウ」と呼んでいた。「一生懸命」という僕の学級通信によくクレームを付けてきた校長で、「お前、この言葉遣いはなんだ!」と言うから、「もう、あんたには見せない」と見せなくなった。
三代目は山口常義。「好きです五中」という言葉を生み出した校長で、僕は大好きだった。山口常義は子ども達を名前で呼べる校長だった。体操服ではなく、色とりどりのTシャツを着て練習をしていた硬式テニス部の女の子達をとても可愛がってくれた。その山口先生にも校長室によく呼ばれた。怒られる時は「高邑!お前な・・・」褒めてくれる時は「ともやん!お前は・・・」と分かりやすかった。五中時代、ライバルだった川島勝治、同期だった五十嵐由和も笑顔で写っていた。僕が五中にいた時代、甲神嵒、川島勝治、木下保則という三人の先輩が校長になることは、僕ら後輩は想像していたが・・・僕らの中の誰かが校長になることや、五中の教え子達の誰かが校長になることなど、誰も想像していなかった。五中硬式テニス部の部長や五中10期生の1年1組のメンバーの中から、校長が生まれるとは・・・

教育実習
教師をやっていて一番幸せなのは、教え子達が教育実習で戻ってくることかも知れない。自分が愛情一杯に育てた子達が、大人になって同じ教室で中学生達に接してくれるのだから、こんなに嬉しいことはない。五中の10期生で六中に実習に来た弘樹との2週間は夢のような2週間だった。僕は彼に2週間、全ての授業をやらせた。そう一度も見本の授業をすることはなかったのだ。弘樹が理科室で授業をしている声を聴きながら、担当教官の俺は準備室のソファーで寝ていたのである。そして、学級通信も書かせた。それも毎日である。勿論、俺は俺で書いていたから、当時の子達は担任のと、弘樹のと、2種類の「一生懸命」を読んだことになる。弘樹には朝練も午後連もテニス部の練習にも参加させた。弘樹は2週間まるまる、普段の俺の2週間を経験したことになる。毎日の部活、毎日の授業、そして毎日の学級通信。そんな実習をやらせられるのは俺しかいないし、それに耐えられるのもまた弘樹しかいなかった。午後練が終わると野寺の我が家で反省会。それがまた楽しかった。夢のような2週間が終わり・・・弘樹は北海道に戻っていった。そして、それから年月が経って・・・弘樹は新座市に戻ってきてくれたのだ。1年1組で俺の理科の授業を受けた時に、「理科の教師になる」と決めた13歳は本当に理科の教師になり、校長試験にも合格してしまった。弘樹が書くであろう、学校便りが今から楽しみでならない。

片付け
テニスコートが凍結していたので、今朝の朝練は中止。その代わり、我が家の片付けにちょっと燃えてみた。お風呂がぴかぴかになり、洗面所が綺麗になって・・・午後からテニスコートに向かったのだった。

ミックス
今日のコートはもの凄く混んでいて・・・とても球出し練習が出きる状態ではなかった。直ぐに「ダブルスしよう!」と声を掛けられて・・・ミックスダブルスを2試合やってもらった。男子ダブルスとの試合の方が多いので、狙うところに少し悩んで6-4,6-3という結果に・・・声を掛けてくれた竹澤さんと佐藤さんに感謝、感謝。

155弾!
来週の一般質問が終わったら、直ぐに155弾!の最終校正をして、印刷に取りかかる予定である。議会の最終日は18日の月曜日。その日の駅立ちは無理なので、19日の火曜日から東久留米で!!と思ったら・・・東久留米は17日から市長選と市議の補選だった!!うーむ、どうすべえかなあ・・・。18日に印刷に出して、20日の水曜日から保谷で駅立ちを始めるかなあ・・・。

駅立ちの予定(暫定)
20日(水)保谷駅北口、21日(木)新座駅南口、22日(金)志木駅南口、25日(月)ひばりヶ丘北口、26日(火)東久留米駅東口、27日(水)清瀬駅南口、28日(木)清瀬駅北口・・・こんな感じになりそうです。あくまでも仮の日程ですが・・・

人生
ちょっと前まで高校生だったのに・・・来年は64歳になる。人生の残りも僅か・・・そんな時期に僕は生きている。失敗ばかりの人生だったけど、楽しい人生だったことだけは確かなことだ。貧しい時代も、苦しいこともあったけど、みんないい思い出だ。多くの人を愛した人生だったし、沢山の人に愛された人生だった。人生って、今が幸せならば、過去に起きたことは全てOKなのかも知れない。愛する人との別れも、何もかもが今の幸せに繋がっている・・・そう思えるから・・・。
「過去は安い本と同じ。読んだら捨てればいい。」そんな言葉があるが、過去の嫌なことなどは尚更、スパっと捨ててしまえばいい。過去の嫌な出来事を自分の心の中でリピートすること程、馬鹿らしいことはない。嫌なこと、嫌な奴・・・誰にでもいるだろうけれど、思い出すと、幸せが逃げていくのだから、捨ててしまうことだ。
ただ、今が幸せだということを実感出来たら、それすらもいい思い出になるってことさ。嫌な奴の顔も気にならなくなったら・・・人生は本当に楽しい訳で・・・

子宮頸がんワクチン2074
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1.2.3
3年生からの襷を1年生の二人が必死に繋いで・・・今度は2年生に繋いでいく・・・それが五中の駅伝です。応援していて、泣きそうになるのです。自分の子どもでもないのに・・・涙が出てくるのです。それが五中の陸上部なんです。僕は遠くからでも、走り方で誰が走っているか・・・分かるようになりました。男の子達もです。

*この日記を読んだ人が今日一日、幸せな気持ちになりますように・・・おやすみなさい!

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